わたしはすでにオジサンであるが、自分としての理想のおじさん像を
持っている。それは、不思議なおじさんである。
九州の田舎に住んでいた幼い頃、東京の遠い親戚のおじさんが遊びに来たときに、
そのあかぬけた不思議な雰囲気と、いつの間にか去って行った残像の
ようなものが残っているせいなのか、いつの頃か自分も
ああいう感じになりたいなあ…と思うようになっていた。
抽象的でわかりにくいかも知れないが、時折り見かける麦焼酎「二階堂」の
コマーシャルに出てくるおじさんがそのイメージに近いのである。
中折れ帽をかぶって、コートを着たおじさんの後姿の映像が出てくるのだ。
そう…どういうわけだか帽子とコートはかかせないイメージなのである。
どこからともなくやってきていつの間にか去っていく。そんな不思議な存在感の
ある不思議なおじさん…。
しかし現実にはなかなかこうはいくまい。こういう存在感を出せるには、
幾多の修羅場をかいくぐり、一種仙人のような境地に達しないと
無理ではないかと思われるのだ。
その修羅場のくぐりかたも一歩間違えると、あの黒い帽子に黒のマントの
ハーメルンの笛吹き男…という恐ろしいものになってしまう危険性もあるのだ。
まあ…幸か不幸か現在のわたしはこの絵のような夕方5時過ぎに
ふらりと買い物に現れるスーパーおじさんなのである。
大根を 片手に鰤の 粗売り場
issei
持っている。それは、不思議なおじさんである。
九州の田舎に住んでいた幼い頃、東京の遠い親戚のおじさんが遊びに来たときに、
そのあかぬけた不思議な雰囲気と、いつの間にか去って行った残像の
ようなものが残っているせいなのか、いつの頃か自分も
ああいう感じになりたいなあ…と思うようになっていた。
抽象的でわかりにくいかも知れないが、時折り見かける麦焼酎「二階堂」の
コマーシャルに出てくるおじさんがそのイメージに近いのである。
中折れ帽をかぶって、コートを着たおじさんの後姿の映像が出てくるのだ。
そう…どういうわけだか帽子とコートはかかせないイメージなのである。
どこからともなくやってきていつの間にか去っていく。そんな不思議な存在感の
ある不思議なおじさん…。
しかし現実にはなかなかこうはいくまい。こういう存在感を出せるには、
幾多の修羅場をかいくぐり、一種仙人のような境地に達しないと
無理ではないかと思われるのだ。
その修羅場のくぐりかたも一歩間違えると、あの黒い帽子に黒のマントの
ハーメルンの笛吹き男…という恐ろしいものになってしまう危険性もあるのだ。
まあ…幸か不幸か現在のわたしはこの絵のような夕方5時過ぎに
ふらりと買い物に現れるスーパーおじさんなのである。
大根を 片手に鰤の 粗売り場
issei