無題・休題-ハバネロ風味-

私の視線で捉えた世の中の出来事を、無駄口、辛口、様々な切り口から書いてみました。

最上川

2024-11-29 16:13:01 | 防災


7月の洪水から4ヶ月が経ち、国道47号線は何度も通ったにも関わらず、運転中であるのと一般車の目の高さでは見えなかった最上川。
27日に新庄市の東北農林専門職大学の視察で、バスの高さから最上川の対岸を見ることが出来た。
完璧に刳れている。



冬間近の山の木々は落葉し、最上川がよく見えるようにもなっていた。
国道側の河川敷にあった蕎麦畑に並んでいた電柱には、一定の高さで川水によって流れてきた雑草などが、未だに絡みついて残っている。


対岸のえぐれた川岸と、電柱の雑草の高さから、国道が水に浸かって通行不能になった事が窺える。
ここだけ、紅葉した樹木が見えた。多分、最上川舟下りの途中に立ち寄る店のあった場所かと思う。


国道47号線は、現在でも道路が川に飲み込まれて、対面どころか一車線になっている箇所がある。
最上川が大きなカーブを描いて、外に膨れた場所である。
二車線に直すのも、山側はすぐ傍に陸羽西線の線路があり、川側にキャンティで伸ばすしか方法がないのかな。
計画する側も頭を抱える箇所でもある。

カーブの内側は、砂でも砂利でもない大きめの割栗石級の土砂が、川に突き出していた。


対岸は土地が広がっているではないか。
最上川舟下りを行っている最上峡芭蕉ライン観光会社では、洪水の際に船も流され、その内の一艘は秋田県のにかほ市の海岸で見つかった。
ようやく洪水の後始末も終わり、観光客が戻ってきて、舟下りの船頭さんの確保が大変なのだそうだ。
先日のローカルニュースで、通常船には二人の船頭さんが着くのだが、運行の方を自動運転でAIに任せ、
案内などを人間の船頭さんが行うように将来はなるのだろうと解説していた。



最上川に注ぎ込む小さな支流は、その位置を変えたものもあるとか。


ここは戸沢の道の駅「高麗館」の前の最上川である。
川面から突き出しているのは、大きな岩がゴロゴロと流れてきたままになっている。
舟下りは、この場所は通らない。もっと下流に船番所があり、客はそこから船に乗り込む。



この崖は土砂崩れによって山肌が露出したのかな。


ここは、本合海の対岸。
源義経が奥州へ落ち延びた時に立ち寄ったとされる矢向神社がある場所だが、
岩肌がこんなだっけ?!と二度見した。


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ある日の神棚

2024-11-26 22:04:30 | 食べ物

我が事務所の本棚の一番良い場所に、仮の神棚を設けている。
神棚なのか、酒場なのかは定かではない。
御札はいつもの(と言っても靖国神社の御札は今回はなし)一番身近でお世話になっている神社のものだが、
せっかく鹿児島に行ったのだから西郷さんちの御札も良いよねと、一緒に並べてみた。
お神酒は右手の山田錦だけ私が買ったが、それ以外は貰い物。
特に獺祭は先輩からの差し入れ。早速お神酒のおこぼれを・・・と、すんごくウマイ!!



お酒はどれも個性的なんだけどね。
お猪口は素焼きの製品。
口当たりが優しい。


おまけ:お土産の喜多方ラーメン。
最近のラーメンは、なかなかお洒落でもある。


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羽州街道 楢下宿から

2024-11-24 21:41:28 | 建築・都市・港

羽州街道 楢下宿に到着する。
雨は治まらない。


集合場所の駐車場から見た大黒屋。


地元の皆さんが案内を買って出てくれた。
大黒屋の建具は面白い。3枚に分かれて上下する。
入り口も人間用と馬用に使用できる仕組みになっている。



駕籠も飾られていた。
水の豊富な水路は除雪にも活用される。


宿場の本陣は姿を消し、後々まで残っていた蔵も焼失し、石垣のみが往事の佇まいを遺している。
おっと、この樹木も焼け残った庭木だそうだ。


しばし歩いて庄内屋に着く。




へぇ、上山なのに庄内とは、これ如何に。


庄内藩に関わりのある建物だった。
江戸へ行く大名行列の本陣(殿様が泊まる場所)だった。
家来達は別の建物に宿泊するらしい。


玄関:一見縁側に見える。
奥に行くに従って、床の高さが変わる。


厩など。


奥に石橋が見えた。


明治の頃に掛けられたようだ。三島通庸の名が見える。
ちなみに、三島は山形や内陸では随分と改革し褒められたが、庄内取り分け酒田では評判が悪い。


石碑も立っていたが、文字は判読できなかった。


他にも見所が沢山あるのだが、時間内だと遠くには行けない。
大黒屋へ入る。


雨に濡れた身体には、暖かい囲炉裏の火が有り難い。


火をおこして待っていてくれた。
コーヒーも準備してくれていた。


案内して頂いた地域の方々から、楢下宿の建物の草葺き(茅葺き)や町作りのお話を伺った。


我々は普段は茅葺きと呼ぶ屋根も、材料が様々でススキだったりもするので、総称は「草葺き」と呼ぶらしい。


段々周りが黄昏時になってくるころ、近道(多分に余所様の敷地を渡った)をして、タケダワイナリーに着く。


山の斜面を利用した葡萄畑や、

ロボットの草刈り機がウィンウィンする葡萄畑を観て。


工場に入る。


葡萄酒造りの様々な障害も聞かせて頂いた。


試飲もできるのだが、殆どの人が車を運転するので、数名だけが味わった。







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全国女性建築士連絡協議会 山形大会準備

2024-11-23 09:37:48 | 
11月2日、全国大会のエクスカーションのリハーサルをかねて、建築女子フォーラムが開催される。
エクスカーションは、大会翌日の見学会で、5つのコースを組んでいる。
その中の銀山温泉コースは、以前に銀山でフォーラムを行った時に体験しているので、今回のコースから省く。
お昼前に集合場所に集まった会員が4つのコースに分かれて、当日と同じ行動をし、不都合な点が無いかを見極める物だ。


最も人気の高かった「上山コース」に潜り込み、最初に丹野こんにゃく番所に到着する。
この日も雨だった。


ここには以前建築士会女性委員会で、訪れた所だ。
暖簾をくぐった先にはカフェがあるそうだ。


こちらがお店側である。


こんにゃく懐石。
運んでくれた女性が料理の説明をしてくれる。



茸と人参は本物だが、他はこんにゃくである。


ホタテの天麩羅もこんにゃくである。


イカ刺しだって、こんにゃくである。


お蕎麦だって、こんにゃくである。


デザートのラ・フランスもこんにゃくだけど。



山形名物玉こんにゃくは、紛れもなくこんにゃくである。


お店でラ・フランスを買う。


買物の時間も必要である。


カフェにこんにゃくソフトクリームを求めて、数人が駆けていった。




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【歴史学】磯田道史「失敗のパターンを知るための歴史の読み方」

2024-11-22 14:49:06 | 歴史
【歴史学】磯田道史「失敗のパターンを知るための歴史の読み方」by LIBERARY (旧名称 リベラルアーツプログラム for Business)


磯田さんの仰る「歴史を知ることは安全靴を履くようなものだ。」
と言う言葉には、目から鱗かと思われた。
先の10月22日に行われた「庄内大地震から130年」でも、歴史は繰り返す。
大地震は、同じ場所で繰り返す。
それにも納得した。

と、ここまで書いて、10月22日の纏めを、このブログに載せていない事に気がついた。
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救急搬送

2024-11-21 15:58:12 | 健康・介護
鹿児島から帰って2-3日経った頃、外で人と話をしていたら、姪がか細い声で「母ちゃんが救急車呼んでって言ってる。」
駆けつけると台所にうずくまっている妹。
「右手がしびれて立っていられない。」
だんだん、呂律がまわらなくなっていく。これは脳の障害だな。

119に電話をし、救急車が到着する。
救急隊員が動けない妹を担架に乗せ、日本海病院へ搬送する。私も同乗する。
モニターに心電図や血圧、脈拍などが表示されるも、血圧はもうすぐ300になんなんとしている。

と、言うわけで、生活は一変した。
家での家事全般をしてくれていた妹がいない。
まぁ、私でも炊事洗濯は判るものの、金品の支払いなど細々とした事は無理だ。
必要な物がどこにあるのか、わからない。
妹の夫がいることはいるが、聞いても尚更判らない。

そんなこんなで、4週間が過ぎた。
妹は比較的順調で、無事に病院からリハビリステーションに移ることになった。
発見と通報が速かった為、右手麻痺に言語障害があるものの、そんなに重い症状ではない。(軽くもないけど)

それにしても、私が鹿児島にいる時でなくて、本当に良かった。



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建築士会全国大会 鹿児島 1

2024-11-12 22:53:43 | 

24日、朝6時に庄内空港集合。



羽田空港にて乗り継ぎ、鹿児島空港へ向かう。


多分GPSが作動するから、携帯のマップで機体を追ってみた。ちゃんと機能する。
日本列島の太平洋側を飛んでいて、丁度愛知県から和歌山県を通過中。
天気はどんどん悪くなる。
鹿児島空港へ着陸態勢に入るも、桜島は見えなかった。


鹿児島空港内。


売店では造りたてのさつま揚げが売られている。
普段食べている物とは、明らかに違った。


鹿児島は雨だった。


バスの中で配られた物。ウイスキーのハイボールにはあらず。


空港から知覧に向かう。


知覧桜見亭にて、昼食。


知覧茶が美味しかったので、お土産に買った。


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建築士会全国大会 鹿児島 2

2024-11-11 13:58:18 | 
知覧特攻平和会館へ行く。
私がどうしても行きたいと希望していた場所だ。



最初に我々を迎えてくれたのは、陸軍1式戦闘機「隼」だった。
雨に濡れた日の丸が目を引いた。


「隼」は、私の父も乗っていた。


対面に飾られていたのは、初等練習機「T-3」である。
「T-3」? 大東和戦争時、敵国語であるアルファベットは使わないはずだがと、ネットで検索すると、昭和50年に航空自衛隊の練習機T-34の後続機として使用された物だった。


ちなみに、日本軍には海軍と陸軍はあっても、空軍はない。
昭和の自衛隊の練習機を、何故ここに飾るのかは、解せない。
飛行機であれば、何でも良いものではなかろうに。
意図的に飾られるとしたら問題はあるだろう。




平和会館のホールに入る。内部は殆どが撮影禁止の施設だった。


撮影不可の内部には、特攻に向かう兵士が家族に当てた手紙、残った写真、家族からの手紙などが飾られている。
他には、戦闘に加わった各種の飛行機も飾られている。
時間がたっぷりあれば、事細かに見ることは出来るのだが、内部の広さには勝てなかった。



子供達が群がっている所には、戦闘機の残骸があった。
海底に沈んでいた零式戦闘機を引き上げたが、後部は残っておらず、主翼までの残骸でしかない。


ここは撮影が可だったので、撮してみた。


この機体の状態を見ると、如何に機体の重量を軽くしようとしたのが判る。
海底に沈んでいたからの状況は考慮するも、機体の鉄板の薄さには驚いた。
まるで薄っぺらな紙並みなのである。風圧で鉄板が飛ばないように下地に打ち付けてある鋲の本数にも驚いた。
こんな装備で飛んでいたのか。零戦は攻撃には強いが、防御はからっきしだと言われていた。その通りだと思った。
飛行兵を守らない戦闘機だと、言われる所以をまざまざと見せつけられた。


この知覧特攻平和会館と似た施設で、靖国神社の境内にある遊就館がある。
遊就館には、神社の中だからか、同じ内容でも清々しさがあった。
しかし、知覧は特攻に特化した施設なので、まったく別の雰囲気が漂っていた。



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建築士会全国大会 鹿児島 3

2024-11-10 16:40:00 | 
予定では知覧の武家屋敷を観ることになっていた。
しかしながら羽田空港から鹿児島空港へのフライトの時間が遅れたのと、九州南部の天候(つまり雨)が災いして、パスすることになった。
次回に期待しよう。(って、また来ることが出来るのか!)

次に向かうのは仙厳園である。
薩摩の城には天守閣がない。島津公はこの仙厳園を普段使いの御殿としていた。




丸に十字の家紋は、島津藩の物である。
ここから入場する。ちなみに入場料は大人1600円である。


施設の中は結構広い。
傘を挿すも、パンツの裾が雨に濡れて難儀する。



島津公の御殿と、庭と、神社と、大砲製造の為の反射炉跡が残されている。
詳しくは家に帰ってから読んでみようと手にとった説明の小冊子は、なんと中国語版だったよ~~。読めないよ~~!



お店が続く。


左側には築かれた石垣が、延々と続く。


芙蓉系の花だと思う。
多分鹿児島だとハイビスカスも路地で容易に咲くのだろう。


井戸にしては大きい。用水を溜めておく所なのか。
過去に見た城郭だと、井戸がとても重要なので、気をつけて見ているのだが。



正門を内側から見た所である。
道路を挟んで向かいには鹿児島湾が広がっている。
道路と平行に電車も走っていて、なかなかの景観である。



庭に入る。


御殿前下庭だそうだ。


石段を登っていく。


素敵な石灯籠が現れた。鶴灯籠と呼ぶのだそうだ。
11月になると、菊人形展が開催される。その準備の為、あちこちに下地作りが行われている。
それが庭と重なって、はっきり言うと邪魔なのである。


御殿入り口についた。


「鳳印の間」ここからは御殿の中が続く。
外様大名ではあるが、徳川幕府の御家老職を努めた酒井藩の屋敷よりも、ずっと豪華である。


中庭も大きな物、小さな物、それぞれに美しい。



謁見の間


二部屋続きの謁見の間。
日本人だけでなく、渡来人も客人として多かったのだろう。



御寝所


湯屋、化粧の間と言ったらいいのだろうか。


居間から眺める庭と遠景の桜島(が見えるはずなのだが)


ゆったりとした縁側が続く。



釘隠し金物















島津家の家紋が隙間なく施された御駕籠



この欄間は御寝所の物だった。


時計と思われる。


とうとう目の前に桜島が出現。
この庭はNHKの「篤姫」でも使われたと思う。
それとも西郷隆盛の「てごどん」だったかな。





ついに見つけた井戸


猫神社に向かう道(行かないけど)


薩摩切子の店だった。
お~っとまぁ、高価な切子が沢山並んでいた。


あの時代、もっとも海外に目を向けていたのは、長崎と鹿児島ではないだろうか。


いち早く大砲の需要を見込んで、反射炉が造られた。


反射炉そのものは残っていないが、その跡地と基礎は残っている。


反射炉の記念の碑


薄暗くてよく見えない。
水路も残っていた。


鹿児島世界文化遺産オリエンテーションセンターで、反射炉の模型を見た。









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建築士会全国大会 鹿児島 4

2024-11-09 19:43:29 | 

夜の繁華街へと繰り出す。
目的地は鹿児島駅前付近。
なんと電車での移動である。



通勤通学客にまみれながら、「一人様どこまで行っても170円」を握りしめて電車に乗る。混んでいた。


観覧車がネオンの色を変えながら回っている。


こんな所やあんな所を通り、目的地へ行く。


建物の中なのに、屋台風の設えである。


他と違って、露天の屋台は鹿児島には作れないのかも知れない。
他の地域では、空から降るのは雨や雪だろうが、鹿児島では火山灰が降るのだ。
へぇ、大変だろうなと思うのは余所者。鹿児島人は当たり前なんだそうだ。




















料理が次々と運ばれてくる。

帰りも電車で帰った。
隣の席に座った薩摩のおっちゃんに「170円で電車に乗れるのは安いね。」と話しかけたら、
「ついこの間までは150円だったんだよ。あいつら(電車の会社)はボロ儲けしているんだ。」
と話が弾み、西郷さんに会いに来ただの。庄内藩から来ただの。ほうほう。と。
わたしゃ、このまま一周しようかと思ったよ。(酔っぱらいおばさんは困るね)






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建築士会全国大会 鹿児島 5

2024-11-08 20:22:54 | 


ホテルの朝食レストランからは、桜島が見えた。
何だ、雲がかかってると思ったのは私。
この日の桜島予報は、鹿児島市方面に降灰だそうで、雲に見えるのは火山灰である。


里芋の煮っころがしが美味しかった。
鹿児島のさつま揚げの美味しさは、他と比べられない。


ここは何処?!



ここはフェリー乗り場である。
料金は桜島で支払う仕組みになっている。
令和6年7月1日から値上げになって、それでも片道オトナ250円である。
クゥ~安い。






ケンミンSHOWで見た桜島フェリーのうどんやさん。
混んでいた。


強風に吹き飛ばされながら、デッキ最上階へと繰り出す。


最後尾から船もろとも桜島を撮す。



港に着いたけど、なんだかな~の港


何処に行けば良いのやら。


月読神社だそうだ。




桜島の噴火では、灰だけでなく岩も降ってくる。




ひたすら歩く。


ビジターセンターに到着


映像を見たり、展示物を見たりと桜島に着いての教養(?!)を深める。





こちらのQRコードで、桜島の動画を見ることが出来る。


港に向かって歩く。



普通の野菊と違って、小粒ではあるが秋明菊に近い花だった。



余所んちの敷地を突破したり。


ターミナルへたどり着く。


Kさんの提供の桜島
帰りのフェリーでは、修学旅行中の小学生の一団と同船になる。
やかましいオトナと違って、偉く大人しい小学生たちだったが。



イルカがいる!!の一声に、騒然となった。
担任の先生も一緒になって、「イルカだ!」の掛け声に、子供達は一斉に窓際に。ついで右舷にと集団移動する。


船が傾ぐことはなかったが、子供らしさを存分に味わった。


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建築士会全国大会 鹿児島 6

2024-11-08 10:48:04 | 


桜島フェリー乗り場から、全国大会会場までへの移動は自由行動となった。
女子4人が、少し距離はあるものの、南洲神社へ行こうとタクシーを待つ。
そのタクシーは、朝にホテルからフェリー乗り場まで乗せて貰ったタクシーで、Fさんは運転手さんの携帯番号をゲットしていた。
南洲神社から大会会場へも、お願いすることになるのだが、鹿児島の人は親切だなと思う。

南洲神社を含む施設は、山の高台にあった。
写真の建物は南洲神社の横の西郷南洲顕彰館である。
時間の関係で寄ることはなかった。



西南戦争で戦った役官軍と薩軍の恩讐の彼方にと書かれている。


江戸時代から明治に至る方々の墓所で、遥かに桜島が見える。
階段を降りて墓の並ぶ小道を行くと南洲神社に着く。


南洲神社である。酒田のそれよりも大きい。(当たり前だけど)



まずはお参りする。庄内からお礼に参りました、と
社務所には誰もいなかったので、大声で呼ぶ。
皆は御朱印やお守り。私は御札を求めた。

この辺りで、別行動をする筈だった酒田勢のメンバーが続々とやってきた。
私達の行動が気になったらしい。


墓所の中央に、西郷隆盛の墓があった。
社務所の人の話では、庄内藩士の墓もあると言う。
時間の関係で、そこを回らずに移動する。


猫がいた。


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建築士会全国大会 鹿児島 7

2024-11-07 11:11:11 | 


南洲神社の駐車場から第一タクシーの個人携帯に電話する。5分程で着くと言う。
そこから会場への通り道で、島津藩鶴丸城の御楼門の前の合同庁舎に停車して貰い、写真を撮す。
鶴丸城は天守閣を持たない城だそうだが、明治の火災で消失したのかも知れない。
鶴丸城は、初代薩摩藩主島津家久が,関ヶ原の合戦直後の慶長6(1601)年頃に築城を始めた と言う。
島津藩は織田信長や豊臣秀吉に仕えた、関ヶ原の合戦で言えば西軍である。
それでも徳川家康は鹿児島に領地を預け、琉球をもその配下に置いた。
ちなみに、徳川家を別として、日本で最も金持ちな藩は、前田加賀百万石であり、2番目がこの島津藩である。
譜代大名の酒井藩は名目だけで、なかなかの貧乏藩なのである。


御楼門と同じ並びに、西郷隆盛の大きな銅像が立っている。


全国大会会場へ着いた。ここは第2会場の鹿児島中央公民館。



並んで全体会場の宝山ホールが建っている。
周りは鹿児島県各地のお土産などの露天が取り囲んでいる。

受付を済ませ、お弁当を受け取る。


食事場所は、道路を挟んだ山下町中央公園で、芝生の周りの通路にテントが沢山が設営されていた。
昨日もそうだが、今日も今日とて鹿児島は雨模様なのである。


渡されたお弁当は、鹿児島黒牛(くろうし)弁当だそうだ。


会場の前で、島津藩の野太刀自顕流の稽古を見る。
子供達は勿論、女子も加わっている。



掛け声がすごい。


後ろの銅像は、小松帯刀の像だったらしい。
詳しく見てこなかった。惜しいことをした。




大会記念フォーラムが始まった。
左からコーディネータの鯵坂氏。林望氏。後藤一真氏、大西麻貴氏


林氏のイギリスの住宅から











大西氏は桜島に小学校を計画中だとか。


フォーラムが終わり


大会前の奄美大島の島唄が始まった。
島出身のお二人が着ているのは、大島紬である。
白い大島紬は、初めて見る。
会場でも鹿児島建築士会の女性たちが、華麗に大島紬の着物を着ていた。
綺麗だった。
そして、私達は会場を抜け出す。


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建築士会全国大会 鹿児島 8

2024-11-06 14:26:55 | 
 

全国大会を抜け出して、鹿児島大学キャンパスへ行こうと携帯を取り出した。
第一タクシーに連絡するためである。
「あぁ~、ごめん。今、桜島にいるので行けないわ。」
きっと親切なドライバーさんは、鹿児島旅行には欠かせない案内人でもあるのだと納得する。



国立鹿児島大学キャンパスには、建築家の安藤忠雄作品の「稲村会館」がある。
キャンパス前にタクシーを乗り付けて、簡単にこの稲村会館が見つけられるものだと考えた。
そこにクラブの案内パネルを持って立っていた学生に、会館の位置について聞いてみた。
鹿児島大学にはキャンパスが3箇所あり、最も大きいのがこの郡元キャンパスである。
稲盛会館は、このメインの入口の真反対にあると言うので、シャンパスの中を突っ切って歩くことにした。



この建物は稲盛記念館である。
稲盛氏とは、(株)京セラの元会長で、昭和30年に鹿児島大学工学部を卒業、後に鹿児島大学名誉博士でもあった人物だ。
博士であったのは知らなかったが、経済界ではその名を知らないものはいないほどの有名人である。



稲盛会館の位置がきちんと判っていたなら、反対側の遠い場所に降り立ちはしなかったのにと思いながら歩く。


ただ、雨の中とは言え、大学の様々な建物を見ながら歩くのは楽しい。


見つけた!


安藤忠雄の得意なタマゴが見えている。



玄関の辺りで、見学させて貰って良いか。
撮影も可能かと説いてみた。
容易に許可が取れ、今日は沢山の人が見学に訪れているそうだ。
建築士会の全国大会が開催されていることを納得されていた。



残念ながら、丁度この日は、メインのホールで別の催し物がされていて、内部が披露されないことを告げられた。
その他は、自由に見て撮影も大丈夫とのこと。
応えてくれたのは、スラッとした美人さんだった。


会議室



タマゴの切れ間を歩く。


図面を引くのは容易いが、工事をする側は大変だったろうなと思う曲面。


スロープが空中を交差している。


タマゴの黄身が壁にくっついていた。






2階に上る。


タマゴの先端は外にはみ出ているが、内部はまるでエマニエル夫人の椅子のようである。




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建築士会の全国大会 鹿児島 9

2024-11-05 23:02:38 | 


二日目の鹿児島の夜は、一日目より料理も酒も簡素だったので、割愛する。
最終日の朝は、鹿児島空港よりの霧島アートの森に向けて出発する。
相変わらず桜島は曇っている。


高台の美術館は、現代アートがメインである。
到着した駐車場の中央には、水玉模様のラフレシアもとい草間彌生の大きな作品が陣取っていた。






霧島アートの森へ向かっている。


入り口へ着いた。


受付でチケットが配られる。


草間彌生さんのハイヒールの存在がホールで光っている。


霧島アートの森は、現代アートの宝物殿だ。
特に野外のキャパが広い。
巨大な人物が立っていた。四方から見ても同じ姿である。



ストーンヘンジ?


ストーンヘンジ?から美術館の建物を観る。


鏡の縁のような輪っかが落ちていた。
ここを潜ると別の世界に行くに違いない。


細い人はくぐり抜けられる。


山茶花が咲いていた。


庭から美術館を観る。


風が昆虫の羽根を動かす。



埋もれている羊


子供の遊具ではない。立派な芸術作品なのだが。


女子トイレの中。
近未来のトイレである。


展示室へ入る。


ここでも現代アート。


吹き抜けの上の通路


上部から玄関の受け付けを観る。


歩き疲れた人間達が集まる場所。
カフェと売店にたむろする。


売店のテラスから見た庭のオブジェ。


駐車場の片隅に集まる喫煙者達。
手前の芸術作品は、ホオズキのように見える。


改めて、草間彌生に別れを告げた。


道路はカーブの多い山道を走る。
行く先々に茶畑やお茶の工場が見えた。


昼食に寄った道の駅。
天気が良ければ、桜島や開聞岳が見えるのだそうだ。
開聞岳にお目にかかれなかったのは残念だった。
この山は霧島である。


昼食に、鹿児島ラーメンをチョイスする。
九州は基本的に豚骨なのだそうだ。
鹿児島の黒豚チャーシューは絶品だった。



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