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1.北側の四川北路へ出る門の横に建つのが旧「知恩院」です。
2.1924年建築のイスラムスペイン様式の外観。
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日中戦争終了後に「孔祥熙」が住んでいたので「孔公館」と呼ばれたと記されています。
3.孔祥熙は山西省出身孔子75代の直系と称され、アメリカ留学中に鉱物学の修士を取得し、帰国後郷里で学校を創設の傍ら、石油ビジネスで莫大な財をなしました。
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孫文との交流が縁で宗家の3姉妹の長女宋靄齢と東京で結婚しました。孫文が北京で病没した際の遺言の証人の一人となっています。
4.その後蒋介石を助け国民党政権時代は財政部長など重職を歴任しましたが、晩年は権力を利用し私腹を肥やし糾弾されています。
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国民党政権絶頂期は「蒋介石、宋子文、孔祥熙、陳果夫」を中国4大家族と呼び、夫婦の財産では4家族一と噂されていました。
5.「知恩院」の名前から建設当時は日本の寺社だったのかもしれませんが、有効な資料を発見できませんでした。
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孔祥熙はこの他上海市内に3軒の豪邸を所有していましたが、1947年にアメリカへ渡り1967年にニューヨークで没しています。
6.四川北路に繋がる北側の門。
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7.魯迅など多倫街に縁のある人物紹介のパネルが在ります。
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20世紀初頭、上海では紡績業が勃興し大量の労働者階級が発生した結果、その中から共産党が誕生しました。
活動家たちは中国の治外法権だった租界で弾圧や迫害を逃れ勢力範囲を広げていきます。
撮影:CANON EOS5DIII + EF24-105mmF4 IS
2.1924年建築のイスラムスペイン様式の外観。
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日中戦争終了後に「孔祥熙」が住んでいたので「孔公館」と呼ばれたと記されています。
3.孔祥熙は山西省出身孔子75代の直系と称され、アメリカ留学中に鉱物学の修士を取得し、帰国後郷里で学校を創設の傍ら、石油ビジネスで莫大な財をなしました。
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孫文との交流が縁で宗家の3姉妹の長女宋靄齢と東京で結婚しました。孫文が北京で病没した際の遺言の証人の一人となっています。
4.その後蒋介石を助け国民党政権時代は財政部長など重職を歴任しましたが、晩年は権力を利用し私腹を肥やし糾弾されています。
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国民党政権絶頂期は「蒋介石、宋子文、孔祥熙、陳果夫」を中国4大家族と呼び、夫婦の財産では4家族一と噂されていました。
5.「知恩院」の名前から建設当時は日本の寺社だったのかもしれませんが、有効な資料を発見できませんでした。
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孔祥熙はこの他上海市内に3軒の豪邸を所有していましたが、1947年にアメリカへ渡り1967年にニューヨークで没しています。
6.四川北路に繋がる北側の門。
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7.魯迅など多倫街に縁のある人物紹介のパネルが在ります。
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20世紀初頭、上海では紡績業が勃興し大量の労働者階級が発生した結果、その中から共産党が誕生しました。
活動家たちは中国の治外法権だった租界で弾圧や迫害を逃れ勢力範囲を広げていきます。
撮影:CANON EOS5DIII + EF24-105mmF4 IS
孔祥熙は中国で成功しても結局は中国を捨てアメリカに渡って行ってしまったんですか。
ソニーからフルサイズα7R ILCE-7Rが出ましたね、
ミラーレスですが注目度が高いようです。
一眼レフの機能的にはまだまだですが普段持ち歩く携帯性を考えると思わず欲しくなってきました。
中国の近代史は日本と関係が深く、知れば知るほど面白く、奥が深いです。
新しいカメラは物欲をそそりますが、私はCANON以外は目を向けないように努力しています。(笑)
CANONではG1Xの後継機として、フルサイズのコンデジを造るかもしれません。
EOS Mの後継機も気になるところです。
それよりも何とか写真がうまくなりたいとおもいますが、
一向に納得できる写真が写せません。
教科書やガイドブックでは、
ここまで分かりません。
ありがとうございます。
清代、日清戦争当時の大臣李鴻章などは、私設軍隊を持っていてもすべて自腹だったようで
軍隊が鉱山や鉄道を経営して賄っていたようです。
「戦争で手柄を立てれば朝廷から褒美が出る」ような感じですから、「私腹を肥やす」ことは当たり前の行為だったのではないでしょうか。
中国ではその名残が未だにあるのでしょうね。
読んだことがあります。
主人公は張作霖なのですが、
李鴻章の私設軍隊も登場してました!
いま、あの面白い本を思い出しました。
しかし、中国は全てがスケールが大きいですようね!
腐敗も・・・。(苦笑)
上海ベイビーのパパさんは読書家なのですね。
(尊敬)
浅田次郎著の「蒼穹の昴」は読みましたが、「中原の虹」読んでないので、日本へ帰ったら図書館へ行ってみます。
李鴻章は日清戦争の講和条約で下関へも来ていますね。
上海にも彼の別荘があって、今ではレストランになっています。
歴史の主人公は亡くなっても、舞台の建築物が残っているところが上海の魅力の一つです。
いえいえ、私の読書量は、少ないです。
近所に図書館がありますが、
最近は育児もありますので、
なかなか読書できません。
清朝・李鴻章のこと等、
いろいろ教えてくれてありがとうございます。
勉強になりました。
日本軍側の赤十字船が、極秘任務を受け、
上海を目指す、実話ももとにした作品も面白いです。
浅田次郎さんは、
中国王朝物、剣客物等、
いろいろな作品がありますね。
全部制覇していないですが。
私も、機会があれば、
「蒼穹の昴」読んでみたいです!
育児の時期が終わらないと時間が取れませんね。
浅田次郎まだまだ読んでみたいですね。
中国物は陳舜臣を読んでいました。
彼は神戸出身の華僑だけあって、中国歴史ものは確信を突いているようです。
読んでみたいです。
育児や次女出産を控え、
なかなか時間が取れませんが、
それがいいんだと思います。
30歳まで一人暮らしをしていたので、
家庭のありがたみを感じます。