現実逃避 80年代に時間旅行というタイトルで書いていた頃の記事です
1stアルバムを聴いて、そのジャケットを見ていただけば説明の必要はないのですが、
ホイットニー・ヒューストン/Whitney Houstonの歌声は素晴らしかったなあ・・・。
加えて、とても美しくて・・・
当時何故なのか、聴いているとその後ろに心地よい一陣の風が吹いている感じが好きで
ディオンヌ・ワーウッイク/Dionne Warwickをテープがのびる位聴いていました。
実際には従姉妹だそうですが、当時はディオンヌの姪がホイットニーだと紹介されていたはず。
よく覚えていませんが、何か音楽祭だったと思います。
Greatest Love of All を歌う彼女は微妙にレコード(譜面通り)とは異なる
即興のアレンジで歌っていたような気がします。
人種差別などではなく、彼女の持つ肌の色、彼女に流れている血のなせる業のように思えました。
うまく説明できないけれど、例えばStevie Wonder/スティービー・ワンダーやLuther Vandross/
ルーサー・バンドロス、そして、ディオンヌ・ワーウッイク等を聴く時にも共通する感じあり。
ホイットニーが彼女の母親のことを歌っていると紹介されていたような記憶があるのですが、
実際には少し違っていて、作り手の思いが込められているらしい。ちょっと曖昧です ごめんなさい
ジョージ・ベンソン/George Bensonのオリジナルにある背景は少し違っているかも。
PVを観れば、ホイットニーはお母さんを思って歌っていると思えます。
youtubeでGeorge Bensonやアレサ・フランクリン/Aretha Franklinも聴いてみましたが、
わたしはホイットニーが一番好きでした。
まず、わたしにはこの曲の歌詞が『女性の覚悟』に聞こえるから女性のボーカルが
しっくりするのです。彼女はそこに力強さが加えてくれます。
アレサ・フランクリンは技巧的な感じがしました 一回しか聴いてないけど
この曲がヒットした頃まだわたしは高校生でした。
恋をしたり、夢を見たりという年頃なわけですが、当時は今より女性が社会に出て根を下ろす
という考えは乏しく、短大や女子大に行って、2,3年お茶汲みでもして永久就職、
とういうような考え方も少なくはなかったように思います。
結婚すれば万事安泰というような考え方に対して、捻くれ者のわたしは、
もし結婚相手が突然事故や病気で死んだらこの人たちはどうするんだろう?とか
結婚しても、子供のいない生活もあり得るし、とか、忍耐不足や見当を誤って、
一生添い遂げることができず、破鏡したら・・・とか、あれこれ考えたものです。
人生のどこかで、独りきりになる時のために、覚悟が必要だ
まだ子供のくせに可愛くない、夢のないことを考える自分がいました まるでそれが前提みたいにね
とてつもなくそれは不安。でも、自分は一人で雑踏の中にいても寂しく見えない堂々とした人になりたいなあ。
だけど、こんな考え方はどこか間違っている気もするし・・・多数決じゃ絶対負けるよ でも強い人になりたい。
トイレに連れ立って行くのは理解できないけど、当時のわたしは電車にも一人で乗れないような人間だった
勝手に拡大解釈したGreatest Love of All の歌詞は、人に何かを期待し過ぎてはいけないと
思いがちだったわたしを励まし、どう生きればいいのかを教えてくれているような気がしました。
こんな感じ・・・・みんなヒーローを探し、尊敬する人を必要としているけど、わたしの求めるような人はいなかった
独りぼっちで学んだのは自分を頼りに生きること 中略
失敗しても、成功しても自分の信じる様に生きたい 例えわたしから何を奪おうと、誇りだけは奪うことはできない
略 何にも勝る最高の愛は自分自身を愛すること・・・
先日、女優の大原麗子さんの訃報を聞き、それを『孤独死』という言葉で
憐れんだ表現をする一部マスコミに物申したい気分になりました。
病気でその姿を見ることがなくなって久しいため、凛と背筋の伸びた美しい印象のまま。
わたしは思いました。勝手ながら・・・・・
大原麗子さんは独りきりで生きる覚悟を人生のどこかでした人だと。
覚悟せずとも、人生で一度もそういう思いに至らず、独りでいることがただ淋しいことだと
単純な発想で文字や言葉にする人にはわからない覚悟のあった人のように思えるのです。
うーん、飯島愛さんにもそんな『覚悟の途中』みたいなものを感じました。
だから、『孤独死』なんて書き方や言い方は彼女達の誇りを傷つけている気がして何だか嫌なのです。
誰かといても、孤独なこともあります。わたしは間違っているかもしれない、
でもずいぶん若いときからそんなことを考えて生きていたみたい。
86年のあの頃から長い歳月が過ぎ、今、Greatest Love Of Allを聴きながらわかったったのは、
こんなに長い時間をかけても、未だわたしにはその覚悟ができていないということ・・・・。
こういうことを考えないで過ごせる一生は幸福なのかもしれません。
だけど、わたしは何度生まれ変わっても考える自分でいたい気がします。
歌い出しは、 子供達の未来を信じているから、正しく教えて良き先導をしてもらわないと・・・・ っていう感じなのですけど、
良い子はわたしの様な考えを持たない方がいいのかもしれないね。
独りきりにならないための努力といものが多分あると思うから・・・。そちらを身につけた方が良い
年老いて温まりたい者は、若いうちに暖炉の用意をしなさい なんて言葉もありますよ
家族内のことはわからないけど、某大物俳優さんはこの努力を 若き日の家庭で怠ったのかもしれない
ちょっびり非道だという印象を受ける娘さんの在り方について、中々できる事ではないが、
全くわからないとも思わない そしてその胸にはきっと痛みがあるはずです
ちなみに88年の日本武道館でのThe Moment Of Truth Tour に行きました。
そのことで是非書きたいことがあるけど長くなりすぎたので次回 あなたならどうする?に つづく
1stアルバムを聴いて、そのジャケットを見ていただけば説明の必要はないのですが、
ホイットニー・ヒューストン/Whitney Houstonの歌声は素晴らしかったなあ・・・。
加えて、とても美しくて・・・
当時何故なのか、聴いているとその後ろに心地よい一陣の風が吹いている感じが好きで
ディオンヌ・ワーウッイク/Dionne Warwickをテープがのびる位聴いていました。
実際には従姉妹だそうですが、当時はディオンヌの姪がホイットニーだと紹介されていたはず。
よく覚えていませんが、何か音楽祭だったと思います。
Greatest Love of All を歌う彼女は微妙にレコード(譜面通り)とは異なる
即興のアレンジで歌っていたような気がします。
人種差別などではなく、彼女の持つ肌の色、彼女に流れている血のなせる業のように思えました。
うまく説明できないけれど、例えばStevie Wonder/スティービー・ワンダーやLuther Vandross/
ルーサー・バンドロス、そして、ディオンヌ・ワーウッイク等を聴く時にも共通する感じあり。
ホイットニーが彼女の母親のことを歌っていると紹介されていたような記憶があるのですが、
実際には少し違っていて、作り手の思いが込められているらしい。ちょっと曖昧です ごめんなさい
ジョージ・ベンソン/George Bensonのオリジナルにある背景は少し違っているかも。
PVを観れば、ホイットニーはお母さんを思って歌っていると思えます。
youtubeでGeorge Bensonやアレサ・フランクリン/Aretha Franklinも聴いてみましたが、
わたしはホイットニーが一番好きでした。
まず、わたしにはこの曲の歌詞が『女性の覚悟』に聞こえるから女性のボーカルが
しっくりするのです。彼女はそこに力強さが加えてくれます。
アレサ・フランクリンは技巧的な感じがしました 一回しか聴いてないけど
この曲がヒットした頃まだわたしは高校生でした。
恋をしたり、夢を見たりという年頃なわけですが、当時は今より女性が社会に出て根を下ろす
という考えは乏しく、短大や女子大に行って、2,3年お茶汲みでもして永久就職、
とういうような考え方も少なくはなかったように思います。
結婚すれば万事安泰というような考え方に対して、捻くれ者のわたしは、
もし結婚相手が突然事故や病気で死んだらこの人たちはどうするんだろう?とか
結婚しても、子供のいない生活もあり得るし、とか、忍耐不足や見当を誤って、
一生添い遂げることができず、破鏡したら・・・とか、あれこれ考えたものです。
人生のどこかで、独りきりになる時のために、覚悟が必要だ
まだ子供のくせに可愛くない、夢のないことを考える自分がいました まるでそれが前提みたいにね
とてつもなくそれは不安。でも、自分は一人で雑踏の中にいても寂しく見えない堂々とした人になりたいなあ。
だけど、こんな考え方はどこか間違っている気もするし・・・多数決じゃ絶対負けるよ でも強い人になりたい。
トイレに連れ立って行くのは理解できないけど、当時のわたしは電車にも一人で乗れないような人間だった
勝手に拡大解釈したGreatest Love of All の歌詞は、人に何かを期待し過ぎてはいけないと
思いがちだったわたしを励まし、どう生きればいいのかを教えてくれているような気がしました。
こんな感じ・・・・みんなヒーローを探し、尊敬する人を必要としているけど、わたしの求めるような人はいなかった
独りぼっちで学んだのは自分を頼りに生きること 中略
失敗しても、成功しても自分の信じる様に生きたい 例えわたしから何を奪おうと、誇りだけは奪うことはできない
略 何にも勝る最高の愛は自分自身を愛すること・・・
先日、女優の大原麗子さんの訃報を聞き、それを『孤独死』という言葉で
憐れんだ表現をする一部マスコミに物申したい気分になりました。
病気でその姿を見ることがなくなって久しいため、凛と背筋の伸びた美しい印象のまま。
わたしは思いました。勝手ながら・・・・・
大原麗子さんは独りきりで生きる覚悟を人生のどこかでした人だと。
覚悟せずとも、人生で一度もそういう思いに至らず、独りでいることがただ淋しいことだと
単純な発想で文字や言葉にする人にはわからない覚悟のあった人のように思えるのです。
うーん、飯島愛さんにもそんな『覚悟の途中』みたいなものを感じました。
だから、『孤独死』なんて書き方や言い方は彼女達の誇りを傷つけている気がして何だか嫌なのです。
誰かといても、孤独なこともあります。わたしは間違っているかもしれない、
でもずいぶん若いときからそんなことを考えて生きていたみたい。
86年のあの頃から長い歳月が過ぎ、今、Greatest Love Of Allを聴きながらわかったったのは、
こんなに長い時間をかけても、未だわたしにはその覚悟ができていないということ・・・・。
こういうことを考えないで過ごせる一生は幸福なのかもしれません。
だけど、わたしは何度生まれ変わっても考える自分でいたい気がします。
歌い出しは、 子供達の未来を信じているから、正しく教えて良き先導をしてもらわないと・・・・ っていう感じなのですけど、
良い子はわたしの様な考えを持たない方がいいのかもしれないね。
独りきりにならないための努力といものが多分あると思うから・・・。そちらを身につけた方が良い
年老いて温まりたい者は、若いうちに暖炉の用意をしなさい なんて言葉もありますよ
家族内のことはわからないけど、某大物俳優さんはこの努力を 若き日の家庭で怠ったのかもしれない
ちょっびり非道だという印象を受ける娘さんの在り方について、中々できる事ではないが、
全くわからないとも思わない そしてその胸にはきっと痛みがあるはずです
ちなみに88年の日本武道館でのThe Moment Of Truth Tour に行きました。
そのことで是非書きたいことがあるけど長くなりすぎたので次回 あなたならどうする?に つづく
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