無題・休題-ハバネロ風味-

私の視線で捉えた世の中の出来事を、無駄口、辛口、様々な切り口から書いてみました。

当選!

2017-08-20 16:52:34 | 食べ物

じゃんけんでも勝てない私と違って、我が家にはクジ運の強い人間がいる。「今回ものどごし生」の応募で、カレーセットが当たったようだ。大きなカレー鍋とおたま、レトルトカレー6個とビール6本が箱に入っていた。おたまにも鍋の横にも「のどごし生」と書いてあるのは愛嬌で、ホーローの鍋は使い易いと思う。しかし、すぐに卸さず、現在使用中の鍋が壊れたら交換すると言うことになった。私はお裾分けで、3個のカレーとビール1本を貰った。

この話には続きがあって、日曜日にビーフカレーを朝食にしようと鍋に少しの水を入れてカレーを温めることにした。ここに3分間、コンロ前に待てない人間がいた。ちょっとの合間を利用してPCの前でピコピコキーボードを打っていたら、焦げ臭い匂いとパリパリと言う音が聞こえた。あっと思って台所に行くと、レトルトカレーの銀色の袋がパンパンに膨らんで、鍋の底に焦げ付いていた。火を止めて、水を入れるとババババッと激しい音がして、レトルトカレーの袋がひん曲がった。このまま熱し続けたら、袋が破裂したかも知れない。ちょっと見たかったかも。

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9月の港のイベント

2017-08-18 10:04:47 | 防災

9月3日、大浜海岸で「酒田ビッグビーチフェスタ2017」が開催。

9月8日、飛鳥Ⅱが酒田北港小湊埠頭に入港。

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南極観測船砕氷船しらせ

2017-08-18 09:11:26 | 建築・都市・港

南極観測船砕氷船しらせが9月9日に酒田北港小湊埠頭に入港する。酒田港に入港するのは15年ぶりだそうで、前回入港したのは「初代しらせ」で、今回の入港は平成21年に就航した「2代目しらせ」だそうだ。南極海の氷塊厚1.5mまで砕きながら航行出来る。

入港歓迎式 9月9日(土)午前8時30分から

一般公開  9月9日(土)午前9時から午後3時まで、9月10日(日)午前9時から午後4時まで。

      船内見学、南極の石や隕石、南極観測の状況の展示あり。

出航式   9月11日(月)午前9時から

船名の元になったのは、ご存じ秋田県金浦に生まれた白瀬矗(しらせのぶ)中尉で、初めての日本の南極探検隊の隊長である。今とは違って、非常に過酷な探検隊だった。詳しくは白瀬南極探検記念館で。

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盆明けの蓮

2017-08-17 13:33:45 | 動物・自然

お盆の墓参りには、いつも午前中に出かけるのだが、今年は何時にも増して人が多かった。11日の山の日が出来たのが功を奏して、長目になった夏休みを有意義に過ごそうと、暑くならないうちにさっさと墓参りを済まそうとする人が増えたのかも知れない。昔、私が子供の頃は、盆休みが少なくて13-15日まで休めれば良い方だった。父の弟子達が故郷へ帰ると、夕方の薄暗くなってからが墓参りの時間だった。祖父を除いて家族が花を持って出かけて行った。祖父は寺で何らかの役員をしていたのか、朝からいなかった。

お盆の仏花には、蓮の花と葉が着いていた。旧盆で行っていたから蓮の開花と併せて仏壇や墓に持って行くことが出来た。

ここは、市街を外れて北にある蓮の畑である。盆前に来れば、綺麗に咲いた蓮が沢山見られたと思う。お盆の蓮の花の出荷で、農道手前の部分は、葉も花も切り取られていた。咲いているのは中央付近で、とても背の低い私には届かなかった。花を撮すのに、望遠レンズが必要なんて、まさかねと思うだろう。

隣の田んぼとの境には逃げ出した蓮が育っていた。

蓮の葉の上の水は、まるで水銀の玉のようだ。

蓮の花より実の方が多い。かなり広い蓮畑だ。

始祖鳥だ!←SFの見過ぎ。2種類のサギの群れだった。こんなに沢山育つほど、餌があると言うことか。

雲を被った鳥海山と蓮。

風に煽られる葉。

あと3mほど身長が高ければ、奥の花が見えるのに。(ドローンが欲しいとは言わない。)

ぬかるんだ畑の中に入っていく意地もない。

葉が面白い枯れ方をしていた。

稲の出穂も始まった。

夏山もあと何日続くかな。

 

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城の石

2017-08-17 10:21:31 | 食べ物

金沢のお土産を頂いた。森八の「城の石」と言う名の最中で、包みの中に皮と中身が別に入っている。なので、皮は食べる寸前まで香ばしい。

酒田でも和菓子は美味しいが、金沢の和菓子は味も美しさも格別のものがあると思う。何故、その写真がないのかと言うと、抜群にピンボケだった。しかも、もう撮せない。

 

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羽黒山の千佛堂

2017-08-16 10:22:38 | 動物・自然

石段を登ろうかと散々迷ったが、有り難いことに時間が無くて(←おい!)車で頂上まで行く。駐車場は第1、第2、それにスキー場の駐車場まで使われて、例のごとくバスでのピストン輸送がされていた。人混みは、初詣と良い勝負だった。しかも冬と違って、石段を登ってくる若者や外人達も多い。車のナンバーを見ても、県外が多い。

車から降り立つと、ひんやりとした空気に包まれる。第2駐車場は霧がかかっていた。これなら玉こんにゃくも売れる筈だ。

参道は蜂子の皇子墓廟の前を行くルートにした。

道が濡れているのは、雨が降ったのか霧のせいなのか、お陰で緑が美しい。

苔の間から茸が生えていた。

第2駐車場との分岐点に来た。こちらの参道は人混みが少なくて良い。ただし団体とすれ違わねばの話だが。

いつもは、上の道路を歩く。今日は蜂子皇子の墓廟にお参りする。

水が冷たい。

鳥居をくぐって境内に入る。

三山神社合祭殿は、鏡池のこちら側からがよく見える。池は水面が見えないほど葉がしげり、コウホネの黄色の花が咲いていた。隣で「あれは睡蓮かしら。」と言う声が聞こえた。知ったかぶりがしたくてウズウズする。

杉の根元に、アカモモが見えた。低くても羽黒山は山だったのだ。

先に蜂子神社に詣でる。

もう少し早く出かければ、石段を上がる時間もあったのに。なぁんて言うのは嘘で、事務所の階段さえ太腿の筋肉に響くので諦めたのだ。ただ、下界とは違い、今日のように涼しい山だったら楽だったかもとも思う。

三山神社合祭殿に参る。

参集殿の前を通り、千佛堂を探す。

今回の真の目的は、佐藤泰太朗が集めた仏像を安置する千佛堂にお参りする為だ。

山形新聞の写真から、赤い御堂だと知ってはいたが、どこに建立されたのか知らずに探すと、さすがに仏像の安置堂だけあって、霊祭澱の隣にあった。ここの奥には墓場もある。明治時代まで羽黒山が神仏混合だった名残だ。

今まで、佐藤コレクションの仏像は、宝物殿の中に陳列され、見るのも有料で冬の間は雪の為に閉鎖になる状態だった。

仏像の本来の目的は、入館料を払って見学するのではなく、誰もが拝むことの出来る像であることだ。ここまでなるのに40年も経ったのかと驚く。ついこの間のような気がするが、あれは祖父が生きていた頃だ。この話を聞いたら、祖父も曾祖父も喜ぶだろう。千佛堂に入る廊下の前に、佐藤コレクションの一覧が書いてある冊子が300円で売られていた。その他は何も説明はない。

千佛堂の顎は酒井のお殿様の手によるものらしい。

内部は撮影禁止だった。千佛堂は神社の参集殿から霊祭澱へ抜ける途中にあり、どちらからも入る事が出来た。堂の両側に、宝物殿の佐藤コレクションの数とは比べものにならない位の数の仏像が並んでいた。江戸、鎌倉、室町、平安時代と造られた時期は幅広く、中には明らかに異国のお顔をされた仏像もあった。よくこんなに集めたものだ。浄財の箱の中をチラッと見ると、硬貨に混じってお札が多かった。壱万円札が見えたのに驚く。私は千円札を滑らしたが、宝物殿に置くよりも良いのではと思った。

内部は、漆の香りがした。そして、天井には佐藤家の蔵の天井を飾っていた龍の絵も、こちらに引っ越ししていた。私は龍の絵は写真でしか見たことがなく、本物に出会うのは初めてだった。この絵の謂われも聞いていたから、目がうるっとなった。

目的を果たしたので、帰途に着く。3時に着付けを頼まれているからだ。売店からの呼び声には反応せずに歩く。

ただ、羽黒の漬け物屋さんには寄った。ここも駐車場に車が入れなくなるほど、客が溢れていた。お蕎麦屋さんは待ち時間が長くて大変だろう。漬け物の支払いをするのも行列だ。

お盆ももうじき終わりを迎える。

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収穫

2017-08-16 10:13:33 | 食べ物

春に、丸ナスの苗2本、万願寺とうがらしを1本、ピーマンを2本買って植えた。万願寺とうがらしは辛くない唐辛子で、形は細長くても柔らかいピーマンのように美味しい。これは順調に育った。

丸ナスは、花が咲いたら必ず実が成ると言う諺を打ち破って、花の内に何個か落ちた。それでも意外に綺麗な実が着いた。

さて、くだんのピーマンは、何という種類のピーマンかは忘れたが、細長い大ぶりのピーマンはならずに、カボチャの出来損ないのような形の実が着いた。成長も遅く、従って実は堅い。これだけの数なのに、肉厚であごが丈夫になるくらいの硬さだった。野性味はあったが、味はしっかりしていたのだが。今度苗を買う時には、どんな特徴があるのか、調べてからにすべきだろうと思う。それとも、私の管理の仕方が不味かったのか。これからも収穫は続く。

 

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タモリ倶楽部 20070518 ずっと前から決定!全国一般国道ランキング

2017-08-13 23:26:29 | 建築・都市・港

 

タモリ倶楽部 20070518 ずっと前から決定!全国一般国道ランキング

まさか、まさかの国交省の森技監が出演していた。今から10年前の収録である。

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ゴジラ

2017-08-09 15:45:25 | 音楽・芸術・文学

子供の頃、とても恐かった映画。いつまでも記憶に残っていて、また見てみたいと思う映画が「ゴジラ」だった。

そのゴジラを演じていた中島春雄さんが亡くなられた。米国のGOZIRAも日本のシンゴジラも面白いのだけど、やはり原点はこの1954年のゴジラだろう。敗戦と原爆の悲劇の背景から、よくぞ作ってくれたと思う。初代のゴジラの監督の本多猪四郎さん、ゴジラのスーツアクターの中島春雄さんは、共に山形県の出身である。向こうの世界で、「おうおう、ゴジラがやってきたぞ。どうだ、もう1本皆で作ってみようか。」なんて、会話していると良いなと思う。

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激甚災害

2017-08-09 14:51:04 | 防災

激甚災害と言う言葉を身近で聞いたのは、酒田大火の時だった。酒田市の中心市街地が燃えている中、災害本部で当時の相馬酒田市長が、消防に加え自衛隊の要請をしたこと、政府に激甚災害の指定をお願いしたことを告げ、市民への避難と激励を行った。近隣の協力を得てしても、強風の為に延焼は続き、新井田川を最後の砦として、燃えぬ前の建物の破壊活動も行う。火は防火帯と思えた大通りも楽々と超え、この新井田川を突破すればバイパスまで燃え広がるとの決死の消火だった。新井田川の対岸から、並んだ消防車から、川の水を使用した一斉放水で、一晩燃え続けた火も未明に消火することが出来た。災害本部長の酒田市長を含め、それからの酒田市の復興の動きは目を見張る物があった。もはや伝説と言われる「酒田方式」である。

激甚災害の指定を受けると、その後の復興は国の予算を使える事になる。疲弊している地方自治体にとって、それは有り難い。今年に入って、九州の大雨災害にはG20から戻ったばかりの安倍総理が、直々に現地へ赴いて激甚災害指定の確約を告げた。世間には、安倍総理の売名行為と受け取った人もいたようだが、被災者にとっては有り難い事だと思う。それに引き替え、死者は出なかったものの、秋田県の洪水被害には、政府はなかなか首を縦に振らなかった。

秋田県と言えば、管官房長官の出身地である。(災害当時に県知事の行動がどうのと言うことはあったが)友達とか忖度はないのかと思っていた。以下が8月8日のFNNのニュースである。

-----------------------FNN----------------------------

九州地方と秋田県を襲った豪雨災害について、政府は8日の閣議で、激甚災害への指定を決定し、災害復旧に必要な自治体の費用を、国が支援することになった。
菅官房長官は、「九州北部豪雨、秋田県の豪雨、この夏の梅雨前線などによる災害の激甚災害の指定を受けて、被災地においては、財政面の不安なく、災害復旧に取り組んでいただきたい」と述べた。
菅官房長官は、会見で「1日も早い復旧を目指せるように、政府として万全を期したい」と述べた。

-----------------------------------------------------

農家にとって、田んぼが土砂で埋まるのは、1年の収入が見込めず、元の状態に戻すにも大変な労力と金額が必要となる。

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ユリ

2017-08-08 11:33:20 | 動物・自然

山形には、ヒメサユリの群生地がある。薄いピンクの小型のユリで、一度見てみたいと随分前から思っていた。ただ、その群生地は酒田の近くにはなくて、なかなか行動に移せなかった。

[

7月に入って、よし出かけて見るぞ!と、かねてからチェックして置いた「どんでん平ゆり園」の位置をGoogleMapで探すと、神代桜を見に行った辺りの近くらしい。これなら行けるかもと、ゆり園内のヒメサユリを探すと咲いてない。どうした訳だ?

なおも探すと、ヒメサユリの開花時期は5月-6月で、大江町の大山公園が群生地と出ている。時既に遅し。こんな訳で、ヒメサユリに出会うのは来年以降になった。がっかりと言うべきか、楽しみが伸びたと考えるべきか。

アマドコロに実が着いた。

 

さてさて、毎日が暑い。迷走していた台風5号は、大雨を伴いダラダラと移動しているようだが。まだその影響の雨はない。夕方水まきをするのに、蚊の襲撃にあう。一応虫除けスプレーをしても、ちょっとした隙間で刺される。先日は左手の人差し指の第2関節付近を指された。蚊に刺されて難儀するのは、どこでも同じようには思えない。足の裏、足の小指、手の指先、顔の目の部分などがきつく、ぷっくりと腫れ上がる。掻かずに温和しくじっと我慢をすればいいのだが。翌日、トイレのドアをノックした。「がぁ~!」蚊に食われた部分でノックしてた。忘れていた痒みがぶり返す。

 

 

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自衛隊護衛艦と掃海艇

2017-08-06 21:11:53 | 建築・都市・港

海上自衛隊の護衛艦「まつゆき」と掃海艇「のとじま」が4日に入港した。場所は、酒田北港の小湊埠頭である。

コスタ ネオロマンチカの来港時に、一般車進入禁止になっていた岸壁も今回は開放され、暑い中多くの客が集まった。私は土曜日の午後に出かける。気温が最も高い1時過ぎである。

こちらが護衛艦まつゆきである。1日2回、内部を公開する為のタラップが降りている。行列も出来はじめた。

さて、その前に、自衛隊の車両を見てみよう。多分この車両も隊員達も陸上自衛隊ではないかと思う。

 自衛官のユニフォームの違いがあって面白い。彼らは迷彩服である。

 車内に入ることが出来る。

 車体も迷彩柄である。タイヤが凄い。触ってみてくれば良かった。

 停車する時には、徹底して車止めを使用する。

 

 

 

 

 

 

ブルーインパルスのパイロットのようだが、彼のユニフォームは迷彩柄ではない。ヘリコプターのパイロットも同様だった。

ヘルメットが被れて良いな。

 

 

 

 

行列の最後尾に並ぶ。乗船が始まった。

 

 

 

 

タラップの滑り止め。塗料の前にクッション材を塗るのか、これは便利だと思う。

手摺りはあくまでも単純で、簡単に外されるようになっている。輪をくぐすと抜くのに大変だが、この方法だと外しやすい。

 

74式アスロック。アスロックランチャーから発射されたロケットは、目標の上空でパラシュートを開き着水。水中で短魚雷が潜水艦を攻撃する。

操舵室

家族連れや若者は、スルッと見て回るだけが多い。自衛官に食い下がって質問ぜめをしているのは、高齢者が多い。見るからに戦争体験者と言うか元日本軍の兵隊と思われる人もいた。 

 

説明をしてくれた自衛艦の持っている銃弾は、模擬弾だそうだ。「実弾ですか?」と聞いた私が恥ずかしい。

この立ち入り禁止船首の甲板には白い線が引かれていない。

こちらにはある。違いが判るだろうか。

そして、その詳細。タラップと同じような滑り止めが着いている。「これは見学者用ですか。」と問うと、そうだと答える。自衛官には必要ないが、今日のようなイベントの為に、一般客の安全を考えての仕様のようだ。

74式アスロックの裏側。

 

温和しく(?)行列の後ろを歩く。

石炭船が見えた。

 防水型、耐塩型の照明と思う。光量はこれで足りるんだろうな。

船尾の方へ着いた。この辺りにいる自衛官は、制服と胸の勲章から位が上の人が多い。

 

艦長さんを見つけた。勲章を撮させて頂いた。

 

その艦長さんにだっこされて、ミサイルに触る子供達。

艦内へ入るドア。緊急時にどのレバーを動かしたら良いのか、悩むようなドアである。

タラップで上に上がると、ヘリコプターがあった。

1機だけの格納庫が口を開けていた。

どう見ても、ローター(プロペラ)の幅と格納庫の幅が合わない。格納する時には折りたたむらしい。

格納庫の中から。

機体は歴史を感じさせる汚れが見える。所々にペイントされた文字が見える。

ヘリコプターの詳細。

何を動かす操縦席だろう。飛行神社の御札があった。飛行神社って、どこにあるのだろう。

その脇を通り抜けて、タラップを下る。

出口へ誘導される。

まだまだ見学者達の列は繋がっているようだ。

 

売店に寄る。触手が動くが止めた。だけど、買って来れば良かったのにと今になって思う。

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酒田甚句流しパレード 会場から

2017-08-05 21:10:10 | 酒田

酒田甚句流しパレードは、19:30から21:00までだと言う。それならと20:00過ぎに出かけるいつもの私。どうしようもない奴である。

中町に急ぐ私の耳に、東風に乗って流れてきた酒田甚句は、家々の壁に反射して様々な方向から聞こえて来た。まるで町中が酒田甚句に酔っているようである。

祭りのぼんぼりや、踊りへのライトに照らされ、一段と明るい清水屋の前に着いた。

歩道の人だかりの隙間を抜けてカメラを向ける。

曲がひとしきり巡ると、小休止がある。

ようやく人のいない場所を見つけるも、発電機の熱風が吹き荒れる所だった。これは居られない場所だ。

と、思ったのもつかの間、パレードは終わった。まぁ、こんなものである。

道路の上に白いテープが貼られ、区分けをしている。これからS-zinkuが始まるとアナウンスがあった。

5組ほどに分けられたグループが、自らの振り付けでzinkuを踊る。

小学生から一般まで、思い思いの踊りを披露する。

 

 

 

グループを替えて、3回行われたのだが。1箇所から、全部のグループを撮ることが出来ないので、動いて回ることにした。

ともかく、歩道からは、人の波で中が見えない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

こうして、若者達のS-zinkuは終わった。見物人も、こんなに暑いのだから、踊っている人他達はもっと熱いだろうなと思う。

閉会のアナウンスを聞きながら、帰途に着く。

屋台村も熱かった。

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酒田甚句流しパレード

2017-08-04 15:55:39 | 酒田

8月4日、今夜は酒田甚句流しパレードが行われる予定である。小雨決行だそうだが、雨どころか猛烈に暑い夜になりそうだ。

何時に、どの辺りからのパレードになるのだろうと、酒田市のHPからお祭りのサイトに入ってみた。

最終更新日 7月11日の日付で、時間と大体の場所は書いてある。しかし、私は見つけてしまった。

地図のマーカーリストの所で「●コースの詳細は決まり次第お知らせします。」と書いてあった。

今日は当日やないかい!

 

私の叫びが聞こえたようで、酒田市のFacebookに、5分前に地図がUPされた。めでたし、めでたし。


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斎場のかわら版4

2017-08-03 10:53:00 | 建築・都市・港

あら、80名のスタッフの顔が全然見えないわ。

建物の割りに敷地が狭い為、なかなか良い写真が撮れない。ただ、斎場と言う性格の建物は、あまり道路から見えるようではいけないのだそうだ。

この綺麗に湾曲した硝子面は、キャノピーが出来ると見えなくなる運命にある。現在はそのキャノピーの基礎工事に入っている。このキャノピーが出来ると、建物は完成する。

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