現実逃避 80年代に時間旅行というタイトルで書いていた頃の記事です
半裸に胸毛を纏ったおヒゲのおじさん・・・
『マカロニほうれん荘』という漫画に登場する熊先生が、「Noォ!」と苦悶気味に叫ぶときに、変身していたひと。
わたしのFreddie Mercury/フレディ・マーキュリーに対する認識なんてそんなものでした。 どっちも気持ち悪いの
ちょっとどぎついイメージを持っていたのですけど、ソロアルバムMr.Bad guyのジャケットの彼は
サングラスをかけて、静かにこちらを向いていて、さっぱりして見えます。70年代のアメリカのフォークアルバムみたい
そして、そのアルバムに収められていたのが、I was born to love youなわけです。
驚くような感覚が通り抜けていく・・・僕は君を愛するために生まれてきた ひとつひとつの胸の鼓動と一体に、
そう、僕は人生の来る日も来る日も、君を大切にするために生まれてきたんだ
君は僕にとって無二のひと、僕は君にとって唯一の男
僕のために君は創られ、僕を恍惚に導く
どんな好機に恵まれようと、愛のためならふいにしても構わないよ
一緒にチャンスに賭けてみようよ 愛し合おうよ
夢に捕らわれて、それがが叶った
この身に起こったことがとても信じられないよ・・・・・・・・・・・(くりかえしの部分は略)
君を愛したい、君に関するどんな些細なことでも全部愛しているんだ
I wanna love you, love you, love youと続いて行きますのでこれくらいに。
とにかくすごく、激しくlove you,を繰り返すわけなの。
あららっ、つい先ほどまで、ほぼ、何の巧言もない、恥ずかしいくらい真っ直ぐな歌詞だと思っていたのに、
気づいたことがありますよ・・・。
ほぼ、何の巧言もないと言ったのは、you are the one for meってところが『ほぼ』でないと思うのからです。
次がman for youだから、one じゃなくて、womanでもいいはずだし、そう誤解しているひともいて、
確かライナーノーツの訳詞も女(ひと)としてあったと思います。
まあ、womanだと字余りでoneの方が、収まりいい韻を踏みますからそれだけのことかもしれませんけど、
そこに込めた思いがきっとあったよね。うん(誰か返事して)
そして、いま気づいたのはlet me romance with youってとこなんですよ・・・何でもないんですけど、
この部分訳すのに一番悩んで、挙句に間抜けみたいに「愛し合おうよ」としか訳せないの。
だけどですよ、もうしつこく考えすぎだよと言われればそれまでですけどね、何でそれまで
散々、君を愛するために生まれてきたとか、人生、毎日で君を大事にするなんて言っておいてだ、
romanceなんて言葉を使うのです?romanceっていうのは恋愛は恋愛でも、激情というか、
ぱっと灯った性急な激しい恋愛物語ではあるけれど、長続きはしない、短い恋愛だったり、
まあ、それは理想的な相手だけど、情事、 艶事だとわたしは思うのです。
だから・・・もしかしたら彼は既にこの頃、後に自分の身に起こることをに知っていたのかなと。
それが短い時間になるかもしれないけれど、命の限り、命続く限り愛しまくったるぜっという誓いみたいに
今となっては思ってしまうわけなのです。というか、訳してみながら気づいたのですけどね。
初めの予定では、love you を繰り返す、しかも激しく一体何度love love 言えばいいの?
だけど、こんなふうに思われるのは、現実には絶対無いけれど(きっぱり、言い切り)幸せよね。
故に、これ究極のラヴ・ソング。というお粗末な話で終わるはずでした。
フレディ・マーキュリーを語る上で、やっぱり避けて通れない話題になります。
誰から聞いたのか、はたまたどこからそんな情報が入ったのか、
80年代耳にするようになったある病に彼が侵されていると、田舎の女子高生の耳にも届いてきました。
それを聞いたときわたしは近い将来、このひとがいなくなってしまうんだなあと思ったことを覚えています。
その頃はおそらく単なるうわさの域だったのでしょうけれど。
現在では、薬でコントロールして、日常を送ることが可能になっていますが、当時の認識は、
必ず死に至る病だと田舎の高校生は思っていたのですね。
80年代は終焉。そしてその日は緩やかにやってきました。
テレビニュースでわたしは彼の死を知り、とうとう、その日がやって来たんだなと思ったことを覚えています。
ただ、それ以前とも、現在とも全く異なる価値観を持ち始めた頃で、感慨に耽ることもありませんでした。
ただ、過去の噂のせいで(実際は事実でしたが)早くからわたしはフレディが病気を公にしていたものと誤解。
自身のsexual orientationについても、井出達から身勝手な思い込みで、オープンなイメージを持っていました。
明るくオープンなね。
昔は、繊細さを感じたことがなかったけれど、なんのなんの、大変な誤解をしてました。
そして優しさを感じ、芸術家にありがちな、『個人的なこと』を主にして音楽を構築するひとではなく、
まずは音楽そのものを届けてくれるひとだったのかなと思ってみたりしています。
だから、病気も亡くなる近くまで公にしなかったのかもね。それはとても個人的なことなのだから。
Mr.Bad Guyのライナー・ノーツに確か、
自分が求めていたような音楽を、若者に届けたいというようなことが書かれていました。
色々深読みした挙句にですが、天にも昇るような気持ちにしてくれる激しいけれど、
耳ざわりが良く心地いいlove songは、命続く限り彼が『若者』だったわたしたちに届けてくれた
誰のものでもない、万人のための究極のlove songだと思いたい。思わせて下さい。思うことにしました。
ちなみに、わたしとフレディさんの共通点ひとつ、猫が好き。
いつか、フレディ・マーキュリーは天才って話もしたいけれど、それを語るにはもう少し、
クイーンを聴きこむ必要があるので・・・・・。
次回は、ちょっとワールドカップの話をしてみたいと思っています。
半裸に胸毛を纏ったおヒゲのおじさん・・・
『マカロニほうれん荘』という漫画に登場する熊先生が、「Noォ!」と苦悶気味に叫ぶときに、変身していたひと。
わたしのFreddie Mercury/フレディ・マーキュリーに対する認識なんてそんなものでした。 どっちも気持ち悪いの
ちょっとどぎついイメージを持っていたのですけど、ソロアルバムMr.Bad guyのジャケットの彼は
サングラスをかけて、静かにこちらを向いていて、さっぱりして見えます。70年代のアメリカのフォークアルバムみたい
そして、そのアルバムに収められていたのが、I was born to love youなわけです。
驚くような感覚が通り抜けていく・・・僕は君を愛するために生まれてきた ひとつひとつの胸の鼓動と一体に、
そう、僕は人生の来る日も来る日も、君を大切にするために生まれてきたんだ
君は僕にとって無二のひと、僕は君にとって唯一の男
僕のために君は創られ、僕を恍惚に導く
どんな好機に恵まれようと、愛のためならふいにしても構わないよ
一緒にチャンスに賭けてみようよ 愛し合おうよ
夢に捕らわれて、それがが叶った
この身に起こったことがとても信じられないよ・・・・・・・・・・・(くりかえしの部分は略)
君を愛したい、君に関するどんな些細なことでも全部愛しているんだ
I wanna love you, love you, love youと続いて行きますのでこれくらいに。
とにかくすごく、激しくlove you,を繰り返すわけなの。
あららっ、つい先ほどまで、ほぼ、何の巧言もない、恥ずかしいくらい真っ直ぐな歌詞だと思っていたのに、
気づいたことがありますよ・・・。
ほぼ、何の巧言もないと言ったのは、you are the one for meってところが『ほぼ』でないと思うのからです。
次がman for youだから、one じゃなくて、womanでもいいはずだし、そう誤解しているひともいて、
確かライナーノーツの訳詞も女(ひと)としてあったと思います。
まあ、womanだと字余りでoneの方が、収まりいい韻を踏みますからそれだけのことかもしれませんけど、
そこに込めた思いがきっとあったよね。うん(誰か返事して)
そして、いま気づいたのはlet me romance with youってとこなんですよ・・・何でもないんですけど、
この部分訳すのに一番悩んで、挙句に間抜けみたいに「愛し合おうよ」としか訳せないの。
だけどですよ、もうしつこく考えすぎだよと言われればそれまでですけどね、何でそれまで
散々、君を愛するために生まれてきたとか、人生、毎日で君を大事にするなんて言っておいてだ、
romanceなんて言葉を使うのです?romanceっていうのは恋愛は恋愛でも、激情というか、
ぱっと灯った性急な激しい恋愛物語ではあるけれど、長続きはしない、短い恋愛だったり、
まあ、それは理想的な相手だけど、情事、 艶事だとわたしは思うのです。
だから・・・もしかしたら彼は既にこの頃、後に自分の身に起こることをに知っていたのかなと。
それが短い時間になるかもしれないけれど、命の限り、命続く限り愛しまくったるぜっという誓いみたいに
今となっては思ってしまうわけなのです。というか、訳してみながら気づいたのですけどね。
初めの予定では、love you を繰り返す、しかも激しく一体何度love love 言えばいいの?
だけど、こんなふうに思われるのは、現実には絶対無いけれど(きっぱり、言い切り)幸せよね。
故に、これ究極のラヴ・ソング。というお粗末な話で終わるはずでした。
フレディ・マーキュリーを語る上で、やっぱり避けて通れない話題になります。
誰から聞いたのか、はたまたどこからそんな情報が入ったのか、
80年代耳にするようになったある病に彼が侵されていると、田舎の女子高生の耳にも届いてきました。
それを聞いたときわたしは近い将来、このひとがいなくなってしまうんだなあと思ったことを覚えています。
その頃はおそらく単なるうわさの域だったのでしょうけれど。
現在では、薬でコントロールして、日常を送ることが可能になっていますが、当時の認識は、
必ず死に至る病だと田舎の高校生は思っていたのですね。
80年代は終焉。そしてその日は緩やかにやってきました。
テレビニュースでわたしは彼の死を知り、とうとう、その日がやって来たんだなと思ったことを覚えています。
ただ、それ以前とも、現在とも全く異なる価値観を持ち始めた頃で、感慨に耽ることもありませんでした。
ただ、過去の噂のせいで(実際は事実でしたが)早くからわたしはフレディが病気を公にしていたものと誤解。
自身のsexual orientationについても、井出達から身勝手な思い込みで、オープンなイメージを持っていました。
明るくオープンなね。
昔は、繊細さを感じたことがなかったけれど、なんのなんの、大変な誤解をしてました。
そして優しさを感じ、芸術家にありがちな、『個人的なこと』を主にして音楽を構築するひとではなく、
まずは音楽そのものを届けてくれるひとだったのかなと思ってみたりしています。
だから、病気も亡くなる近くまで公にしなかったのかもね。それはとても個人的なことなのだから。
Mr.Bad Guyのライナー・ノーツに確か、
自分が求めていたような音楽を、若者に届けたいというようなことが書かれていました。
色々深読みした挙句にですが、天にも昇るような気持ちにしてくれる激しいけれど、
耳ざわりが良く心地いいlove songは、命続く限り彼が『若者』だったわたしたちに届けてくれた
誰のものでもない、万人のための究極のlove songだと思いたい。思わせて下さい。思うことにしました。
ちなみに、わたしとフレディさんの共通点ひとつ、猫が好き。
いつか、フレディ・マーキュリーは天才って話もしたいけれど、それを語るにはもう少し、
クイーンを聴きこむ必要があるので・・・・・。
次回は、ちょっとワールドカップの話をしてみたいと思っています。
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