無題・休題-ハバネロ風味-

私の視線で捉えた世の中の出来事を、無駄口、辛口、様々な切り口から書いてみました。

馬場の魚ダシラーメン

2022-10-12 08:32:51 | 食べ物


始めてラーメン馬場に入った。
美味しいと噂に聞いていたのは移転前の話で、移転してからも年月が経っていた。
一人で入る時には、どうしても「いつものラーメンか、ワンタン麺」を食べる。
新しく開拓しようとしないのは、私が歳をとったからなのだろう。冒険が出来なくなった。

店内も和風の蕎麦屋を連想させる小綺麗な室内だった。昼時なので、混んでもいた。
お薦めの魚ダシラーメンを頼む。麺は縮れの細麺にした。
あー、美味しかった。麺が手作りぽくて面白い。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

菊芋の花

2022-10-12 08:32:26 | 動物・自然

菊芋の花の黄色は、見ているだけで元気が出てくる。
ただ、せっかく咲いたのに、天気が悪くて花びらが傷付き、茎が倒れて花の向きも悪い。
ああ、今年は一度もヒマワリを買わなかったなと思う。



これは浜菊。昔は海岸沿いの松林の中に自生していたと言う。
一度も見たことがない。買ってきて植えたら、茎が樹木の枝のように固くなった。
もう少しで捨てられる所を、場所を移してようやく咲いた。
普通のマーガレットとは、開花の時期が違うんだろうなと思った。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

コバエホイホイ

2022-10-11 14:39:55 | 動物・自然

PCの画面を見ていると、目の前を小さな虫が飛び交う。
飛蚊症ではなく、本物の虫のようだ。
コバエは1匹見つけると最低でも10匹はいるという。
その内、コーヒーの入っているカップの縁を、横歩きしている。激怒!!

なので、トラップを作った。プラスチックのコップに、ビールと米酢を入れて置く。
続々入場。30匹ほど捕獲するも、効率は悪いし、見栄えも悪い。

ネットでコバエとりを検索し、近くのドラッグストアに向かう。
ネットの人気N0.1のコバエホイホイの2個入りを手に入れる。

事務所のキッチン付近と、PC付近に置いた。簡単に捕獲できる。
容器の先端が、コバエには堪らなく停まりたくなる形なのだそうだ。
隙間も好きらしい。中には美味しそうなゼリーが入っている。
成分が何なのかは判らないが、ゼリーに触って助かったモノはいない。
捕まったコバエの姿は、閲覧注意になるので載せない。

こうして平安な毎日が戻った。
どこからやって来たのかの原因究明は、ちょっと思い当たる節がある。
それも秘密だ。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

一気に冬に

2022-10-09 14:48:58 | 動物・自然


鳥海山に初冠雪のニュースが入ってきた。
気温が一気に下がり、耐えられなくてストーブを出す。


頭上を白鳥の鳴き声が通り過ぎていった。


海は荒れて、時々高波が道路を襲ってきた。


数日前までは、暑くてエアコンが冷たい側に回していたのに。


まぁ、10月だものね。


この日は、きっとニュー飛島は欠航しただろうな。
ただ、ギザギザに見える水平線に、大きな船の影が浮いていた。


鶴岡市大山のいろは食堂のラーメンは、暖かくて優しい味だった。
ここのスープは、いつまでも飲んでいたいと思う。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

メダカの引っ越し

2022-10-08 14:27:57 | 動物・自然

水槽の清掃をした。夏の暑さがたたって、親メダカが相次いで亡くなった。
何だか、いつもよりも長生きしないなと思った。
ここには、親と子メダカが入っていた。
隣に育成中の孫メダカも大きくなったので、三世代同居にして、小さな水槽は片付けようかと考えた。


綺麗に洗って水替えをして、貝もいるので水を入れっぱなしにしていたら、ひ孫メダカが孵化した。
これから冬に向かうのに、2-3匹のメダカは寒くて冬を越せないだろうと、親子の水槽の水草をこちら側に移した。
多分、その水草にも卵は付いているだろうと予測したのである。


うまく写らないが、曾孫メダカが続々と孵化している。
孵化した時間差があるので、個体の大きさはまったく違っている。


せめて3週間、このまま放置して、水草を元の水槽に移すつもりだ。
突然変異で、面白い色のメダカが誕生したら良いなと思う。
そんな上手い話はないだろうが。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

北前船と酒田・飛島

2022-10-07 09:51:19 | 歴史


10/6と10/20の2日に渡って開催される「酒田光丘文庫講座・北前船と酒田」の初日である。
2日目は、飛島を中心に行うので、今回は飛島を除いている。
庄内酒田古文書館長の杉原丈夫先生の講座だ。


飽海地域歴史研究会で、丁度酒田商人と廻船問屋、酒田湊のことを勉強している。
こんなに酒田湊が大きくて、船がどんどん入ってきたのに、酒田にはその記録の文書が見つからない。
酒田の町年寄の「鐙屋の文書」を最近読んでいるのだが、公的な町年寄の方の文書はあっても、実際営んでいた商家や廻船問屋の部分がない。
鐙屋に限らず、酒田の商人達の営業の記録がさっぱり見つからないと、大変に不便な想いをしていた。


ところがである。宮野浦の阿部家(船宿と水先案内人)から、7冊もの船宿帳と500以上の文書が発見された。
酒田湊と交流をした先が、鹿児島から北海道まで、幅広く行き来していたことが判った。


そして、会場に掲げられていた古文書は・・・。






庄内藩の酒井家から出た史料で、酒井の御城米船に結びつく物だった。
杉原先生は、この古文書4枚を20万円で買い受けたそうだ。


阿部家文書の船宿帳は、最初は工藤あいおい美術館の工藤さんが求め、それを酒田市の資料館に、その後酒田光丘文庫に保管されている。
酒田湊を読み解くためには重要な文書である。



古文書も、少しづつ読めるようになると面白い。



(上の講座中の写真は、杉原先生から頂きました。)


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

何だろう??

2022-10-07 09:50:47 | 

私の前を走っていた車が、海鮮市場近くの麺屋方向に曲がっていった。
なにか後ろに書いてある。何だろう。
「バンエナジーYou Tube・チャンネル登録してね」だって。

改造したバンで、日本一周の旅をしているらしい。
ちょっと羨ましい。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

美味しい海の幸

2022-10-06 17:45:12 | 食べ物


漁で捕れた獲物を頂く。
これはヒラメなのだが、名前がわからない。
煮付けにして頂いた。煮こごりが好き。


もう一方の袋には、紅ズワイガニが入っていた。
味噌汁は止めて、塩で茹でた。
身が甘くて美味しかった。2日続けて食べたら、身体からカニの匂いがした。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

Q1(きゅういち)

2022-10-06 17:00:11 | 建築・都市・港


山形のやま七でお蕎麦を食べた後、Q1に歩いて行った。
駐車場が小さいのと、歩ける距離かもと思ったからだ。
Q1は、旧山形市立第一小学校の校舎を利用してリニューアルされた施設だ。
初期のRC造(鉄筋コンクリート造)の建物で、壁厚も基準よりも厚い。
取り壊すか、保存かで山形市も悩んだが、各教室を若い起業家向けのスペースに貸し出したらどうだろうとの考えから現在の形になった。






ここでお茶でもと思って入ったが、まだ開店していない所や休日の所が多くて、外の傘付きテラスで話し合いになった。



七日町の御殿堰である。


大堰を挟んで、防火地域なのに木造の建物(長屋)が並んでいる。
なかなか素敵な場所なのである。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

国指定史跡 小山崎遺跡

2022-10-02 20:12:24 | 歴史


ついに、遊佐町の丸池様の隣の小山崎遺跡の講座になった。
大好きな縄文時代。三内丸山遺跡に魅せられてから、縄文と聞くとウキウキしてしまう。
争いがなく、人々は集って暮らしをしていた。
万物に魂と神が宿り、先祖も近くに埋葬。ましてや子供の墓は寂しくないようにと最も住居から近い場所に形作った。
貝塚と言うと、一般の人々はゴミ捨て場と勘違いする。そこに埋められているのは、貝がらの他、祭事で使われた物や動物の骨と、人骨まで発掘される。
これも全ての物に神が宿るとされる、日本人に組み込まれたDNAと原風景が伺われる。

狩猟を中心にした石器時代と異なり、縄の跡がある土器を造り、生や焼く以外の煮炊きが出来るようになったのは、劇的な発明だった。
食べ物の消化がよく、煮炊き以外にも食べ物の保管にも役立つ。どんぐりや栗も発見されたが、どんぐり等は芽が出ないように先端を潰して保管した。



縄文時代は、約16000年前の草創期から晩期約2400年前までの6つの時期に分けられる。
小山崎遺跡は、早期約11500年~7000年前から、晩期の2400年前の、約4000年の長きに渡って継続して営まれた遺跡である。



遊佐町には現在210箇所の遺跡があり、その半数が縄文時代の遺跡で、山裾に位置する。
なぜ平野部に無いのかと言うと、縄文時代は現在よりも気温が高く、海水面が3-5mほど高かったからである。
平地は古くは海の中、段々干上がって陸地になったので、山裾にしか存在しないのである。

三内丸山に比べるべくもないが、小山崎遺跡は見事な縄文遺跡だった。


鳥海山の湧水のお陰なのだろう、土に埋もれた遺物は冷たい状態で保管され、特に木製品は腐らずに発掘された。
水際で仕事をする為の道路や土木工事も行われ、木杭や敷き詰めた丸太材も、きちんと残っている。
石鏃(せきぞく・石の矢じり)や石匙(いしさじ・ナイフ)には、木柄に繋ぐ部分にアスファルトが付着しており、さらに紐で堅固に固定したと見られている。
この遺跡から約13km離れた旧八幡町湯の台(鳥海山荘付近)に、アスファルトが産出している。
もっとも、日本海側にはアスファルトは豊富なのだが。

縄文時代は、日本各地様々な所と交流があり、糸魚川の翡翠、長野県星ケ塔の黒曜石、信濃川流域の火焔土器も発掘されている。
火焔土器と言うと九州が有名だ。あんなに遠くからと思うが、日本人の祖先は海を渡って日本にたどり着いた海洋民族なのだから、当然なのだろう。
遺物に木製の船のオールも見つかったそうだ。



三内丸山遺跡で、漆塗りを施されたポシェットがあった。あんなに昔から漆は使われていたのかと感動した。
小山崎遺跡でも、漆塗りの作業用に使われていた土器や、赤漆(内側3層、外側4層)の木製品が発掘された。その形を見ると、生活の為に作られたとは考えられない。
恐らく、祭事に用いられたのだろう。糸玉もしかりである。
この赤漆の木製容器は、発見した当時は鮮やかな赤だったが、空気に触れて時間が立つと、どんどん変色しくすんでいったそうだ。

竪穴住居は、随分と急な斜面に建てられていたそうで、どうしてと言っていたが、多分洪水や津波から守る為に平地には造らなかったのではと思う。
美しい小物の遺物も、大掛かりな土木工事も、何千年も昔の方がより人間的であり、人類は進歩していないのではと思わせる所が、縄文時代好きにはたまらない。

遊佐町のHPと、山形県博物館には、この小山崎遺跡の詳細が載っているそうだ。
最初は遊佐町で発掘調査され、後に山形県が主導を取り、令和2年3月に国指定になったので、逆に自由に調査できないことになった。
それはそれで残念だと思う。なお、遺物の一部は県の博物館に展示、遊佐町では残りを保管はしているものの、一般には展示していない由。
そこは残念である。いずれはきちんと整備する為に、「史跡小山崎遺跡整備基本計画」を令和4年度より策定委員会を立ち上げているそうだ。
沢山の人達に見てもらい、知って貰いたいそうで、私も楽しみにしていようと思う。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

真っ赤

2022-10-02 16:32:05 | 社会


思えば、芋煮会の時に「顔が真っ赤になっているよ。」と言われる。
「ビールを飲んだからだわ。」と返事をするも、その真っ赤は時と共に広がっていった。
やま七に行った時も少しは腫れていたが、山形最終日の理事会の時は顔全体と首にも広がり、ひたすら水を浸したテッシュで火照りを押さえていた。


この日も暑かった。山形の西バイパスが混んでいて、またしても会議に遅刻した。
10月の末には、大石田IC-東根IC間の高速道路が開通して、新庄から米沢-福島も全線繋がる。
ああ、これで遅刻しないで済むようになると思ったが、まだまだ酒田-新庄間はぶった切りの状態だ。
相変わらず、庄内は陸の孤島と化す。


会議の翌朝、鏡を見ると目が開かない位に、顔中が腫れていた。  
これは医者に行けと言うことだなと、一番に皮膚科に行く。
ヘアカラーで顔と首を腫らした以来の通院である。
先生に「洗顔は、石けんを薄く。擦らないように。あと、化粧は無しね。」と告げられ、飲み薬とチューブに入った軟膏を戴く。
これが劇的に効いた。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする