「国宝五重塔と重要文化財三神合祭殿並びに鐘楼建築を学ぶ」と題して、工学博士の松崎照明氏の講座を受ける為である。
鐘楼の屋根も吹き替えを終えていた。
とっくに締め切りが終わっていたが、Fさんの計らいで講座に潜り込むことができた。
参集殿の2階が講座の会場である。
羽黒山神社側から挨拶
松崎照明氏の講座が始まった。
氏は日本建築意匠研究所代表であり、東京家政学院客員教授の傍ら、何度も羽黒山を訪れ山伏の修行もしているそうで、山岳信仰関連には詳しい。
沢山の建築の資料を頂いた。
(今回の講座は、建築士会も一絡みしているので、建築関係の参加者が多い。)
松崎氏は、吉野から熊野まで修行に入っていて、何故山岳信仰が大事なのか、北海道にはないが沖縄にはある。
建築家は建築だけを見るが、敷地や成り立ちなどの環境が最も大事である。
日本には近年修行の出来る場所が少なくなっているのに、羽黒町は信仰も町並みも珍しい場所なのだそうだ。
何年にも渡って屋根の茅葺きが行われている。
もう最終段階で職人による差し茅の最中だ。
鏡池のこちらから参集殿を撮そうとしたら、龍の柱が建っていた。
以前にはなかったものだが、何時造ったのだろう。
何故、山頂に池があるのか。昔は不思議がられたが、月山の伏流水がサイホン式に湧き出たもの。
ここには沢山の古い鏡が投げ入れられていた。
羽黒山は神仏混合の折、聖観音を御神体にしていた。
ここに投げ入れられた鏡も聖観音が掘られていたそうだ。ちなみに熊野では千手観音だそうだ。
鏡池にはモリアオガエルがいる。ゲゴゲゴ鳴いていた。
辺りには超望遠レンズを付けたカメラが、夥しい数三脚の上に立っていた。
なにの騒ぎかと問うと、赤い鳥を狙っているのだそうだが、毎時間来るわけでもない。多分アカショウビンだろうと思う。
鐘楼の所で話を伺う。
鐘は元寇の時、羽黒山から龍が飛び去り敵をやっつけたとされる言い伝えで頂いたもの。
現在の鐘楼は元和4年(1618)山形城主最上源五郎家信が再建したもの。
太い柱も継ぎ接ぎである。
足元をカナヘビが走って逃げてった。逃げ足の速いやつ。
屋根を支えている動物がいる。
これは羽黒山の開祖である蜂子皇子を祀った神社である。
昼食会場でもある斎館に向かう。
大広間
茶室
斎館の入り口の長屋門
私とFさんは、羽黒山駐車場の近くの売店で、なめこ蕎麦を食べた。
普段は公開していない修業の場である羽黒山吹越神社籠堂に行く。
山伏修行はここで行われる。厳しい修行であり唐辛子燻しもある。
この四角い台は護摩を焚く場所で、燃え上がる炎は下界からも見えるそうだ。
古すぎて文字がよく読めない。
吹越神社
一度山を降り、五重塔へ向かう。
修行の滝は水が止まっていた。
屋根の吹替え作業工事現場へ潜入する。
現場写真は発表禁止なのだ。
杮葺き(こけらぶき)の杉材は、寄進によるもの。
杮(こけら)は柿(かき)と字が似ている。
右側の芯棒がくっついているのと離れているのの違い。
舞台などのこけら落としにも使われる。
この板を竹釘で打つのだが、強度上重要な所は真鍮釘が打たれていた。