無題・休題-ハバネロ風味-

私の視線で捉えた世の中の出来事を、無駄口、辛口、様々な切り口から書いてみました。

飽海地域史研究会 日枝神社

2024-09-23 22:21:33 | 歴史
象潟郷土資料館で、日本遺産の「北前船寄港地・船主集落」 がらみの名所が示されている。
山形県では酒田市と鶴岡市、秋田県ではにかほ市に加えて4市が加わっている。
先の北前船の特集記事で秋田県にかほ市象潟郷土資料館鶴岡市致道博物館がある。
何故酒田市が抜けたのかは、オトナの事情だろうと思うが、この2つの資料館に匹敵する物が酒田には残されていないからだと思う。


その北前船がらみで、象潟の日枝神社を探ってみる。
ところが、資料館にも地図はなく、googleでググっても出てこない。
これは困ったなと思った時、「そこ、知ってるよ。」と天の助けで、メンバーの中に過去に行ったことがある人物が現れた。



その神社は金浦港の中にあると言う。
実はこの坂を下って岸壁のそばからが正解だったのだが、以前に来た時にここが工事中で山の上から行ったそうだ。


車を停めるとニャァがいた。


看板から本当に港の真ん中にあると知り、階段を上ることにした。


にゃぁが着いてくる。




第2のニャアがいた。三毛猫だ。先の猫同様に耳に三角の切れ目がある。


地域猫にしては人懐こい。


鳥居を潜って登ったのだが。



山の上は単なる見晴台で、一度降りてまた上るのだと言う。


見晴台と言うより、城跡のような石垣や斜面である。





途中で、これは車で移動したほうが良いだろうと言うことになって、ひとまず元の駐車場に降りた。


岸壁の山側に車を止めて歩く。





岸壁から山の方を見ると、金毘羅の文字の入った石碑もあるが、どうやら日枝神社のようだ。



「ここだ!」実に小さい。


日枝神社特有の鳥居があった。

酒田の日枝神社の鳥居は屋根が着いている。(ちなみに日枝神社の文字は西郷隆盛の書である。)


小さなお社が建っていた。


日枝神社には猿がつきもので、狛犬も猿だった。


狛犬の背中に彫られている文字を読む。
ヤブ蚊に追い回されて長いは無用と、堪らずに戻ることにした。



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飽海地域史研究会 象潟蚶満寺

2024-09-23 21:34:00 | 歴史
象潟と言えば蚶満寺だろう。



国道7号線からちょっと入り踏切を渡ると蚶満寺の境内だった。


石の門柱に「皇宮山蚶満寺」の文字が見える。
寺に皇宮とはどういうことなのとは


大地震で島々が隆起し、本荘藩が年貢を増やそうと島を削って田んぼにしようとしたが、蚶満寺の24世覚林和尚がそれに反対した。
単なる寺領の身分で殿様には逆らえない。そこで閑宮家の力を借り後ろ盾にした。
それを恨んで本荘藩は覚林和尚を捕まえ、牢死させるまでになったが、彼の行いで九十九島の景観は保持された。
そんな歴史を持っている。






寺の境内とは思えないほど、整った庭園が続く。








芭蕉の像



西施の像。


湊にはつきものの方角石。
酒田の日和山公園の方角石とは、まるで違っていた。
単に北の方角が彫ってあるだけだった。



きのこがボコボコ生えていた。
一部ハツタケ風な物も見られたが、どれも食用にはならない。


山門は酒田の大工が造ったと言われているが。


蚶満寺の文字が薄れて読めない。



彫刻は見事である。


山門に鎮座する仁王様




















赤い布を纏ったお地蔵様はよく見るが、ここでは青い布だった。


詰め所に人がいないので、そのまま入る。





本堂は大きくて古い。


禅寺だったのか。




沢山の木仏が飾られている。


本堂の裏手に行く。





タブの巨木があった。





この田圃が海だった名残の舟つなぎ石がある。



石仏の数は数え切れないほどだ。








赤と白の萩が綺麗だった。
奥に見える赤い花はサルスベリ


鐘楼の隣に、バナナの木かと思うほどの芭蕉が咲いていた。


今年は花がついたのだそうだ。


境内を見回る黒い御庭番。
人懐こい。


夜になると泣くと言う椿







拝観料は一人300円。庭の整備具合を見ると十分に安いと思う。
予約をすると、和尚様が案内をしてくれることもあるそうだ。
七不思議ならぬ十六不思議もありそうだ。


帰るよと言うと「にゃぁ」と言った。



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飽海地域史研究会 象潟郷土資料館

2024-09-23 16:47:06 | 歴史


秋田県にかほ市にある象潟郷土資料館に着く。
以前鶴岡市の致道博物館とタイアップした「北前船」の催しで行ったことがあったらから、カーナビを使ってほぼ間違いなしに着いた。
先に着いていたメンバーが、外に飾られていた埋れ木のパネルを見ていた。



その実物も飾られていた。話によると、高速道路の日沿道の象潟ICの工事の際に出土した物らしい。


象潟の町が以前は海だったことが解る埋もれ貝の土塊。


館長さんから象潟の歴史を伺った。


2500年前、鳥海山の噴火に拠って、大きな岩を含む土石流が象潟の海に流れ、砂嘴や島々を造った。
その景観は素晴らしく九十九島と呼ばれ、太平洋側の松島と並び称されるようになる。


埋れ木に着いて説明して頂く。
長い間泥土の中に保存されていた樹木は、家具や内装材などの銘木として、江戸時代から掘り起こされ、たいそう高価な金額で取引された。









九十九島と呼ばれているが、その一つ一つに名前が着いており、その数は3x40の120のようだ。


奥の屏風には九十九島が描かれており、本荘藩の江戸屋敷に飾られていた。



今回は象潟を最終目的とした松尾芭蕉の特設展を観ることになった。





左の掛け軸は、画家の森川許六が描いた芭蕉と曽良で、最も本人たちに似ていると言われている。





館長さんの後ろの掛け軸は、漢詩の「飲湖上初晴後雨」で、中国の春秋時代の美女「西施」が、化粧をしたのを松島。
薄化粧をしたのが象潟とした芭蕉が、この地を最北として奥の細道を歩んだ。


芭蕉が歩いた奥の細道。
この距離を見て、芭蕉は隠密であったのだとか言われているが、奥の細道の文は紀行文として、世界に知られている。
同行の曽良の日記と垂らしあわせても、芭蕉は俳句の友人を頼っての旅だったらしい。


右側の掛け軸が芭蕉の直筆。


芭蕉が訪れて後、大地震により象潟は隆起し、島々は地面の上になった。
日本地図を作成した伊能忠敬は、島の状態と隆起した両方を見ているらしい。




3階に上がり、象潟の民俗資料が展示を観る。
秋田の象潟と庄内では、女性が農作業をする場合に、この覆面(はんこたんな)を着けました。虫除け男よけと噂されている。

 

北前船の展示では、現在貸し出しをしており、展示品は少なかった。



郷土資料館。
カーナビでは、酒田よりの狭い道路を曲がりくねって現地に着くが、道路を挟んで前には、体育館が建っている。
その体育館を目的地にすると、国道から大きな道路を通って、いとも簡単に目的地へ着く。
今度はそちらを通ることにしよう。


お昼はガストで日替わりランチ水曜日編をチョイスした。これにドリンクバー付きだ。
ランチはロボットが運んできたがテーブルの上に載せてくれるわけではない。
これをハミながら午後の予定を予習した。



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飽海地域史研究会 新山神社

2024-09-21 23:46:01 | 歴史

山館から新山神社へ移動した。ここは山谷にある新山神社である。



新山神社の新山修験とは、山岳信仰による山々に宿る神々や霊験あらたかな霊地を高める信仰だ。
この新山神社は江戸時代までは神仏混合の聖地だったが、明治政府により仏教の方が取り払われ、現在は神社として歴史を繋いでいる。
修験者は胎蔵山や経ヶ蔵山を巡る庄内4大修験道場の一つだった。
その歴史は残念ながら閉じられてしまった。





その修験を彷彿とさせる急な石段を登って神社へ向かう。


手水鉢


その後ろには湧き水が出ていたそうだ。
その側に巨木が立っていたが、落雷で倒れ、水も消えてしまったそうだ。





ここには山形県指定無形文化財の「新山延年の舞」が、地元の方々によって受け継がれている。


赤ちゃんを抱いている狛犬。


その向かいにはおとっつぁんの狛犬。


安政2年の文字が。奉納したのは松山の碇屋さんらしい。


新山神社に着いた。


中に入れて頂いた。御神体も見える。


色々と建物は面白い。






石段を降りて、社務所へ入る。
氏子総代の方に「新山延年の舞」の説明を伺う。
ビデオを見せて頂いた。


獅子舞(おかしらまい)
以前、酒田祭で見た亀ヶ崎の獅子舞の踊りとよく似ている。
こちらの方が断然歴史が古く。男舞と女舞があるそうだ。


オッコウ舞。
元々は四人で舞っていた。 


稚児舞を担う子供たちの減少など諸事情により、稚児舞はオトナが舞う。
本来は別の日だったが、新山延年の舞そのものは村人が必ず集まるだろう8月15日の旧盆に、新山神社にて奉納されるようになった。



クシャ舞 


太平楽(たいへいらく、剣舞) 
延年舞は平安末期から鎌倉室町あたりに行われた遊宴歌舞で、ゆったり静かに永延と舞が続く。
日本刀の刃を上に下にと繰り返し向きを変えて踊るが、踊っている本人も「今、何回目だろうか、間違っていないだろうか。」とヒヤヒヤするそうだ。


天狗面舞(てんぐめんまい)
この天狗の面は新しい。


新山延年の舞の日以外は秘物とされた、舞の道具を見せて頂いた。
鬼滅の刃の炭治郎が背負っていたような箱からは・・・。


獅子舞のお頭が出現した。
お頭は見た目よりもずっと重いそうで、長い時間支えて踊るのはきついと言う。
獅子の身体は麻で被っていても見通しが利くと言う。


次に見せて頂いたのは天狗の面。
箱を開けた瞬間、カメラを向けていた私はワァッ!と声を上げた。
箱の中から「気」が猛烈な勢いで吹き出して来た「気」がした。鳥肌が立った。
面の隣に写っている白い気は、一体なんだろうね。
面が怒っている感じがした。
最近の舞に新しいお面ばかり使われているからか、は判らない。


天狗の衣装。



翁の面。これを被っての舞もあったそうだが、面の崩れが激しくて、舞は止めている。
この面には、恐いと言う気は起きなかった。





次々に見せて頂く。



壁にかけられていた写真。
この写真の天狗さんは、笑っているように見えるのだが。


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飽海地域史研究会 山館城跡

2024-09-21 23:24:07 | 歴史

郡鏡コミセンからバス2台に乗って山館城跡に向かった。


山館は戦国時代の山城で、頂上は地元の方々の努力で綺麗に整備されている。
ただ残念なのは、山館城跡と解るのはこの標識だけで、もっと詳しい看板が欲しいと思う。



ここの斜面からは、庄内平野が一望出来る場所だが、木々が大きく生い茂り展望を塞いでいる。本来なら選定したいのだそうだ。


山頂の広場には桜の樹が植えられており、春は見事に変身する。






藪になって地面がよく見えないのだが、斜面には山城の特徴である堀切や土塁空堀などが残っている。
自然の地形を利用したり改良したりして、攻めにくい城に仕上げている。
残念ながら、この城は最上義光に拠って攻め滅ばされてしまった。


第二次世界大戦時には、ここが陸軍の練習地になり宮様の視察の記念碑があったそうだが、その石碑は別の場所へ移動したとか。
聞き耳を立てたが、詳しくは聞けなかった。


本格的に探索するには、藪こぎの装備も必要だ。


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飽海地域史研究会 郡鏡コミセンにて

2024-09-17 12:32:31 | 歴史
飽海地域史研究会と郡鏡コミニティセンターのコラボによる「郡鏡・山谷の歴史文化ルネッサンス」 が開催された。


午前の講座では元山形県埋蔵文化財センター職員の黒坂雅人氏による「縄文高畑遺跡と中世の埋蔵銭」と題して
酒田市田沢の高畑中学校跡地に所在する高畑遺跡(山形県遺跡番号464-007)についてお聞きした。





郡鏡コミニティ振興会会長挨拶


来賓の県議会議員挨拶


来賓市議会議員挨拶



講師の黒坂雅人氏は縄文にかなり詳しい。
高畑遺跡は、酒田市田沢の高畑中学校の地から見つかった。縄文人は海岸段丘の日当たりの良い所に住居を構える。
高畑は地元の人々は「たかはた」と呼ぶが、県の博物学の上では「たかはたけ」と呼ぶそうだ。


初回は、明治12年(考古学が花開いた年)松山町の羽柴雄輔とあの松森胤保が調査に入った。
羽柴雄輔は奥州人類学会や奥州博物学を率いた人物である。

上記の挿絵は羽柴の作品である。
いろはの番号が振られているが、左上の「ろ」だけ土偶の足で、他は石器である。
「ち」は扇型の斧だが、要の黒い部分はアスファルトである。アスファルトは木の棒との接着に使われた。





これは他の遺跡で発掘された有名な遮光土偶。
この遮光技術は現在でもイヌイットの人たちがサングラスとして使用している。
土偶はまともな姿で発掘された物は少ない。
どこかが欠けている物が大半だ。


山谷新田遺跡(山形県遺跡番号464-023)からは土偶が多数発掘されている。
イカ星人かと思うほどの顔が着いている。


これも土偶で、お腹の真ん中が割れている。


破片を集めて復元した。中には子供たちが手伝った物もあると言う。


とことん使われた石皿。食べ物をつぶす為に使われた。


山谷新田遺跡(県指定464-032)の沢筋の集落跡。


土の断面に赤い部分があり、焼け土ではないかと言われている。


縄目の文様があるのが縄文土器である。
時代が古いほど細かい模様で、後期(晩期)になるとコブが着いたり、大雑把で粗い模様になると言う。


午前の講座が終わると、地元の方々がお師匠さんになって、藁細工が始まった。













亀の出来上がり


様々な藁細工が飾られていた。


お昼は地区の食生活改善委員会の皆さんの手作りの芋煮弁当 
(今日は山形でJIAの芋煮会と重なった。)




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月山ダム

2024-09-14 00:11:44 | 動物・自然

国道112号線を行く。
途中月山ダムの休憩所に寄った。



9月も半ばだが、夏とも秋とも言えぬ季節で、緑も中途半端な色をしていると思う。
山葡萄の葉が少し色づいてきたかな。



月の女神が背筋を伸ばしている。
今日の風はどんな香りがするのか。


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幕末三舟の一人 高橋泥舟

2024-09-12 09:51:47 | 酒田

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生き物たち

2024-09-11 15:44:09 | 動物・自然


今年も早くからワタリガラスが戻ってきた。
年々、遅く旅立って、暑いうちから戻ってくる。
長い旅路なのだと思うが、痩せこけて羽根もバラバラな子が多い。
巣作りに子育てとハードな生活で、餌も良くないのだろう。


これは芹である。プランターに植えて広がった。
ところがある日、芹の葉が消えて茎のみになった。
近づいてみると、キアゲハの幼虫が7匹で、盛んと葉を齧っていた。
我が家の柚子の木は、新芽が出るたびにキアゲハに襲われ、ついに生涯を閉じた。
枯れた植木を片付け、今年はもうキアゲハにヤラれることはないと思っていたら、芹が狙われた。
柑橘類、山椒、パセリ、人参の葉が襲われるのは知っていたが、まさか芹がと驚く。
ある日突然に、蛹になるべく姿を消して、芹は復活した。


その芹畑に、ショウリョウバッタ夫妻が陣取っている。
他にも独身バッタがいるようだが、何とも平和である。


虫除けにオニヤンマの玩具が効くのだとか。
秋になると空いっぱいに飛び交う普通のトンボは、効き目が薄いかな。


某場所で見つけたカメムシは、背中にハートマークが着いていた。
勿論、捕まえたりはしない。


こちらを伺っている二匹。
近寄るわけでもない。


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9月14日のシンポジウム

2024-09-11 15:23:04 | 防災






14日は催し物を行うのに都合の良い日なのだろう。
私にも、3つも4つも催しが重なった。
残念ながら山形市で行われるJIAの芋煮会も、去年に引き続き今年も行けない。
このシンポジウムも参加できないが、「これは聴きたい」と思われた方は、是非ともご参加を!



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鶴岡市西目

2024-09-09 11:40:38 | 食べ物


去年の元旦と言うか、一昨年の大晦日と言うべきか、鶴岡市西目で土砂崩れが発生し死傷者も出た。過去記事
山自体が赤土で脆い。山形県では高さも下げ補強し、そろそろ完成を迎えるのではと思う。
長いこと通行止めだったが、もう道路も通れるだろうと、由良坂から大山へ向けて車を走らせた。
由良から大山へだったら、この道路が近い。
普段は由良から湯野浜へ浜中を通って酒田に帰る。



今回、この道路を走ったのは、大山のいろは食堂に行くためだ。
相変わらず、いろは食堂の昼は客で混んでいる。
ここのラーメンは美味しいが、麺が多めで最後の方はふーふー言う。
限定のチャーシュー麺が人気で、店に着いた頃には売り切れだった。
他の客は「肉多めのラーメン」を頼んでいるが、チャーシュー麺とはどんな違いがあるのだろう。
チャーシューはそんなに欲しくはないので、頼む勇気はないのである。


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新町界隈

2024-09-09 11:21:20 | 酒田


庄内の芋煮もどきを作っている最中に、油揚げ(庄内では厚揚げを油揚げと呼ぶ)とこんにゃくと長ネギが足りないと、リュックを背負ってト一屋へ向かう。
前回、ここを歩いている時に、泊り客が家族で旅館の前で写真を撮っていたのを思い出す。
旅館の松美屋さんは健在だ。内部もさぞかし立派なのだろうと思う。


表の破風には「海望楼」の看板があり、よく見ると大正十二年8月に竣工と書かれてある。
そうか、大正生まれなのね。



夏から秋へと変わる季節、暑い日が続いて花の少ない季節でもある。


緑も良いが、花があるのもホッとさせてくれる。


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黒木あるじ氏 山形の民俗学から

2024-09-06 19:33:14 | 民俗学ちょっとオカルト
【山怪「モリノヤマ」】そこは入山禁止!山形県某地域に伝わる風習を、黒木あるじ先生が教えます。



あの宜保愛子氏も恐れた!山形最恐心霊スポット「滝不動」の謎を、黒木あるじ先生が語ります【実話怪談】


 


山形県の村落に実在した霊能者「オナカマサマ」の奇談を黒木あるじ先生が教えます。


 
 
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枝豆

2024-09-05 13:34:39 | 食べ物


9月1日から北村くらた農園での今年最終の枝豆販売が始まった。
1日は山形行きだったし、2日も3日も無理だったので、4日にでかけた。
あの豪雨の中、生き残った大事な枝豆である。
開店前に農場へ着くも、行列が出来ていた。
店には3名の客しか入れないでの販売だったが、いつもよりも店員さんの少ない人数で切り盛りしているようである。
記憶で一人様2袋までと覚えていたが、「そんな事はないですよ。」とのこと。
そこで、おずおずと3袋をカゴに入れた。


帰ってすぐに3袋を茹でた。
この写真では、枝豆の形が茶豆の姿をしているが、袋に依っては細長く平べったい形をしている。
で、味はと言うと、あぁぁあ、おいすぃ!!

今回は選別が難しく、平べったいままのさやも残っているそうだが、昔なんて当たり前だったじゃないか。

今年はもう駄目だろうと諦めていたから、この美味しい枝豆には感動した。
やっぱり枝豆は酒田産だよね。


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神様奇談 【黒木あるじ×中山市朗②】東北・屋敷神の正体/高野山で目撃した神の遣い/東北と関西の神様の違い

2024-09-04 16:10:49 | 民俗学ちょっとオカルト
神様奇談 【黒木あるじ×中山市朗②】東北・屋敷神の正体/高野山で目撃した神の遣い/東北と関西の神様の違い


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