日曜日の午前中は、ついにタイヤを取り替える。暑い日だった為、汗が目に入って大変だった。
お昼を過ぎて、市民会館希望ホールへ向かう。
相馬樓の前を通る。
この催しは、ひょんな事で出演者の方からチケットを分けて貰い、中身を深く知らないままに彼の出演する時間をめがけて会場に入ったのだが。
酒田市の一個人が、終日市民会館を借りることの偉大さに驚嘆する。集まってくれた仲間たちや、ホワイエにはまるで学園祭を思わせる出店もあって、大賑わいだった。午前中の歌謡教室の発表会は観なかったが、午後からは酒田にこんなに沢山のミュージシャン(卵も含めて)がいたのかと驚いた。音に厳しい面々なのに、ちょいとマイクからの集音が気になるところがあった。
収穫は、えらく音楽的なセンスのある職人のようなドラマーを見つけた。素人にしておくには勿体ない腕と気になったが、きちんとプロ活動もしていたようで安心する。
帰りは日和山公園を通る。高校生たちが自転車で、小幡の坂を猛スピードで降りてくるのは、見ていて気持ちが良かった。今どきの自転車のライトは、まだダイナモで回しているのだろうか。ならば、このスピードはマックスの光が出ているだろう。風も感じているのだろうなと思った。
夜も遅くなったのに、広場ではまだまだ賑わっている。
今年は花見が延期になった。桜ではなくて、どんな花を見ながらの宴会になるのだろうか。
公開されたイラク日報にあるバグダッド日誌が面白すぎる【自衛隊文学】
自衛隊の日報を公開するなんて、狂気の沙汰だと思っていた。日本には各国のスパイがゴマンといるから、自らその手の内を晒してどうするのかと思っていた。案の定、マスコミは「戦闘があった。」と鬼の首でも取ったように報じている。これも元小泉純一郎総理のせいだ。困ったものだと私は苦々しく思っていた。
ところが、Twitterで流れてくる日誌は、稀に見る面白さだった。暑くて食欲が無いので、素麺を茹でて食べたが、24人分を5人で食べた。コンテナの中を探したら蕎麦が見つかったので、ネギなどのトッピングを集め、蕎麦を茹でて腹いっぱい食べたが、この蕎麦は賞味期限が1年前に切れていて、胃腸の弱い上司には内緒だったとか。日本食の缶詰やインスタントや麺つゆなどが減り、「誰が食った!」と食べ物だけは疑心暗鬼になるなどが載っている。書いた本人は文才があるのだろうと思えるほど面白い。ぜひ書籍化した欲しいほどだ。
戦闘があったと駆けつけると、場所は結婚式で、結婚を反対した花嫁側の親族が威嚇射撃を行ったのが真相だとか。サマワを離れる日、住民たちが「帰って欲しくんないデモ」を行って、他の国の軍人たちから驚かれたこととか。韓国軍の人が意外にいいヤツだったとか。現地でなければ伝わらないことが沢山あった。私は、この面白い所だけ楽しもうと思う。
毎年この時期になると、某国では「ソメイヨシノの自生地は済州島だ。」との声が飛び出す。しかも飽きること無く毎年繰り返される。日本では桜前線と言うのがあって、ソメイヨシノは江戸時代に染井村で品種改良されたエドヒガンとオオシマザクラの混合種で、クローンだから咲く天候と時期に目安が付くと設けられている。それはこどもの頃から教わってきた。
ところが、今年のソメイヨシノは、単一の桜とは思えないほど、咲くのにバラバラだった。寒さと暑さが繰り返され、桜でなくても大変な天気だった。人間だって、体調が悪くなる。
酒田市内でも、とうに満開になった所もある。旧市内では一番遅いだろう我が家の前も、ようやく花開いた。せっかくの土日も、天候が悪くて、日和山公園に集まった人達は気の毒だ。我々のいつものメンバーによる花見も延期された。
桜もそうだが、3日前まではたったの1輪しか咲いてなかった椿も、一気に花開いた。じわりじわりと咲くから楽しみがあるのであって、こんなに一気に満開では味気もあったものではない。
穏やかな日が続いてくれればいいのにな、それならちょっとした夜桜見物にも出かけられるのにと思う。
花よりだんごのキャツがいる。
グリーンハウスが存在した酒田で、先行上映された「世界一と言われた映画館」を総合文化センターに観に行った。14日には計3回の上映がある。その初回に入場したのだが、ホワイエに入ってすぐに大杉漣さんの献花台が設けられていた。
この映画の上映時間は60分強。山形ドキュメンタリー映画祭に間に合うようにと、短期間で作られた証言集である。中には良く知った方もおられたし、同級生の顔もあった。皆それぞれにグリーンハウスを思う気持ちは熱い。映画の開始前に流れたムーン・ライト・セレナーデは、単に音楽と言うよりも、グリーンハウス内の珈琲の香りと一緒に、あの華やかだった記憶を甦させる。
総合文化センターの劇場に集まった人は、年配の女性が多かった。40年前に失われた映画館を、若い人達が知らないのは道理だろう。スクリーンに映る写真や音楽、それに証言で、懐かしさを満喫していた。
初回の上映だったので、映画が始まる前の監督の挨拶と、終わった後に監督とプロデューサの対談を観ることが出来た。短期間でこの映画を作った為に、写真などの資料が少なかったこと、一部画面には映ったが、グリーンハウスの図面が平面図しか手に入らなかったことが悔やまれるようで、第2弾を作る為にも資料の提供が欲しいと話されていた。特に図面では立面図や断面図があれば、3Dでグリーンハウスを蘇らせることが出来るとの呼びかけがあった。私は帰り際に、A設計事務所を紹介した。構造設計の面から彼はグリーンハウスに携わっていたはずだから。ただ、昔のことゆえ、図面が残っているかは定かではない。
もしかすると、消防署に高さ関係のわかる図面が保管されているかも知れないと、プロデューサーの方は言っておられたが、A設計事務所と消防署で図面は見つかったのだろうか。
昭和53年に酒田市が編纂した「酒田大火の記録と復興への道」の中に、出火現場であるグリーンハウスの記事が載っている。その中に、消防署で作成したグリーンハウスの模型の写真があった。記事には図面が無くて、証言を集めて模型にしなければならなかったとある。この模型は現在も残っているだろうか。40年も昔のことだもの。
遊佐町を案内して頂いた。ここは升川の三上神社。この隣には、地元は勿論のこと日本の為にも尽くされた先駆者の碑が立っている。
公民館前のお地蔵さん。
昼食会場の床の間。
永泉寺前の湧き水。遊佐町は湧水が多い。
永泉寺は格式の高いお寺である。今回、始めて建物の中に入り、説明をして戴いた。
丸池様に向かう。
牛渡川の上にはコブシの花が咲いていた。
バイカモの花はまだ見えない。相変わらず水は綺麗だ。左の奥に、黒いビニールで囲んだ一角があった。あれは何をしているのだろう。
丸池様の廻りは、綺麗に整備されていて、茶色のロープが張られて近くに寄ることが出来なかった。観光客が多くなって、危険を回避する為の措置だそうだ。つまらないと言えばつまらないが、自家用車は言うに及ばず、大型の観光バスも多くなり、多くの人が訪れるようになったからだ。特に大型バスは、吹浦から直接来る広い道路が無い為に、狭い県道と言うか農道のような所をくねくね曲がって走らねばならず、運転に苦労しているそうだ。道路の幅が狭い上に、集落の道路にせり出した樹木の枝がバスにぶつかると、民家の方に伐採を協力してもらったそうだが、問題はまだあり、牛渡川の駐車場にはUターン出来る所が無い為に、バックで農道を走ると言う、げに楽しき運転技術が見られるそうだ。
県道がこれまた整備されておらず。近道をしようにも、重量制限の為に渡れない橋もあるとか。バスはもとより重機の運行も難しいなど、良い観光資源があるのに、広い国道や今度造られる日沿道は目と鼻の先なのに、悔しい想いをしているらしい。
と言う訳で、本題の道路のことで遊佐町の現状を見て歩いた。
何十年も前から要望されていても、運だったりタイミングだったりが合わないと進まない。
日沿道の用地。
遊佐IC(仮)近く。
JR羽越線。コンテナ貨物列車が走って行った。
おまけ:丸池様の廻りのスミレ。
中山河川公園の桜祭りに参加した。風は冷たいけど、お天気になって良かったねと思ったのも束の間
式が始まる頃になると、空はだんだん雲行きが怪しくなって
主催者や来賓のご挨拶が始まる頃には、ポツポツと雨が降り始めた。
観客はフードを被ったり、襟を立てたりして寒さを防いでいる。
ついに、テントも到着した。
風が強いので、テントの脚は重しの他、飛ばされないようにと人が押さえている。西の空が明るくなった。
桜祭りの乾杯で、老舗の甘酒が振る舞われた。暖かかった。
楽器に雨が当たって、慌てて避難したアンサンブルが再び登場して、演奏が始まった。
この桜並木は、現天皇陛下が皇太子殿下の頃のご成婚記念で植樹されたのだと言う。
今年の桜は、お天気がクルクル変わるせいで、咲くのか散るのか、とても心配したのだそうだ。
夜桜のライトアップも綺麗だそうだ。
ペレットを積むので、ペットボトルは6本だけにした。2.7Lの爽焼酎のボトルである。酒造りが始まると、タダで貰える水量は落ちる。蛇口も1箇所なので、何人もの人が順番を待っていた。
全国的にも有名になった水だ。
竹の露も美味しいお酒である。ここの酒蔵で、出来たての吊しの原酒を味見させて貰ったことがあった。おっと、そんなに沢山は呑めねぇ。
先代の社長さんに「凄い蔵ですね。」と建築が仕事だと言うと、蔵の2階を案内して頂いた。大きな欅の梁が見事だった。日本酒の蔵巡りの最中なのに。
白いキクサギイチゲの傍に、2輪だけ咲いてた薄紫の花。左側のはその内の1輪。もう1輪は、向こう側を向いていた。
畑のあぜ道には、ワケギが生えていた。風が強い。