飽海地域史研究会の小野寺先生に、新潟市の旧斎藤邸は歴史的にも建物的にも一度見たほうが良いと助言されていた。
先日のアイカセミナー聴講に併せて、早めに酒田を出発し、午前中に旧斎藤邸に着いた。
駐車場がないと周辺をグルグル回ったものの、決め手はFさんが斎藤邸に電話で位置を聞いてくれた。
少し離れた場所の駐車場に止め、歩いて向かうことにした。
一度回った所なので、迷いもせずに小路に到達する。
すると小路の塀の角に「地獄極楽小路」との名があった。何だぁ!
来る途中、税務署や年金機構などの公的な建物が並んでいたが、調べてみるとその土地は昔新潟市の刑務所が建っていた所だそうだ。
小路を挟んで黒塀の内は、行形亭と言う料亭。
その隣は、富豪の斎藤邸。なるほど、片や極楽で道を挟んでは地獄と言うわけだ。
現在は、お茶などの喫茶で開放しているようだ。
蔵の中に入る。ここは道を歩いて回る人たちの為の休憩所として使っているようだ。
勿論トイレも完備している。観光地として客を呼ぶ中で、こんな風に案内所や休憩所を用意してくれる新潟市は優しい。
旧斎藤邸別邸に入る。
玄関に入ると正面に絵が描かれた板戸があった。
カメラもフラッシュを焚かねば撮影は良いとのこと。
板は桐の一枚物、絵師は日本画家の佐藤紫煙 (1873〜1939 )で「牡丹孔雀図 」
畳の縁は鶴が舞い、二階の畳は亀だそうだ。
建物も素晴らしいが、日本庭園もすごい。丁度庭師の方々が作業をしていて、池の水は抜かれていた。
土蔵の扉も厚みがある。
柱のピッチは1尺。使われた材料も何も、豪快に予算があったと思われる。
廊下から何段か階段を登った所に、仏間兼茶室があった。
お茶を立てている時には、仏壇を上下襖で隠すのだそうだ。
襖は金紙で施されている。
続き間。上客の為の部屋らしい。
明り取り障子の竹は、前後が影に見えるが、実際は此方側だけである。
影に見えるように工夫されているとか。
床柱は鉄刀木(タガヤサン)ただし張物らしい。
この部屋には銘木として黒檀や紫檀、それに鉄刀木が使われている。
こちらの板絵も佐藤紫煙の手による。
1階には2箇所、2階に1箇所存在し、状態は良い。
大きな書院である。
但し床の間の脇に作らえているのではない。
小さな竹の欄干。
2階の廊下の板戸
2階の二間続きの大広間 書院の欄間などにも亀が彫刻されていた。
この欄間は長岡の花火だろうか。
縁側に設置された地袋も興を凝らしている。
能登地震でこちらも被害を受けたそうだ。
建物の壁の亀裂は数箇所あった。
最も被害を受けたのは庭に設置している石灯籠は、殆どが倒れたそうだ。
縁側の天井が素晴らしい。ついで庭も素晴らしい。
床の間の作りもコッテリなのかアッサリなのかわからない。
別室の茶室風小部屋。
1階に降りて庭を探索する。
渋沢栄一の邸宅の庭園(『旧渋沢庭園』)を手掛けた庭師・二代目松本幾次郎と松本亀吉による作庭
古町のお茶屋巡りも良いらしい。
この辺りは高級な建物が建っている。