ネットが荒れていると友人に忠告されましたが、人は何とでも言うよと気にしていませんでした。が、尊敬する百田尚樹先生に痛罵されていると知り、これまでの経緯を投稿しました。今回も一時は出馬を諦めたように、政治家に恋々としている訳ではありません。これからも日本の為という信念は曲げません。
— 中山なりあき(中山成彬) (@nakayamanariaki) 2017年10月16日
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(※痛罵って、良くない言葉なのだそうだ。)
民進党が分裂して幾つかの党に移動した。都民ファーストの党首が作った希望の党にも移動した。すると、最初の憲法改正の話も変わってきた。これだから、難民の移動は気を付けねばならない。
と、その前に、日本のこころの中山夫妻が、自分の党を出て希望の党へ入った。言っていることがコロッと変わって、モリカケだの安倍首相を辞めろと言い出した。この変わり身には正直驚いた。国会議員になる為には、どんなことでもすると言う訳か。陰ながら応援してきたので、尚更に思う。彼は国民からのコメントにネットが荒れていると曰う。しかし百田尚樹氏の言葉には反応する。何と見あげた心がけだろう。国民を馬鹿にするのもいい加減にしろ。
中山夫妻が抜けた日本のこころは、さぞかし弱体化したのではと思っていたら、最近のTVやネットの党首討論で話す中野代表が、まるで国士なのに驚いた。他の人が言えないことをズバズバと言う。短時間に判りやすく明確にモリカケ問題を解説する。愛媛県を例に取り地方を馬鹿にするなとも、希望の党の小池氏を品格がないと言い捨てたことも小気味よかった。何が日本の危機なのか安全なのかを諭す。
ところで、希望の党の小池氏は、自分をずっと支えてくれた若狭氏を切り捨てるつもりなのか。
この2週に渡って土日はS氏宅の塗装の手伝いをしていた。
初日は、辺りが暗くなり始め、塗料の色が判らなくなったので解散。天気の良い日だったので、河川敷には芋煮会の人が溢れていた。
翌日の昼休み、大工さん達が休憩をするので、河川敷で皆でお握りを食べた。外で食べるお握りはとても美味しい。芋煮会に混じって、バーベキューをしている女子大生と見られるグループは、なかなか火をおこせないでいた。
まぁまぁの天気である。
子供達がシャボン玉なんぞを飛ばしている。結構大きくて、なかなか潰れずに遠くまで飛んできた。
川の近くまで行ってみる。
出羽大橋の下に、白いものが・・・。
こんな時間なのに、白鳥がいた。
魚は見つけられなかった。
道路関係のシンポジウムが目白押しで、30日にも計画されていたが、衆議院解散で来賓の方々が参加出来ず中止になった。私は私で、行けなかったのだが。10月7日(土)に行われたシンポジウムは、青森・秋田・山形・新潟の青年会議所が主催で行われる。この日は山形の担当で遊佐町で開催された。
主催者挨拶:酒田JC理事長
挨拶:遊佐町長
挨拶:山形県知事代理
挨拶:国土交通省東北整備局
基調講演:(株)経世論研究所長 三橋貴明氏
衆議院選挙の前に、いらんことぎょうさんゆうとった。ネットで裏事情を知っている人間なら免疫が出来ているが、TVや新聞のみで情報を得る人には野党に心が傾くだろう。本人は講演を面白くする為に、毒をまき散らす。
地方のインフラの遅れは地元選出の国会議員にあること。国土強靱化が必要なこと。日本政府の借金は他の国と違い独自に精算できること。庄内の片側1車線の高速道路は、高速道路と呼べないこと。日本の経済の問題は世界で唯一デフレで苦しんでいること。
経済論に強い三橋氏なので、日本の経済の実態を指し示す。先の日本の借金もそうだが、消費税の使い道は、国民に知らされていなかった。どこぞの党が与党だった時に、消費税は福祉にしか使わないなどと国民をたぶらかしたが、やっぱり実態はその大半が借金返済に使われていた。安倍総理が消費税を上げて、子供達の教育費無料などを言い出したのは変だと思っていた。税金は国民から巻き上げると好き勝手に使われる見本のようなものである。消費税を5-8%に上げた途端に、日本の経済が下降した。グラフで示されると一望なのだが、これにも細工があって値上げ前の駆け込み消費がグラフを押し上げている。その後の消費の落ち込みで、税収は値上げ分を喰った。政府もこれをよく判っていて、一応消費税の値上げを前面に出してはいるが、その裏で「リーマンショックのような事が起きれば値上げはしない。」と言っている。兎に角、財務省が強い。国会議員の個人に対しても飴と鞭をちらつかせて、言うことを聞くように脅していると言われている。
さて、道路のことだが、高速道路の現状はこうだ。
普通の道路網はこうだ。比較されるヨーロッパとでも違いは判るだろう。
三橋氏はJCの講演で全国を回っていると言う。7年前にもこの地を訪れたのだが、高速道路(酒田-遊佐)が7年経っても出来ていないと言った。インフラの講演をして歩く割りに、道路の計画決定から完了まで10年かかることを知らないんだ。
酒田JC副理事長のコーディネートでシンポジウムが始まった。
活発な意見交換があるかなと思ったが、時間の関係で2巡して終わった。
今回、酒田みちみらい女性の会からは、私一人の出席だった。一人でど派手なピンクジャンバーをきるのは、ちと恥ずかしい。
ちょっと浮き世から数日離れていたら、衆議院は解散しているし、民進党は離散しているし、希望だか野望だか判らない党も出来ているし、何がどうなっているのかさっぱり判らない世の中になっていた。短時間でこんなに世の中が混乱することがあるのだと、蚊帳の外から眺めている。
さて、話は変わって家族の話をしようと思う。数年前、私の母の痴呆が進んだ時、勿論徘徊もあったし、人の見分けも付かなくなってきた。「実家に戻りたい。」と言った時には、「じっちゃんもばっちゃんも、ず~っと昔に亡くなったのだから。」と話すと、少しは判るそぶりを見せた。その内、自分の家に帰るのだと言うようになった。早く帰って自分の夫の夕飯の支度をしなければと言う。「貴女の夫は、さっきまで一緒の部屋にいただろう。」と言うと、「あんな爺さんは、私の夫ではない。知らない人だから、お前達も気を付けろ。」と返した。自らも若い娘の時代に戻り、夫も若いままでいるのなんて、ちょっと素敵ではないだろうか。その若い時の夫がこの人である。
父も母も、痩せたり太ったり、歳を重ねたりしたので、見事に変貌を遂げている。90歳近くになれば、変わらない方がおかしい。
昨日、山形県に父の建築士の免許証を返納した。免許証の用紙の大きさがB4で私のよりも大きい。封筒に入りきれずに端を折り曲げると、ボロボロに紙が崩れてきた。免許の公布日が昭和27年になっている。たしか建築士法が出来たのが昭和25年で、最初の頃に試験は通ったはずだ。発行が遅れたのは、免許の申請料が払えなかったから1年遅れだったと話していた。
父は21歳で復員してきてから、家族の為に働き通しだった。俺が働くからと祖父の仕事を辞めさせた。そんな大正生まれの男が、母の元へ旅立った。