このところ、ちと元気がない…。
というのも、今年あまりにもいろんなことがありすぎて、大いなるショックを受けて
いるからだ。
正月早々インフルエンザで三途の川に片足を突っ込んだかと思うと、3月の
東日本大震災である。生と死、運、不運、明日の運命のわからなさをイヤと
言う程突きつけられたのだ。
そんな中での4月の作品展示。ここでも展示していて何となく感じた孤独感。
5月に入ると、友人知人が相次いで脳梗塞を起こして入院した。
みんな元の工場で働いていた同僚たちなのだ。一緒に同じ釜の飯を食い、
苦楽を共にした言わば、戦友である。そのうちの一人は同期の桜だ。
先日、その同期の桜を見舞いに行ってきた。彼はわたしを見ると、「おお」と
にこやかに笑いかけ、「ちょっと向こうで話そうか」と座っていたベッドから
サッと立ってスッスッとこちらに躊躇なく歩いて来るではないか。彼はそのまま
先に歩いて行って、待合室らしきとこまで案内してくれたのである。
以前と何ら変わらないにこやかな表情は、見た目どこが悪いのかわからないぐらい
だったので、安心したのだが、ご当人は言語に多少不自由さがあるもどかしさを
語ってくれた。確かに、思っていることがスムーズに出にくそうではあったが、
声量は以前と変わりなくよく響き渡った。会話もこちらが先読みして多少カバー
すればちゃんと成立する。
彼はがんばりやで、人の嫌がることでも率先してやっていくタイプで、リーダー的
存在だったのだ。以前マンガ家だったわたしは、会社勤めのノウハウなどまったく
わからなかったので、彼の背中を見て学ばせてもらったのである。
彼は、これまでの経過を話してくれたが、まだまだ他にも心配な症状を抱えていて、
満身創痍のようだ。わたしは彼の負担を考え、早々においとましたが、
帰る道すがら、「人ごとではない」という思いがズシリとのしかかってきていた。
がんばりやの彼は、決して人に弱みを見せないところがあるので、にこやかな
表情での応対も彼なりのがんばりと汲み取っている。
思えば、同じ工場で働いていた以前の上司が真っ先に脳梗塞を起こしたのだ。
数年前である。やはり言語に障害を残しているが、定年後の現在も元気に
同じ会社で働いている。
以前の同僚たちが一時的とはいえ、相次いで戦線離脱を余儀なくされているのだ。
みんな骨身を削って働いている有能な戦士たちである。今のとこわたしが
無事なのは、さほど有能ではないせいかもしれない。
とはいえ、これでもわたしなりに精一杯働いてはいるのである。元々日々の時間に
拘束されない自由業だったので、キッチリ決められた1日の時間を働くのは
最も苦手とするところなのだ。
しかし、一応家庭なるものを持ってしまった以上、その生計を支える責任を負って
いるので、耐えがたきを耐え、忍びがたきを忍んで働いているのだ。まあ、これは
多かれ少なかれみんな同じに違いない。
ともあれ、明日は我が身という思いは切々と募ってくる。
いま、身の振り方が迫られている。
というのも、今年あまりにもいろんなことがありすぎて、大いなるショックを受けて
いるからだ。
正月早々インフルエンザで三途の川に片足を突っ込んだかと思うと、3月の
東日本大震災である。生と死、運、不運、明日の運命のわからなさをイヤと
言う程突きつけられたのだ。
そんな中での4月の作品展示。ここでも展示していて何となく感じた孤独感。
5月に入ると、友人知人が相次いで脳梗塞を起こして入院した。
みんな元の工場で働いていた同僚たちなのだ。一緒に同じ釜の飯を食い、
苦楽を共にした言わば、戦友である。そのうちの一人は同期の桜だ。
先日、その同期の桜を見舞いに行ってきた。彼はわたしを見ると、「おお」と
にこやかに笑いかけ、「ちょっと向こうで話そうか」と座っていたベッドから
サッと立ってスッスッとこちらに躊躇なく歩いて来るではないか。彼はそのまま
先に歩いて行って、待合室らしきとこまで案内してくれたのである。
以前と何ら変わらないにこやかな表情は、見た目どこが悪いのかわからないぐらい
だったので、安心したのだが、ご当人は言語に多少不自由さがあるもどかしさを
語ってくれた。確かに、思っていることがスムーズに出にくそうではあったが、
声量は以前と変わりなくよく響き渡った。会話もこちらが先読みして多少カバー
すればちゃんと成立する。
彼はがんばりやで、人の嫌がることでも率先してやっていくタイプで、リーダー的
存在だったのだ。以前マンガ家だったわたしは、会社勤めのノウハウなどまったく
わからなかったので、彼の背中を見て学ばせてもらったのである。
彼は、これまでの経過を話してくれたが、まだまだ他にも心配な症状を抱えていて、
満身創痍のようだ。わたしは彼の負担を考え、早々においとましたが、
帰る道すがら、「人ごとではない」という思いがズシリとのしかかってきていた。
がんばりやの彼は、決して人に弱みを見せないところがあるので、にこやかな
表情での応対も彼なりのがんばりと汲み取っている。
思えば、同じ工場で働いていた以前の上司が真っ先に脳梗塞を起こしたのだ。
数年前である。やはり言語に障害を残しているが、定年後の現在も元気に
同じ会社で働いている。
以前の同僚たちが一時的とはいえ、相次いで戦線離脱を余儀なくされているのだ。
みんな骨身を削って働いている有能な戦士たちである。今のとこわたしが
無事なのは、さほど有能ではないせいかもしれない。
とはいえ、これでもわたしなりに精一杯働いてはいるのである。元々日々の時間に
拘束されない自由業だったので、キッチリ決められた1日の時間を働くのは
最も苦手とするところなのだ。
しかし、一応家庭なるものを持ってしまった以上、その生計を支える責任を負って
いるので、耐えがたきを耐え、忍びがたきを忍んで働いているのだ。まあ、これは
多かれ少なかれみんな同じに違いない。
ともあれ、明日は我が身という思いは切々と募ってくる。
いま、身の振り方が迫られている。
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