無題・休題-ハバネロ風味-

私の視線で捉えた世の中の出来事を、無駄口、辛口、様々な切り口から書いてみました。

飽海地域史研究会 本間家編

2022-11-29 18:34:33 | 歴史


鶴岡市在住の早坂氏が、本間四郎三郎光丘の書状を手に入れたそうで、今回はそれを読み解くと共に、小野寺先生から本間家について講演をして頂いた。


右側が小野寺先生。掛け軸の軸の部分に本間家所蔵の書付と印がされているのを確かめている。
書状の筆跡が、他に残っている光丘の筆跡と比べて、間違いないそうだ。
酒田市史第一と鐙屋古文書を習っている身としては、鐙屋を始めとする酒田36人衆の上純然たる位置に陣取って采配を振るっている本間家の存在は、揺るぎないものであった。



何故「本間様には及びもないが、せめてなりたや殿様に」と詠まれるようになったのかがわかる史料の一つだった。


本間光丘が四郎三郎と名乗ったのかは、酒井家の財政を面倒見なければならなくなった代わりの身分保障で、武士帯刀の名を授かったのである。
この光丘の時代に、酒井家は天文学的とは大げさであるが、財政難で首が回らなくなっていた。借金に次ぐ借金。利子を借金で返すなど、無理な財政運営を行っていた。

庄内に酒井家が入部すると同時に、酒井家と共にやって来た御用商人や豪商は、この借金(代金は払って貰えず、代わりに借金まで頼まれる)為に、軒並み倒産の憂き目にあった。
そこで酒井家は酒田の本間家に、その代わりを勤めよと言う訳である。
本間光丘は度々鶴岡にも呼び出されるが、この書状は江戸へ呼び出された後のものである。



文中に三味線堀とあるのは、浅草近くの各大名屋敷がある場所の事で、庄内藩に関係する屋敷は3箇所もあった。
中央上に「松平下総守」がある。これは酒井忠徳の伯母で、桑名藩松平忠刻に嫁いだ清暁院(菅姫)の屋敷で、ここの運営に使われる金子も庄内藩の持ち出しだった。
左側に酒井左衛門尉とあるのが、酒井家下屋敷で母親が在住。
右側の寺町の近くに酒井大學頭とあるのが、酒井家中屋敷で祖母が在住。
この3箇所の財政を、本間光丘に何とかせいと言うのである。
国元の財政も赤字続きなのに、江戸表はその2倍もの金食いで、度重なる大火にも襲われ膨大な負債を抱えていたのである。

さすがの本間家も、湯水のように金が湧く小槌は持っていない。
江戸に出向いたものの、上方の商人などに融資を持ちかけても、良い返事は貰えなかったと、安政3年8月に組頭宛書状を送ったのである。
光丘は、この後7年をかけて整理完済をおこなっている。その負債額は3万両と記されている。
今回の褒美に酒井家から光丘に時服(綿入れの小袖)と金10両を与えられ、国元に帰っている。(ええっ~それだけですか。ちなみに10両は現在の百万円ほど)
その後の江戸藩邸の負債整理事業は辞退しているようだが、一介の商人が藩の財政を背負わされる、その魁となった書状だったようである。



おまけ:碓井姫の木像
はじめ長沢松平家の松平政忠に嫁いだが、政忠の戦死後に「徳川四天王」に挙げられる酒井忠次の妻となった碓井姫。
酒井家庄内入部400年記念講演で、徳川清康(家康の祖父)と美人と誉れ高い妻の華陽院の娘の唯井姫で、これまたミス三河 の美人さんなのである。
鶴岡市の大督寺 に収められている。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

女性防災リーダー育成講座フォローアップ研修会

2022-11-29 11:24:38 | 防災


11月26日、R3とR4に受けた女性防災リーダー育成講座のフォローアップ研修会が開催された。


今回は地震と津波の想定で、避難所における簡易ベットと簡易トイレの作り方を教わる。


マニュアルを見れば、誰でも作れる。



今回はテープで固定せずに、あくまでも簡易に行った。





箱を組み立てる。


内部に補強を入れる。


並べた隙間にも補強のダンボールを入れる。
折り畳む蓋の下にも、長い繋ぎのダンボールを敷く。


箱の数は3x4=12個。その上に広いダンボールを敷いて出来上がり。
結構な重さにも耐える。人間2人は楽ちんのようだ。
東京オリンピックの時の選手に、わざと壊した人がいたようだが。


別の班は簡易トイレ。テントを広げる。


使用中の札があると便利なんだとか。



広げるよりも畳むほうが難しい。
押さえていないとバネのように広がろうとする。


畳んだサイズ。


簡易トイレ





どの位耐えられるのか。


ワークショップの意見発表。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

束の間の暖かさ

2022-11-28 23:51:32 | 動物・自然


明日は気温が18℃にもなるらしい。





















粟島が見えた。





コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

トマトと玉ねぎ

2022-11-24 10:10:52 | 食べ物


塩麹を使って随分と経った。使ってみて非常に便利なので、無くなっては作りを続けてきた。
何にでも使えるのだが、特に肉料理では事前の漬け込みで、驚くほど肉が柔らかくなる。
もう、塩麹なしでは料理は出来ないと思うほどである。

ある日、つらつらYou Tubeを聞いていると、変わり種の4種の塩麹の作り方を流していた。

トマト塩麹、玉ねぎ塩麹、にんにく塩麹、きのこ(椎茸、舞茸、しめじ)だった。
何でも入れて出来るんだなと思いながらも、ちょっと味の想像がつかないでいた。
ならば、作ってみようと、百均でガラスの容器を買い、麹と伯方の塩を買い、秤を準備して分量をネットでぐぐる。
トマトは生のトマトを切ったり擦り下ろしても良いし、トマトジュースを使っても良いそうだ。
玉ねぎは分量を擦り下ろす。これが・・・・・。マスクの中が鼻水と涙でグショグショになった。
こんな時はフードプロセッサを使うに限る。

それで出来たのが写真の2本。毎日1度は空気を入れる為にかき混ぜる。
トマトの方はあまり匂いの変化はないが、玉ねぎの方はツンとした匂いが少し穏やかになった気がする。
トマト塩麹は、オイルと混ぜてドレッシングにも使えるし、スパゲティ料理にも便利なそうだが、果たしてどうだろう。
玉ねぎの方は、肉料理か煮込み料理なんだろうなと思う。
塩麹の漬け込みは夏は1週間、冬は10日から2週間だ。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

11月19日

2022-11-22 10:24:16 | 食べ物
朝もはよからホテルを出て上山市に向かう。
目的はコストコなのだが、その前にPayPayでガソリンを入れる為だ。
もう少しタンクが空になれば良かったのだが、そうも言ってはおられず、前日に調べておいたスタンドへ向かう。

ナビは、最短コースを示してくれたのだろう。
上山と言う城下町を、あっちへ行ったりこっちへ曲がったりと忙しい。
大きな道路をどーーんと行けば、時間的には余程近かったのにとも思う。
それでも、家並みの隙間から望む上山城は綺麗だった。
鶴岡市も酒井藩の城下町だけど、城は取り壊しにあったので、石垣しか残っていない。


鶴岡や酒田のある庄内では、相変わらずガソリンは170円台から下がらない。
山形市は150円台も軒並みで、コストコも140円台に下がっていた。
それでも、上山市はPayPayの30%バックで、160円だとしても日本一安いのだそうだ。
その後、「ここに寄ったら良いよ。」と教えて頂いてた産直野菜の安い店「トマト」にも寄る。野菜は新鮮でそんなに安くはなかったけど、ここもPayPayを使うことが出来た。
コストコにも寄った。開店の10時ちょっと過ぎなのに、駐車場は残すとこ(のコスコトだって!)10数台の大混雑だった。店内も同様。

昨日、来るときには高速を走ったが、帰りは13号線を走る。ポポラにも寄ってりんごを買う。
本当に、りんごやラフランスは、他県の人や庄内の人が可哀相だ。明らかに良い品が安く豊富にある。



ついでに、大石田の千本団子にも寄る。いつも時間に間に合わず、肩透かしを食っていた。
今日も凄い行列なんだよ。雁木と言うか外廊下と言うか、そこに50人以上の人が並んでいた。
これだから閉店が早まるはずだ。若いカップルや家族連れが多かった。
車のナンバーも県外が多い。そうか、今日は土曜日だものね。

やっと人が活発に動けるようになって、良かったのだと思った。


コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

11月18日

2022-11-20 19:43:52 | 建築・都市・港


(一社)山形県建築士会創立70周年を祝う会、並びに山形支部創立70周年記念事業が、山形駅前のホテルメトロポリタンで開催された。


このホテルは、過去に山形市で建築審査会の全国大会が行われた時に、事例発表をした場所だった。
見ている外への角度が同じだから、きっと同じ会場で行われたのだろう。



コロナ禍の為、1つのテーブルに二人掛けで、随分とゆとりを持った大きな会場に仕上げられていた。
本来なら70周年記念大会も、自粛の道を歩む所だったのだが、山形支部の70周年を祝う事から、県での行事も抱き合わせすることに急遽決まって、慌ただしく今日の日になったのである。


と、その前に、宿泊するホテルを山形駅西側のルートインにし、ホテルから駅に向かって歩いている時に、歩道のレンガの上で動くものを見た。
すっかり枯葉色に変わったカマキリのメスが、お日様の光で温まっていた。
踏まれたら可愛そうと、広場の方へ動かしたのだが、植栽のある辺りまで連れて行った方が良かったのかと、今になって思う。
それより、飛べよ!羽が着いているんだろ!!


来賓の方々も席に着かれ、大会は始まった。
建築士会連合会には「綱領」がある。今回はそれを朗読して貰ったのだが、たった3行の綱領なのに、ミスプリントが2箇所もあり、読んで貰っている文章と、渡された書類のの物が違う、「すわ、間違えたか。」と戻ってきたY氏の原稿を見ながら、これはミスプリントだね。
しかも、何年も変わらずに間違えていたことが発覚。


記念大会は着々と進み、連合会会長の近角氏の記念講演になった。





今までの作品の他、横浜市の求道会館のヘリテージを用いたリニュアルの話。
山形県の最上川舟運による、特殊な地域性とSDG2を絡めた話題の提供があった。


大会の後、16:30から祝賀会に入る。平向名誉会長に感謝状が授与され、コロナ禍で各団体から表彰されたにも関わらず、授賞式が出来なかった方々の為に、表彰者の紹介と授与式が行われた。


宴会が始まる。日本酒はどれも美味しかった。
中央の池田は、秀鳳酒造作だが、大吟醸の香りと味がした。東北泉は遊佐、右側のやまんと桜の純米酒は庄内町の産だった。
山形県は日本酒がうまい。全国的に有名なのは十四代だろうが、あれは県外の人たちが喜んで飲む酒なのだと、そんな話になった。
酒田市の楯の川酒造の「百光」も、とんでもない酒である。


祝賀会が終わったのは何時だろう。


何故か疲れたので、とっととホテルに帰ってきた。
酒田からは4人が各自バラバラに参加した。
二次会に行った人はいたのだろうか。
山形もコロナ感染者の数は減らない。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

米粒写経 談話室 2022.11.09 ~家康に会った!~

2022-11-16 14:32:47 | 社会
 

米粒写経 談話室 2022.11.09 ~家康に会った!~
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

28年前のガウディ研究所

2022-11-14 01:00:05 | 建築・都市・港
多分、グエルさんの別邸だと思う。ここのドラゴンの門扉が見たくて6/12人はやってきた。
行きはホテルから歩いて来た。
途中工事中の建物を見て、スペインの建物は日本と比べ物にならないほど、梁も柱も細いなと思った。


「道が判らなくなったら聞けばいい。ただし若くて美人の女性に限る。」と言う2人の男性の矜持の元に、すんげぇ美人(写真あり)に尋ねて、無事に着いた。
地元の日本人の添乗員の言うことには、バルセロナはフランスにも近く、スペインとフランスの血が混じった見目麗しき女性がワンサカいるそうだ。
確かにそうだった。バルセロナを離れたくない人のいかに多いことか。


鍛冶屋の息子だったガウディは、鋳造の飾り物や金物に凝っている。
わぁーい本物だと皆できゃっきゃしていると、左のドアから2人の女性が現れた。
「日本人?」と聞かれて「はい」と答えると、中に日本人がいるから入ってみてと言われる。
多分、門も扉も開かなくて、今日は休みなんだと思っていた所だったのである。



言われるままに中に入り、右側の細い通路を抜けて玄関に入る。
おとなしい番犬。


アーチ型の梁と天井が連なっている。
心地よい空間なのである。


中には田中さんと数名の方々が仕事をしていた。


エライ姿勢で図面を描いている。


田中さんはすぐに判った。
撮影可と言われて、バシバシ撮ってみた。




模型


ガウディは椅子のデザインと設計も行っている。
遥か昔、名古屋城で開催されたガウディ展で、デザインされた椅子とその図面も展示されていた。
図面がとても緻密だったのに驚いた記憶がある。


右足か左足か、決定する階段。
私などは、間違えて落っこちてしまいそうだ。


図面ケースから、ガウディ直筆の図面や田中さんの図面を見せて頂いた。


28年前の田中さん。
残念ながら、現在はこのガウディ研究所は閉鎖されている。
田中さんは個人的に事務所を構えているそうだ。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

28年前のバルセロナの街並み

2022-11-14 00:51:21 | 建築・都市・港

スペインは昼休みが長い。人があっと言う間に街から消える。
初日は、建物がきちんと撮せて良かったと思ったのだが、最後の日にお土産を買おうと店を覗き込んでも、殆どの店が閉まっていた。





これらの町並みは、バスの中から撮したもの。


ピカソが描いた建築大学のパラペット。
中に入ってコーヒーを飲む。



パティオ(ガウディ作品のカサ・ミラ)別行動した2/12人の写真をもらう。


他所んちのパティオ。所謂盗撮である。
綺麗だった。バルセロナでは、こんなパティオが沢山あるのだろうなと思う。


Google Earthでバルセロナの街を見ると、家並みの中心にパティオ(中庭)が必ずと言っていいほど着いていて、ちょっと気持ち悪い。


田中さんが全財産スリに盗まれたと言うランブラス 通り。
中央が歩行者専用の広い道路になっており、左右に車道がある。



ミロがデザインした石畳。
スペインは、芸術家が多い。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

28年前のグエル公園

2022-11-14 00:44:12 | 建築・都市・港

曲面にタイルが張ってある。


最初は破砕タイルを集めて貼ったらしいが、もちろん足りなくなり、後にはきちんとしたタイルを割って貼り付けたそうだ。


この柱は、上の公園広場を支えている。


その天井。


広場


まるでお菓子の家のようである。



バロセロナオリンピックの頃、TVのCMによく出てきたグエル公園の柱。
山の斜面に平行に造られたので、斜めなのである。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

28年前のサグラダ・ファミリア(工事中)

2022-11-14 00:37:22 | 建築・都市・港

鐘楼も小さな物が外回りだけ。
実は工事用エレベータで、特別に上の足場まで載せてもらった。

裏側の受難の門から入る。


受難の門。彫刻がカクカクと角ばっている。


表側の生誕の門。ガウディが生きていた頃に造られたもの。



鐘楼の中は、周りが階段になっている。


実は、ここに来た途端、カメラのフィルムが無くなった。
替えのフィルムをホテルに忘れたのだ。
写真に日付が入っているのは、全て他の人から貰った物。
デジカメが出てくる前のフィルムの時代だった。


内部は工事中。


想像もつかないほど、工事中であった。


地下の礼拝堂は完成していた。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ガウディ・コード

2022-11-10 12:17:11 | 建築・都市・港
過去記事のバルセロナに行きたい!で書いたとおり、11月9日に市村工務店130周年記念の、建築家工学博士の田中裕也氏の講演会に女子4人組で参加する。
高速道路を使ったこととFさんのスムーズな運転のお陰で、受付時間まで悠々間に合った。


なるべく前の方にと席を陣取ったのだが、社長さんから「一番前に席を取ってあるから。」と特別扱いして貰った。
28年前に行った時のあのメンバーが並ぶと言う事なんだが、ちょっと恥ずかしい。


社長挨拶で、彼とガウディ作品との出会いやバルセロナ旅行時の事が話された。
田中氏との接点は、FBらしい。私も後で探ってみよう。


社長と田中氏は、今朝空港へ迎えに行って、その足で山寺の階段を一番奥まで登ってきたのだそうだ。元気だな。


彼が何故バルセロナに向かったのか、製図も嫌い絵を書くのも嫌だの青年が、ガウディ作品に合うまでの波乱万丈の人生を語ってくれた。
建築を意識したのが9歳の頃、兄の作る建築の玩具模型を見て興味が湧いたこと。
大学の間もガウディ作品を見てのカルチャーショックから、建築を辞めようとは考えなかったこと。
大学を出て大阪の事務所に3年居たが、スペインに行こうとその前に自転車で日本一周をするために事務所をやめたこと。



自転車旅行でトラックに煽られ事故を起こし、人々の優しさに触れたこと。
最初は自転車でスペインに行けないかと考え、横浜から船に乗りシベリア鉄道でモスクワ経由でスペインに向かったこと。

英語もスペイン語も出来ない自分が、ともかくスペインに行こうとしたのは、若者ならではの行動である。
スペインに着いて、横浜からの船で一緒になった老夫婦と再会し、バルセロナのランブラス通りを案内している時に、スリに遭い全財産を無くす。
茫然自失する中、老夫婦が10万円を貸してくれた。兄にも連絡し援助してもらう。



地中海の見えるグエル公園に毎日通って、階段に座り続けた。
3ヶ月めを過ぎた辺りで、ふと「この自分が座っている階段くらいは、実測して図面に起こすことが出来るのでは・・。」と思った。
それから、ガウディの作品を図面化することにした。


1年後、日本に戻る。スペインへの公費留学生に応募し、面接の日に病魔に倒れる。
翌年に無事公費留学生となり、バルセロナに向かいサグラダ・ファミリアの実測に当たる。


階段を描くと、その裏側が見えてくる。立体的に他の部分も見えてきた。


サグラダ・ファミリアの図面を起こす内に、この鐘楼や建物自体が一つの楽器ではないかと思うようになった。
鐘楼の1つ1つに7-8個の大型の鐘が入り、協会から2500m離れたガウディの家(グエル公園)まで聴こえるように考えた。
鐘楼の壁から見える窓と格子(台)も外に音を飛ばす道具である。
鐘は8オクターブの音域で考えられており、最大の物は長さ20m、重さ150tだと言う。
鐘を衝くハンマーも4%の重さである。その荷重を支えるものでなければならない。
それらを鳴らすのに、電気仕掛けが必要だったこと。
また音を消音することも必要で、鐘楼の床に穴が開いた部屋を作り、蓋を設けた。


ガウディは自然を自らの教師や師匠とした。彼が目指すのは自然の形だ。
カサ・バトリョからはギリシャ神話やカタルーニャ地中海の伝説の話が見え隠れする。


7つの頭を持つドラゴンは屋根などの上部。瓦はドラゴンのウロコ。
2階の柱はドラゴンに食べられ、野に捨てられた大腿骨で、骨の中央に植物が絡まっている。それは単なる飾りではない。
柱は座屈に弱い。中央部は尚更である。一見装飾に見せて実は構造計算に載った造りである。
ドラゴンから姫を助けた伝説も、サンジェルクの日にはドラゴンの血を意味するバラを贈る行事も、カタルーニャのものである。


2年後、カサ・バトリョを実測し、10年後に図面を完成した。



グエル地下礼拝堂は、ガウディの本来のゴシック建築であり、彼の壮大な実験場だった。
彼はここで、様々な実験を重ねた。礼拝堂付近の松を大幅に切り、1本だけ残す。
それを基点とし、延長にこの礼拝堂が軸線上として残す。


世は産業革命の中、すでに彼はサスティナブルティを考えていた。
本来のゴシック建築のあり方、自然を模した構造の革命。
チェーンを吊り下げ、写真を撮りそれを逆さにして、放物線を建物に当てた。

田中氏は「別に写真に取る必要はなく、下に鏡を置いて同時に見れば良い。」と、日本でも開催したガウディ展で行った。
私が最初に見た名古屋城のガウディ展は、彼の監修だった。









ガウディをオーケストラの指揮者と言う人もいる。沢山の職人を兄弟のような協力者として扱った。
自分たちの得意点を出しながら、お互いに調和して行く。
彼の作る建築は、建築の域を出て総合芸術・モニュメントとして半永久的に残るように考えた。



明日はもっと良い仕事をしよう。最高のものをつくろう。
皆、感性は異なるので、各自が最善を考えよう。
建築に無駄なものはない。好奇心を持って行おう。






サグラダ・ファミリアは当初のガウディの意志を離れて、政治的後押しを受けて変質して来た。完成の時期もそうだ。構造でもRC造にするなど変わってきている。
ガウディ亡き後、ガウディ同等の又はガウディ以上の建築家が引き継ぐのではなく、
どうでも良い建築家が集まって、教会ではなくテーマパークを造っている。
教会の中にも店が出来た。(キリスト教では教会の建物の前にも店を出すのはご法度だったのに。)
近年、経済的なもの大きな金が飛び交って、役所からの建築の許可が下りた。

ガウディは建築続けられる事を望んでいたのか。完成を望んでいたのか。
ガウディの最後の話は、胸を打たれる思いがした。詳細は記さず。



まぁ、そんな難しい話にもなったが、いつまでも楽しい時間は続く訳もなく残念ながら終了となった。

田中さんの44年間は、一日では語れる筈もない。
また機会を得て、講演をお聞かせ願いたい。


懐かしい旅の話や写真の見せ合いを行った。
田中さんの作品(図面や模型)の博物館が、山形にも出来れば良いね。
いつか田中さんが案内する「バルセロナのガウディ建築ツアー」が出来れば良いね。
そんな夢を語り合ったが、現実になるかもしれない。

バルセロナ貯金を始めよう。そしてバルセロナに行こう!!



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

秋の夕暮れ

2022-11-10 09:58:28 | 酒田

陸羽西線を止めて、広域道路新庄酒田線(ウエストライン)の工事を行っている。
その延長の山形中央道は、新庄以南の道路が完成し(10月29日だったか)開通した。
今日はその道路を走るつもりである。


国道47号線の最上峡は、紅葉の真っ只中である。


紅葉に陽が当たって、尚更綺麗である。


高速道路を走って山形市に入る。
天気が良い日ではあったが、17:20頃にもなると、まわりは暗くなって来た。
西側の山並みと夕焼けの残りが相まって、綺麗だった。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

11月18日で

2022-11-08 16:36:16 | 社会
虎ノ門ニュースが終わる。まさかまさか。
1社で番組を持ちこたえるのは難しかったか。
出演者にとんでもない嫌がらせが続いていたとも、有本さんが言っていた。
まぁ、その内に真相はわかるだろうけど。深入りだもの。
香山リ●氏が喜んでいるのが、まぐまぐでう。


10月29日は、1976年に起きた酒田大火の日で、酒田市では防災の日として決めている。
今年は、朝からサイレンが鳴り響き、携帯からも不安を煽るようなアラートが再三に渡って鳴っていた。
なので、11月3日の朝も、この延長なのかと高をくくっていたら
北朝鮮のミサイル発射のお知らせ J アラートだった。
ほうほう、戦中の米国並みに日本の記念日に併せたか。文化の日(明治節)だものね。




コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

旨いもの

2022-11-08 16:09:18 | 食べ物


鳥海山の上から1/3が白く変わった。麓は紅葉の真っ盛り。
白鳥たちは、美味しい米の在り処を知っている。
ねぐらの最上川河口に戻るのは暗くなってからだ。
外敵のいない田んぼの真中で、楽しく時間を過ごしている。


鶴岡市の白山にある農協に寄った。
入り口の横に自販機があり、見てみるとだだちゃ豆の自販機だった。
近年は、早生のだだちゃ豆系の茶豆が夏の始まりから販売されているが、夏のお盆(8月13日)を過ぎた辺りから、本物のだだちゃ豆が販売される。
その販売の矛先が、この白山の農協の店なのだ。
販売開始前の朝から、駐車場は一杯になると言う。

自販機に載っている価格を見ても、普通の冷凍枝豆の価格とは大幅に違う。
殿様のだだちゃ豆か。
尾浦とは鶴岡市大山の城の名前。
大宝寺氏(武藤氏)は、砂越氏によって城が焼き払われ、大山に逃げて城を築く。その城が尾浦城。
上杉氏とも手を結び一時は勢力を高めるが、最上義光 の攻略によって城は落城、武藤氏は滅亡する。
酒井家が庄内に入部する遥か以前の話である。

尾浦の名の豆はまだ食べたことがなかった。どんな味だろう。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする