現実逃避 80年代に時間旅行というタイトルで書いていた頃の記事です
16才のとき初めて献血をしました。
このときは、風邪をひいていたこともあって、献血後気分が悪くなりました。
それはそれは、気分が悪くて周囲に迷惑をかけてしまったので、献血は体調を整えてやるべきと、
その後20才まではしませんでしたが、大学の構内に献血カーがやってきて2年ほど参加しましたので、
今回がそれ以来、4度目の献血でした。
今回は献血ルームにての参加だったこともありますが、昔の献血カーの狭い粗末なペットとは大違いで、
テレビやビデオを見ながら、飲み物なども、自由に飲めるリクライニングソファ。
過去の献血手帳も、もはや使えなくなっていましたし、
事前の問診アンケートも画面をタッチしていくんです。年寄りはついていけませんな。
一番の変化は、200、牛乳瓶一本ですね。過去三回はこれでしたが、200は初めて献血する人のみで、
後は400か、成分献血なのだそう。400っていうと昔は強靭な男子だけがするイメージで躊躇しましたが、
結局体重が50キロないとできないそうなので、血漿成分献血ということになりました。
それと、成分献血が初めての人は、心電図を撮ると言われてもう逃げ帰ろうかなと思ったんですけど、これも昔と違っていました。
昔は冷たいゼリーをぬりぬりして、上半身裸にされて、これが嫌でした。
今回、ブラジャーの下まで服を上げるだけですみました。
脈が人より多いのは自覚していますが、ここまで程ほどに健康なのに、
この心電図と子供の時分から聴診器をあてるときっと検診に引っかかっていたので、益々ドキドキしてしまいます。
成分献血だからなのか、昔の献血みたいに親指を織り込んで、残り四本を閉じたり開いたりする必要もありませんでした。
結構その行為がわたしは血を絞り出しているみたいで、気持ち悪くて嫌だったのでしなくてすんでよかったです。
結局、身長と体重の関係から、大した量は提供できなかったみたいですが、どこかでお役に立てていたら幸せです。
飲み物や記念品まで頂いてしまいました。
確か、最後に献血したときから、エイズに関しての検査の希望有無を問うようなった気がします。
それも時代ですね。初めて献血した頃から、エイズという病気が浮き彫りに。
検査のために献血する人がいるなどという噂もありました。
心当たりの人はその日の内に電話をして採血番号を連絡をするようにとのことでした。
今回思ったのは、昔病院で嫌だなぁと思っていたようなことが、ほとんど解消されていることでした。
受付も、医師も看護士さんもみんな親切で丁寧でしたよ。
カードの渡し方が悪いと、暴れた御仁がいたとのこと。一体どんな扱いを受けたことやら だからといって人を傷つけてはいけない
余談ですが、昔役所に行って証明などを取るとき、とその対応の仕方にうんざりしていました。証明を出してやっているという何様な態度。現在はそういったところも親切になりました。それが当たり前で昔が間違っていたんですけどね
過去に執着しがちなわたくしですが、良い方に改善されていくことは大歓迎です。
↑の御仁は余程感じやすい人なのか、あるいは余程な扱いを受けたのか正確なところがわからないので、何とも言えませんが、どんなところも訪れた人が気持ちよく帰っていけるようなより良い日本であってほしいと思うのであります。
自分自身も他者に対して気持ちの好い人でありたいと心がけていますがね・・・イライラしてそうも行かないときだってあります。ごめん。
わたし、図々しい人が嫌いです。人との距離間の取り方が自分と違う人が苦手です。
昨日から、この図々しい男にうんざりしています。
全然関係ないことだけど、ここで叫んですっきりさせてください。
人が答えたくなくて口ごもったことを何度も何度も会うたびにしつこく聞くな 大体何でもかんでも個人的なことを聞いてくるな 営業手段で親しくすると、馴れ馴れしいのは違う、馴れ馴れしい言葉遣いや人のプライバシーに踏み込むのはやめて わたしはあなたの友達じゃありません もう少し察するということを身に着けてほしい あーもう早く転勤してくれないかなぁ できれば別の人に担当になってもらいたい 多分わたしがどれだけ不愉快に思っているか全く感じていないであろう銀行員のことでした。この人が転勤するまで、これ以上通帳増やすのも難だし、利子なんてないも同然だし、郵便局だな。
三月でいなくなるだろうと期待していたのに、まだいてがっかり、次の三月までまたなきゃいけないの?
あー言いたいこと言って少しすっきり。
おやすみなさい。目覚めたらお金持ちになっていますように。
16才のとき初めて献血をしました。
このときは、風邪をひいていたこともあって、献血後気分が悪くなりました。
それはそれは、気分が悪くて周囲に迷惑をかけてしまったので、献血は体調を整えてやるべきと、
その後20才まではしませんでしたが、大学の構内に献血カーがやってきて2年ほど参加しましたので、
今回がそれ以来、4度目の献血でした。
今回は献血ルームにての参加だったこともありますが、昔の献血カーの狭い粗末なペットとは大違いで、
テレビやビデオを見ながら、飲み物なども、自由に飲めるリクライニングソファ。
過去の献血手帳も、もはや使えなくなっていましたし、
事前の問診アンケートも画面をタッチしていくんです。年寄りはついていけませんな。
一番の変化は、200、牛乳瓶一本ですね。過去三回はこれでしたが、200は初めて献血する人のみで、
後は400か、成分献血なのだそう。400っていうと昔は強靭な男子だけがするイメージで躊躇しましたが、
結局体重が50キロないとできないそうなので、血漿成分献血ということになりました。
それと、成分献血が初めての人は、心電図を撮ると言われてもう逃げ帰ろうかなと思ったんですけど、これも昔と違っていました。
昔は冷たいゼリーをぬりぬりして、上半身裸にされて、これが嫌でした。
今回、ブラジャーの下まで服を上げるだけですみました。
脈が人より多いのは自覚していますが、ここまで程ほどに健康なのに、
この心電図と子供の時分から聴診器をあてるときっと検診に引っかかっていたので、益々ドキドキしてしまいます。
成分献血だからなのか、昔の献血みたいに親指を織り込んで、残り四本を閉じたり開いたりする必要もありませんでした。
結構その行為がわたしは血を絞り出しているみたいで、気持ち悪くて嫌だったのでしなくてすんでよかったです。
結局、身長と体重の関係から、大した量は提供できなかったみたいですが、どこかでお役に立てていたら幸せです。
飲み物や記念品まで頂いてしまいました。
確か、最後に献血したときから、エイズに関しての検査の希望有無を問うようなった気がします。
それも時代ですね。初めて献血した頃から、エイズという病気が浮き彫りに。
検査のために献血する人がいるなどという噂もありました。
心当たりの人はその日の内に電話をして採血番号を連絡をするようにとのことでした。
今回思ったのは、昔病院で嫌だなぁと思っていたようなことが、ほとんど解消されていることでした。
受付も、医師も看護士さんもみんな親切で丁寧でしたよ。
カードの渡し方が悪いと、暴れた御仁がいたとのこと。一体どんな扱いを受けたことやら だからといって人を傷つけてはいけない
余談ですが、昔役所に行って証明などを取るとき、とその対応の仕方にうんざりしていました。証明を出してやっているという何様な態度。現在はそういったところも親切になりました。それが当たり前で昔が間違っていたんですけどね
過去に執着しがちなわたくしですが、良い方に改善されていくことは大歓迎です。
↑の御仁は余程感じやすい人なのか、あるいは余程な扱いを受けたのか正確なところがわからないので、何とも言えませんが、どんなところも訪れた人が気持ちよく帰っていけるようなより良い日本であってほしいと思うのであります。
自分自身も他者に対して気持ちの好い人でありたいと心がけていますがね・・・イライラしてそうも行かないときだってあります。ごめん。
わたし、図々しい人が嫌いです。人との距離間の取り方が自分と違う人が苦手です。
昨日から、この図々しい男にうんざりしています。
全然関係ないことだけど、ここで叫んですっきりさせてください。
人が答えたくなくて口ごもったことを何度も何度も会うたびにしつこく聞くな 大体何でもかんでも個人的なことを聞いてくるな 営業手段で親しくすると、馴れ馴れしいのは違う、馴れ馴れしい言葉遣いや人のプライバシーに踏み込むのはやめて わたしはあなたの友達じゃありません もう少し察するということを身に着けてほしい あーもう早く転勤してくれないかなぁ できれば別の人に担当になってもらいたい 多分わたしがどれだけ不愉快に思っているか全く感じていないであろう銀行員のことでした。この人が転勤するまで、これ以上通帳増やすのも難だし、利子なんてないも同然だし、郵便局だな。
三月でいなくなるだろうと期待していたのに、まだいてがっかり、次の三月までまたなきゃいけないの?
あー言いたいこと言って少しすっきり。
おやすみなさい。目覚めたらお金持ちになっていますように。
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