無題・休題-ハバネロ風味-

私の視線で捉えた世の中の出来事を、無駄口、辛口、様々な切り口から書いてみました。

南極観測船砕氷船しらせ

2017-09-09 15:26:51 | 建築・都市・港

南極観測船砕氷船しらせが酒田北港小湊埠頭に入港した。

「しらせ」は、海上自衛隊の管轄である。

8時半から歓迎式典が行われた。

砕氷船と言うから、船首が鋭く造られているのかと思ったら、逆に丸い形だった。

9時からは内部の見学が出来る。行列は3重にも折れ曲がって続いていた。行列に慣れていない酒田の人間は、後ろのじいちゃんが文句の言いっ放しだったし、前の子供達は待つのに飽きてしまって騒いでいた。付き添いのお母さんは大変だ。

来賓と、先ほど歓迎の踊りを踊ってくれた幼稚園児達が、別のタラップで先に入っていた。

 

 

行列が動き始めた。2箇所のタラップを使って、大勢の人を乗船させる。

最初の甲板は、船尾のヘリコプター格納庫前だった。所属のヘリコプター2機は、現在岩国にいるそうだ。

雪上車

 

 

格納庫内。

左舷から移動する。

船体が一体に見えなくて、前方部分と後方部分が鉄骨の骨組みで繋がっているように見える。

廊下部分に写真が掲げてあった。

船首には入れなかった。この右の柱とワイヤーが着いた物は、クレーンだ。

 

 

この油圧ジャッキのついた黒い物は何かと尋ねたら、この下が倉庫になっていて、クレーンで品物を納入する。黒いのは倉庫の蓋だそうだ。その大きさと仰々しさに驚く。

 

注意事項がプレートになっている。

 

医務室入り口だった。

 

タラップをどんどん上り、高さを稼ぐ。

こちら側にも車の数が増えてきた。

 

 

 

操舵室に入る。

双眼鏡とキャップのどちらが欲しいかを問われれば(問われないけど)やっぱり双眼鏡だろうなと思う。あんな所にも桜に錨のマークが付いている。

 

 

 

 

 

船首に向かって左が副長。右が艦長席のようだ。

艦長席には艦長帽を被り、誰もが座ることが出来る。記念写真も撮れる。撮ってくれるのは女性の自衛艦。

もう、人がぐちゃぐちゃ。

一度外に出たが、出口が判らずに、操舵室に戻る。中央部分の廊下を通って出口に出るようだ。

 

 

食堂。

床屋

 床屋前の廊下のハッチ。

 自衛隊員が消えて行った。

このブースには、沢山の賞状や盾が並んでいた。

 

 

 

 

廊下を通って、内部階段を降りた。

船尾の方に回る。船内の舫い。

ロープは白色だった。雪の上だったら、他の色つきの方が目立つのにと思う。ちなみに船体はオレンジと山吹色。

 

下船する。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

大泉さんが手を振っている。

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旧友再開

2017-09-09 15:26:22 | 音楽・芸術・文学

建築士理事会は、何の問題も無くとはいかなかったが、そこそこ時間内に終わった。

お昼に、事務局長手作りの薄皮ナスの瓶詰めをご馳走になる。とても一口で頬張ることが難しい大きさだった。味も色も良い。あとでこっそりと漬け汁のレシピを教えて貰う。水2L、砂糖180g、塩135G、ミョウバン6g(5gでも良いそうだ)

会議の資料に紛れて、詩と言うか、歌詞カードが入っていた。見れば河島英五とアナム&マキの「旧友再開」だった。河島英五は好きだが、この曲の記憶はない。何だろうと考えていると、今月の末に行われる会長の表彰祝賀会で、皆で歌って欲しいとのリクエストだった。練習してきてね。だそうだが、河島英五の最後の曲、各自練習ぶっつけ本番で、うまく行くかな。

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陰謀論

2017-09-09 15:19:51 | 社会

米粒写経 & 春日太一『陰謀史で読み解く八甲田山』 

博識な米粒写経の居島一平さんと春日太一氏の対談映像は、軽い気持ちで見ていても面白かったのだが、要所要所で話している内容が、幕末明治以降現代に至るまで、「これは!」と考えさせられることに突き当たる。普段、腑に落ちなかった世の中が、そうなのかそうだったのかと納得が行く。八甲田山の遭難が、誰かによって仕組まれていたのではと言う内容も凄い。伊藤博文を暗殺した安重根が裁判で述べた言葉も興味深い。

歴史は勝者によって書かれてきた。150年前の明治維新でさえも、薩長による勝者の歴史である。日清戦争と朝鮮併合も何故進めたのか、あの頃の東北は飢饉などが続いて、娘を身売りしなければならないほど疲弊していた。東北を救うでもなくインフラを整えるでもなく、何故朝鮮に膨大な金をつぎ込まねばならなかったのか。感謝さえされず、植民地支配だとごねる民族だと、伊藤博文もや福沢諭吉などの日本国民の一部は知っていただろうに。

さて、ここに東洋経済ONLINE なぜいま、反「薩長史観」本がブームなのか が興味深い。歴史は一つでは無い。さまざまな角度から見た歴史がある筈だ。私もそう思う。何故に東北は見捨てられるのか、東日本大震災の復興よりも東京オリンピックが先なのか。靖国神社は明治以降の戦死者を祀ってあると言うが、幕末の幕府側の戦死者は除外されているのは何故か。東北は尊皇攘夷、朝敵といつまで呼ばれなければならないのか。陰謀論としてひとくくりにしてみたが、その元凶は誰なのかが知りたい。

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電磁パルス攻撃

2017-09-08 15:33:46 | 防災

9月3日の北朝鮮の核実験を受けて、直接的な核弾道ミサイルでの攻撃に加え、電磁パルス攻撃を行うことも出来る由の発言を聞いた。核弾道ミサイルは、ピンポイントに命中させるミサイル技術が必要だが、電磁パルスは大体の位置の大体の高さでBOMすれば良いので、日本列島を通過する技術があれば済む。折しも、太陽フレアが地球を直撃するとかで、電子や電機の故障に注意するようにとニュースでも流れた。まぁ、太陽フレアも電磁パレスも似たようなものだけど、電磁パルスを直接兵器にするとどのような被害が出るのかは、ぼんやりとしか知らなかった。

★ニュースジャパン24 電磁パルス攻撃とは・都市機能を麻痺させる【核攻撃】過去にハワイで実被害も

★ニュースポストセブン インフラ破壊し1年後に9割死亡 「電磁パルス攻撃」の恐怖

諸説色々とあって、電子機器もコンセントを抜けば良いと言う意見や、雷のように電気が走るから抜いても無駄だと言う意見もある。核兵器の大きさにも影響はされると思うが、核兵器を地上30~400キロの【高高度(高層大気圏内)】で爆発させると、放出されたガンマ線が大気中の分子と衝突する。すると強力な電磁波である「電磁パルス」が発生し、被害が出るのだそうだが、直接核兵器で死ぬとは別の恐怖がある。

単に停電が起こったり、PCが壊れたり、自動車や電車が止まったりするだけでなく、電気を必要とする水道や銀行のATM、国の経済はおろか、もちろんインターネットやTV報道にも影響は受ける。機械は直せばとか、電気が復旧すれば良いとか言う前に、「電力喪失で、過去に大変なことが起きてはいませんか。」を思い出して欲しい。電磁パルスで電力が供給できなくなれば、電子力発電所は水の循環が出来なくなりメルトダウンを起こす。そして今度は何の報道もないままに、核爆発は起こる。

北朝鮮シンパの皆さんは、そんな事は起きないと言うかも知れない。しかし、覚醒剤を生産販売し、他国民を拉致し、偽札を刷り、気にくわないと行って実の叔父さんや兄を殺害する人が、その発射ボタンの前にいる。そして無防備の日本国民がいる。「9条」と紙に書いて、頭の上に貼っておけば、免れるとでも思っているのだろうか。

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けんぞの落語会

2017-09-08 10:51:08 | 音楽・芸術・文学

明日9月9日、けんぞの落語会が開催されます。沢山のお出でをお待ちしております。

 

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村山道の駅

2017-09-08 09:52:38 | 建築・都市・港

7日は山形で建築士会の理事会があったので、国道47号-13号を使って行くことにした。混雑を考えて、朝の7時45分に出かけたら、47号線の道路工事の片側通行をことごとく青信号で通過し、順調すぎるほど進むことが出来た。

村山市に入って、トイレ休憩で道の駅に入る。この道の駅が出来て、ん十年も経つが、一度もこの歩道橋を渡った事がなかったので、少しの時間を利用して歩いてみることにした。

こちら側は陸橋の見える北側である。この日も雨が降り始めていた。南側はその雨の為に、硝子面が異常に汚れて見えたので、撮すのは止めた。こうして道路を上から見るのは、周りの風景も相まって気持ちの良いものだなと思う。ついでに道の駅の店で、シャインマスカット味のウォーターを買った。産直野菜売り場でも、黄色のトマトと紫色のアスパラガスを買った。

そして元の歩道橋を歩いて戻ったが、結構階段がしんどい。ついでに東側の歩道橋の入り口の「滑るので気を付けて下さい。」と書いてあるスロープを見たが、これって階段を1段増やすと安全になるのではと思った。積雪の時にこのスロープを上るのは、とても危険だなと思う。スロープのタイルも剥がれてきているので、この際を利用して1段増やしたらいかがでしょう。と重箱の隅をつついてみる。

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看板

2017-09-08 09:41:46 | 建築・都市・港

国道7号線と県道353号線の交差点の西側に、夕陽と波をデザインした看板があった。目の悪い私が遠くから見ると、赤い顔をした猿に見えた。目間違いにしても何故だろうと思ったが、その印象がいつまでも着いてきた。

外側の絵の着いた部分が剥がされ、骨組みがむき出しになっていた。どうするんだろう。また同じように貼るのかな。私的な意見だけど、要らない気がする。

さて、これは先日に北村くらたファームに行った時(いつもは旧国道から出入りしていたのだが)、帰りにゆたか町界隈の店に寄ろうと県道の方へ抜けたら、看板があったのに始めて気がついた。酒田市街から見えるように建ててあったのだけど、見えてなかったんだね。

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福島の現在(いま)

2017-09-06 15:53:50 | 震災東日本大震災

9月2日、女性建築士会東北ブロック会で、福島の見学会が行われた。通常のシンポジウムは行わず、皆が1台のバスに乗り地図にある通り、福島市から富岡町までを移動した。東日本大震災で地震や津波で被害を受けたのとは別の被爆と言う現実を見学した。

2011年3月13日、電源喪失でメルトダウンを起こした福島第一から、風に乗って放射能物質を含んだ風が吹き、飯舘方面へ流れた。被爆は同心円状に起こるのではない。チェルノブイリの事故で言われていたことを、あの時期の日本政府は避難に使わなかった。それどころか、気象庁に風向きを発表しないようにと圧力を掛けた。その結果の地域を、今回はなぞって見学する

6時半頃、酒田チームは出発した。東北中央道が開通すれば、もっと近くはなるのだが、ここは普通に山形道から東北道に抜けた。途中、道路が曇っている。見れば発煙筒が焚かれて警察が誘導していた。事故だった。

この頃から雨になり、暗雲立ちこめる前途にちょっと気持ちが萎える。

きびきびした運転のお陰で、集合時間よりもずっと早く集合場所の福島駅前に着いた。以前、JRで福島を通過した時には新幹線だったので、上に見える新幹線駅と在来線駅が違う建物だったのに驚く。こちらは福島駅西口。

集合までに、しばしの腹ごしらえをする。山形の内陸チームも無事に到着していた。マックダーガーのコーヒーは薄くて不味い。

無事にバスに乗り込んで、乗員点検をする。時間少し前に出発した。

バスの中で線量計が渡される。駅前出発時は0.080程度だったが、バスが動くと数値も動く。福島第一から離れた福島市でも、数値の高いホットスポットがあると聞いてはいた。「住宅の隣に、汚染土を積み上げ緑色のシートで覆った物を見て!」とアナウンスがある。時期が来れば、土の運び出しを行うのだと言う。福島県だからこそ、きちんと線量を計測して、除染すべき所とそうでない所に分け、処置が出来るのだと思った。近隣県でも数値の高い場所もある。それがうやむやにされている気がする。

市内を離れると、田んぼに出た。定期的に数値を計る為に、稲が試験的に植えられている部分と、植えられていない部分がある。黒い袋(各1t)に運び出された汚染土を入れ、積み上げられている。

その上をシートで覆った物が続く。袋は強度上、3個以上積み上げられない。

汚染された土地には、ひまわりを植えると良い。そんな話が2011年に流れた。画期的に数値が半減することはなかったが、良いと言われたことは、まず実行する。この土地を守る為に、生きる為に行動する。ひまわり畑は枯れていたが、放射線と相性の良い植物を使ってでも、半減の時間が短くなればと願う人の気持ちが伝わる。

 竣工し立ての飯舘村の道の駅「までい館」に到着した。福島の方々とは建築士会だけでなく、ネットを介しても友達がいたので、震災前からも事情は知っていた。飯舘が危ない、避難しなくてはと周りが騒いだ時にも、「牛の世話をする。」と言う理由で避難しない友人の祖父がいた。牛乳も出荷できず、肉牛でも売れぬ牛たちを、死ぬまで飼うのだと餌をやり続けた人達がいた。

外を案内する前に、館内のモニタリング数値である。ここは驚く程低い。線量計が普通の生活と切り離せない、ここは日常である。このモニタリングは館内の物ではなく、外部の数値を表示している。

偶然にも低い場所だったのか、それとも汚染土のすき取りで下がったのかは判らないが、充分に安全な数値である。

光って見えない案内板。「までい」は、待ってとか急がないでとかニュアンスのある方言だそうだ。

産直の野菜なども売られているが、重点的に売り出しているのは、花だそうだ。「安すぎね!」と胡蝶蘭のお値段を見て話していたが、残念ながら胡蝶蘭は買った事も貰った事もないので、相場が判らない。

内部外部

 

 

 

 

 

 

 

次は飯舘村役場の敷地に入って通過する。数値はこれくらい。

汚染土を運び出すトラックの後ろに着く。

南相馬、原町の魚菜旭亭で昼食となる。ここから福島の別のメンバーが案内として参加する。

10km圏内で頑張っている女性建築士は、被災した人達も皆で椅子(脚立にもなる)を、製作する事にしたのだそうだ。

各県からの差し入れを受け取る。

山を降りて浪江の方へ向かう。これは災害住宅。

元は田んぼだった場所。

海に近くなってきた。ここは海抜も低いが、大きな堤防を造るのでは無く、3段式に距離を置いて堤防を設け、その都度波を溜める構造にしているのだと言う。それは利口なやり方だと思う。ただ、堰や川などの処理も必要だ。

 

浪江町に着いた。奥に見えるのは庁舎である。

地震で修理された家とそのままの家があった。解体を待つ建物が多いと聞いた。

 

浪江駅に寄る。常磐線は浪江で通行可能な線と通行止めとに分けられる。

浪江から仙台方面は通行可能。

 

線路に渡された橋で、それが分けられている。

徐々に開通に向けて頑張っているそうだ。

浪江から南はこれからである。

浪江駅前の「まち なみ まるしぇ」に寄る。コンビニも入っている。住民の帰還はまだまだだが、汚染処理や建築で働く人達の買い物にも使われる。

時間が止まった町から、少しづつ息吹が戻ってきた。

庁舎も全ての階が使われてはいないと言う。職員も郡山などで仕事をする人が多い。

0.561       1.975             2.243

バスの中で、線量計の数値が上がっていくのが判る。双葉町の帰還困難区域を通過する。

3.593           4.109          5.061

数値は上下を繰り返す。

福島第一原子力発電所 クレーンの下

こちらもそうなのだが、工事はしていない。ここは大熊町。常磐自動車道路は走行できるが、停まらないようにしなければならないそうだ。

ここも水田だった場所。草のあとには柳も生えてきた。せっかく開拓して田んぼを造ったのに、原生林に戻るのは早い。

高速を降りて、富岡町に近づいてきた。バイパスと思える道路の脇には、見知った店舗が並んでいるのだが、見事に地震で壊れていた。真新しいケーズデンキがあったが、竣工して開店を待つ時点で震災を受ける。

被爆した町と一括りに出来ない面を見た。福島第一に近くても、あの風向きの位置になかった富岡町は、復興がめざましい。これは復興住宅。

町役場

ただし、帰還困難区域も道を挟んで併行している。

花見で賑わった桜並木。

コンビニや店も戻ってきた。

建設ラッシュ。

富岡駅前に着く。

記念写真 私はカメラマンだった。あれ?他の人にもシャッターを押して貰ったはずなのに、無い!

これも完成した復興住宅。ただ、年金暮らしのお年寄りは家賃が高くて入れないそうだ。ここでも被災者は分類される。

電力会社の催しに使う建物。

延々と続く汚染土。中間貯蔵庫に運ばれるのを待つ。

一括りで被災地と呼ぶが、被爆した地域は3つに分けられる。帰還困難区域、20km圏内、そのほか。

せっかく皆で復興しようと思っても、この3つの分類は国の補助がまるで違う。その為、どうして自分だけがとか、あの人達だけ得してとか、一緒になれない。国の方針が地域の人達を分断する。

案内してくれた建築士会のIさんは、震災後、腹の底から笑った事がないと仰った。汚染された土地は5cmすき取ると、数値がガクンと減る。この要領で学校の校庭にも手を加える。また地下30cmに汚染土を入れると、放射線量は出て来なくなる。どれも実践で培った事柄である。嘆いてばかりはいられない。

高速道路を北に向かい、途中のSAと言うか、新しく出来たセデッテかしまに着く。看板には南相馬鹿島が正式名称なのだが、この名の中にはバカがいると、目が泳いだ。

この辺りからは天気が良くなり、気分も晴れた。

トイレ休憩

これは便利だと、トイレの個室を出てから見つけた。後の祭りとも言う。

相馬は、馬追が有名だ。

お店の方に向かう。

ででん!

 

 

 

 

桃は美味しそうだけど、すこぶる良い値段。

お土産を買った。バスの中では「ここは福島産の物しか置いてないから、存分に買って福島にお金を落として行って下さい。」と告げられたが、私は福島産のと仙台土産を買う。なんてこった。

 

ここからは、じきに一般道路に降りて、福島へと西に向かう。

帰りのバスの中では、委員長会議が行われたが、各委員長さんのコメントの中に、「広島・長崎は、戦後70数年経っても記念式典が行われる。福島にはそれがない。」と発言され拍手が湧いたが、福島の被爆は爆発で亡くなった方がいた訳でもなく、福島第一も取り壊されておらず、汚染との戦いがまだ続いている「現在進行形」だと言うことだ。いつかは記念式典が行われれば良いなと願うばかりだ。

福島駅で解散する。新幹線の駅、在来線とはまた別に、福島交通飯坂線の駅が見えた。昭和の香りがした。

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秋田へ行く

2017-09-04 11:27:28 | 建築・都市・港

酒田商工会議所で準備してくれたバスに11名が乗り込んだ。目指すは秋田市である。これはその途中の女鹿。日本海の水平線には飛島が写っている。この時は気がつかなかったのだが。

飛島の横に大型クルーズ船がいた。そのスピードはかなり速い。

象潟の道の駅に着く頃には、飛島を通り過ぎていた。

こちらが象潟の道の駅「ねむの丘」そこから見る鳥海山。

先日の鳥海山では見えなかった男鹿半島。

秋田市に到着して、昼食を食べる。秋田の稲庭うどんは確かに美味しいと思う。

うどんだけでは、腹持ちしないだろうと幹事さんの計らいで、丼つきになった。サンマの蒲焼き丼だそうだ。うどんはまだ来ない。

うどんが来た!なるほど、これだけだと足りないかも。

戦場の跡。

秋田を紹介する切り絵。

秋田は名物がいっぱい。

会場前でバスを降りて、開会時間まで自由行動となる。会頭さんは理事会へ、その他の皆さんは秋田県立美術館へ向かったが、私は秋田市民市場へ出かけた。

秋田市は大きいな。

市民市場のホール。以前来た時には、こちら側から入らなかったので、気がつかなかった。

秋田市の歴々のポスター。お日様が強くて、よく見えない。こんな時はフラッシュを焚けば良いのかと、今になって思った。

さて、丁度昼休みといった時間か。

まずは野菜売り場から回る。

今が旬の枝豆。庄内とは種類が違う。

4種類。味は値段に比例するのか。試食をしてくれば良かったのだが、昼食後でお腹がぱんぱんだったのである。

う~~ん、だだちゃは高い。

魚売り場を回って。

バスでの団体行動では、買えるはずもなく、市場を後にする。

千秋公園に向かう。会場もその通りだ。

アーケード通りがあった。

千秋公園の蓮は、まだ咲いていた。

地下道の入り口。避難場所とも書いてある。なるほど、シェルター代わりなのだな。

蓮は大方が終わっていた。

皆が向かった美術館。安藤忠雄の作品だが、現在に至るまで、照明の作品への当たり不具合で器具を取り替え、最近では1階の展示室が使いづらいと市民達に言われ、6000万円だったか、9000円万円だったかを予算要求して、内部改装を行うらしい。

ちなみに、この日は閉館日にあたり、誰も中に入れなかったそうだ。

鯉よ、こい。

蓮に隠れていたが、睡蓮も咲いていた。

僅かな水面を泳ぐカモ、かも~~ん!(←駄目だこりゃ。)

会場に戻った。

受付。

会場は地域毎に集まって着席した。そろそろ始まる。

来賓席

主催者席

 進行係の女性アナウンサー。上手だった。

主催者代表挨拶。フォーラム実行委員代表。(一社)東北経済連合会会長 海和氏。

共催者代表、秋田県知事佐竹氏。

来賓代表。国土交通省東北整備局局長 津田氏。

意見発表。新潟県村上市観光協会専務理事 澤氏。

観光資源が良くても、交通体系が必要。村上市は新潟県と一緒に関西方面へ観光誘致に出かけたが、新潟県への印象では佐渡の他は知らないと言う結果が出た。それと、出かけるにどれくらいの時間が必要かを聞かれ、電車でも飛行機でも遠いと言われた。距離が短縮しない場合は強烈な行ってみたいと言う気持ちにさせないといけない。

村上市では3月と9月に、お雛様と屏風を町屋に飾って、通りを歩いて巡る企画を行っている。ここ数年は数万人が行き交う行事になった。今までの観光と地域に根ざした観光が必要。情報発信を広域で行えば、それだけ観光が広がる。日本海側は夕陽ラインのネットワークがある。それを利用して、関東関西や海外からの誘客を見込む。youtubeで断然人気なのか、夕陽が海に落ちる数分の映像なので、夕陽を売りたい。

山形県鶴岡市 庄内コーポレーション常務取締役 大川氏

庄交トラベル40年、昨今の観光成長戦略では、海外からの観光客が増え、2020年には国が4000万人の海外を含む観光客を見越している。人口減少の折、国内外の客を呼び込んだ地元との交流は、他の産業への波及にも繋がる。旅のスタイルが年々変化している。有名観光地だけでなく、地元民との交流や滞在型の観光が増えてきた。山形県では日本遺産が3件にもなった。これを海外首都圏にも伝えたい。いくら観光資源があっても、交通体制や2次交通がないと辛い。ひとつの観光地だけでなく、点と点を繋げた線や面にしたい。

青森県 ホテル青森 代表取締役社長 蝦名氏

青森は意外に海外からの旅行者が多い。空路、鉄路(新幹線)を見ても、北海道との距離が2時間を切るなど便利だ。空路では中国天津とは1995年から、ソウルとは22年ぶりの新航路が出来、週2便となった。台湾からも週2便が来年3周年を迎える。また、海路ではクルーズ船が23隻/年と増えた。冬期観光では客足が落ち込むが、冬の八甲田山の樹氷も観光に大きな位置を占めている。山形の蔵王や秋田と連携し、3箇所を巡る樹氷ツアーを含めて観光に繋げたい。樹氷フォーラムを行っているが、来年は青森が担当県でもある。青森には十和田湖や奥入瀬などの資源は多い。入り込み数を増やすにも、日沿道は不可欠である。

秋田県 臨海食品協同組合理事長 秋田みなと復興会会長

秋田港は土崎を拠点として港の整備促進や港の応援団として動いている。上部団体もなく、補助金もないが、要望書や陳情なども積極的に行っている。土崎は雄物川の河口で舟運と海運、北前船の寄港地で栄えた。この度北前船の寄港地で日本遺産の認定を受けた。秋田港としては重要港湾、拠点港、コンテナ船の増大、火力発電、大型クルーズ船19隻/年の寄港で元気になっている。

土崎では、土崎神明神社の山鉾屋台がユネスコ文化遺産にも認定された。日本海側の町はそれぞれ似ている所がある。動く商業施設である北前船のストーリーを利用し、時を超えて手を携えて行きたい。機会を捉えて地域の魅力や観光価値を伝え、観光元年として土崎を取り戻したい。祭りを通して酒田との繋がりも出来た。

日沿道で繋がり、クルーズ船で繋がり、移動時間を短縮した交流を望む。

記念講演の上田寿美子氏は、撮影禁止だったので、パンフレットを貼ってみる。

講演は画像を流し説明をしながらだった。クルーズライターならではのレアな写真が披露され、豪華客船が造船中と処女公開前での違いが明らかになった。客室は無論のこと、レストラン、劇場、レセプションルーム、大浴場、プール、スケートリンク、メリーゴーランド、セントラルパークならぬ公園も準備され、無い物がないほどの設備だ。高さを活かした滑り台(スライダー)には、単に滑るだけでなくお化け屋敷並みの恐怖アラカルトも設けられ、飽きることなく毎日が過ごせるようになっている。

日本では豪華客船と銘打って、お金持ちでないと船旅は出来ないと言う印象がある。現在はそんな事はなく、逆に交通費と宿泊費と食事費、イベント参加費が一緒になって楽しめる、安い船だと1万円/日から乗船出来ると言う。現在世界のクルーズ船は300隻を超え、年に1隻以上のスピードで造船されている。しかもどんどん船体は大きくなり、寄港できる港の整備もそれに併せて大きくなっている。

客室も、一般的なものから超豪華まで、執事付きサービスも設けられている部屋もある。客は寄港地毎に外へ出てオプショナルツアーに参加できる。寄港地では地域色を活かしたお出迎え隊やお持てなし隊が嗜好をこらしているのも嬉しい。ただ、オプショナルツアーでは、2次交通が出航時間に左右されるので、交通停滞や高速道路が整備されていないと、寄港客に不便をかける。個人的なタクシーなど、出航時間に遅れると船は無情にも出航するが、オプショナルツアーのバスだと待っていてくれる筈である。

クイーンエリザベスが英国から処女航海した時には、命名したエリザベス女王陛下が立ち会い、乗船客の10%が日本人だった。日本と英国は島国やロイヤルファミリーがいる面から似ている。この10%の日本人を受けて、日本への航海が良いのではと船会社が考えた。日本人は礼儀正しく、寄港地となっても綺麗で安全で優しくてと評価が上がった。船内では寄港地近くになると、その場所にちなんだ舞踏会を行う。仮面舞踏会だったり正式なものだったりと、長崎に着く時にはマダムバタフライに分した客達が踊って楽しんだ。ダンスが出来ない人には、日中ダンス教室も無料で参加出来る。飛鳥Ⅱでの青森港寄港では、客達の席が青森ねぶたの会場に設けられ、「はねと」として踊りに参加することも出来た。

帰りのバスの中では、ビールやハイボール酎ハイが配られた。それを飲みながら、ワイワイと語り合う。

本庄市あたりから見た鳥海山。

御崎公園を越えた辺りで、夕陽がすさまじい事に気がついた。まるでパチパチ跳ねる花火のようである。右に飛島が写っている。

こうして日は暮れていった。

 

 

 

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新潟の茶豆

2017-09-04 11:25:24 | 食べ物

新潟の茶豆のお裾分けを頂く。

なるほど、だだちゃ豆の形に似ている。味はーー美味しかったぁ!

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