つぶや句

夢追いおっさんの近況および思うことを気まぐれに。

終わってしまった

2011-08-21 04:23:02 | 
8日間とった夏休みも、もう終わりである。いつもだったら
寂しくて仕方ないとこなのだが、今年は、全体にバタバタしてたせいか
不思議なほどそうでもない。

それにしても暑い夏だった。昨日あたりから秋蝉のつくつくぼうしが鳴き始め
夏の終わりを告げようとしている。もう立秋も過ぎて、暦のうえでは残暑になるが、
まだまだ、この地方は暑い日が続いている。

先日友人のF氏と呑んだ。1年ぶりである。どういうわけか彼の夢を長々とみたのだが、
そのとき彼の左頬に傷があったので、気になって電話をしたのだ。
幸い彼の頬はいつものようにつややかで安心した。いらざる心配をかけたことを詫びたのだった。

彼は元同僚なので、友人や同僚が脳梗塞になったことなど、こちらの近況を
話した。彼はまじまじとわたしの顔を見て「Kさんやせた?」と飲み始めてすぐに
言った。1年前とそうは変わらないと思うのだが、先月の健康診断の結果は
「やせ」の部類に入っていたのである。昨年は入っていなかったのだ。

まあ、やせの大食いぎみで、このところセーブしてるぐらいなので、心配はいらないと
思うのだが、お互いに血圧高めなので、気をつけようと健康談議に花を咲かせた。
最寄りの駅で分かれたのだが、二人それぞれに時の流れがあることを改めて感じさせられ、
身の回りの病変を思うと、彼の末永き健康を祈らざるをえなかった。

この日はまだまだ暑く、部屋へ帰り着いたときにはかなり汗ばんでいた。

前々回のブログで書いた画廊の審査だが、無事OKをいただいたので、登録する作品を
決めなければならないし、まだ、色々と手続きがあるので、それに取り掛から泣けれがならない。
今年の夏休みは、暑く、熱く、終わりそうである。


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後ろ姿

2011-08-17 04:12:12 | つらつら思うこと
          後ろ姿のしぐれてゆくか

種田山頭火の有名な句だが、「しぐれ」というのは、時雨とも書いて、
降ったり止んだりする雨のことで、冬の季語になっている。友人の後ろ姿なのか
自分の姿なのか、冬の雨に濡れつつ…歩き行く…。寂しげな姿を詠んでいる。

このように後ろ姿には、その人の心情が映し出されるようだ。よく、“男の背中”に
男の生きざまが出るなどと言われるように、無意識の姿が見えるのかもしれない。

大好きなドラマ「のだめカンタ-ビレ」では、のだめの先輩千秋真一の指揮する背中を
見て、「なぜだろう…きみは才能に溢れ、そんなにも音楽への情熱を持っているのに、なぜ
いつも「絶望」を背負っているんだろう、なぜ…。」と音楽評論家、佐久間学が千秋の背中に
「絶望」を感じ取って胸痛めるシーンがある。これは、ただのフィクションシーンではない、
見える人には見えるリアルな描写なのだ。

では、女性はどうなのだろうか?…。ふと考えてしまった…。
どうも、女性は背中ではないような気がしたのだ。その女性の秘めた哀しみ、孤独、心情は
果たして、どこに現れるのだろうか…。

わたしは、どうも肩から上の後ろ姿に表れるような気がしているのだ。昔だと着物の襟
から上にかけて…。その辺は浮世絵師などとっくの昔に知っていて、哀しみや孤独など
“憂い”としてそのあたりに表れるので、うなじを中心にした浮世絵美人を描いたに
違いない。そして、その後ろ姿からふと横顔をかいま見す「見返り美人」など、それを
熟知していたと思われる。

つまり、女性の秘めた心情は、肩より上のあたりに、得も言われぬ憂いとなって
見えるのかもしれない。

話はちょっとずれるかもしれないが、紙に絵を描いたとき、その絵を裏返して明りに
当てると、絵の狂いがハッキリとわかるのである。これが人の後ろ姿とどこか
似通っている感じがするのだ。

わたしは時折り、人の裏側に映し出される心の陰りを見つめ、そのささやきを
聞きとろうと耳を澄ます時がある。すると…声なき声がかすかに聞こえてきたりする…。


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夏休み

2011-08-15 05:08:33 | 絵・まんが
いよいよ夏休みに突入した。8月13日~20日までの8日間である。

いつもだと、夏休みの前はわくわく感があるのだが、今年は、今一つ無くて、
やや寂しい感じだ。しかし、まま…連休が嬉しくなかろうはずはなく、とりあえず、
初日はダレ~~~として、なーんにもしないぞっと自堕落を決め込んだ。

しかし、貧乏性のせいか早々と目が覚めてしまい、朝一で買い物などに出掛ける
始末である。あ~あ…だが、まあ、これもしようがないか…。

今夏は、諸事情があって、東京のとある画廊に作品を登録すべく資料作りに追われて
いたのである。審査があって、それに合格しないと登録ができないのだ。そんな
緊張感もあって、ただ楽しい夏休みというわけにもいかなかったのである。
作品のコピーや、画歴などを書いた申込書を出さなければならなかったのだ。

人生の次のステージを考えた時、避けて通れないのが、絵をどうするかという点である。
例え素人の描いた拙作でも、一応我が血を通わせて描いた作品である。絵描きにとって絵は
子供でもあり、たった一つの財産でもあるのだ。特にこの子供というところが独特のところ
なのかもしれない。

出来の悪い子ほど可愛い…などというが、これが我が拙作全てに当てはまるから始末が悪い…。(笑)
さりとて、自分の絵を後生大事に抱いて死ぬのもいかがなものかというもどかしさもある。

ダ・ビンチは、かの傑作「モナリザの微笑」を死ぬまで手放さなかったという。これが絵に対する
画家の気持ちの表れなのだが、幸か不幸かわたしにはこのような傑作がまだ出来ていない。
みんな不肖の子供たちなのである。(苦笑)

わたしとしては、この出来の悪い子供を何とか、いい活かし方はないのかと、常々考えては
いたのだが、考えあぐねているときにネットで、この画廊のことを知ったのである。
この画廊は、日本は元より世界60カ国にも紹介しているというし、世界中の絵がほしい人、
バイヤーなどの目に触れる機会を与えてくれるというのである。

絵も売買だけでなく、カレンダーやポスターなどにも使えるようなスステムを網羅してるというのだ。
出来れば原画を売りたくないわたしにとっては、正直理想的なシステムである。それに、創業して
すでに30年以上の実績があるというのも心強い。こちらは余計なことは考える必要はなく、
いい作品を描くことだけに専念すればいいからである。

しかし、世の中そう甘くないのは、よく承知しているところだ。登録は出来ても、手答えや反応が
そう簡単に得られるとは思っていない。これでも漫画家時代、文無しで出版社に作品を
持ち込み、何度もボツをくらった経験は豊富にあるのだ。

まあ、どうなるのかわからないのだが、もう逃げるわけにはいかないので、覚悟を決めたところである。
これからは、今まで以上に絵と正面から向き合ってやっていかなければ、と思っている。
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マイ・ブーム

2011-08-11 04:11:32 | 会社
とある部署の女性が、かわいいピンクの箸を取り出して食事をし始めるのを、ふと目撃した。
この方は、どんな色でも似合うという稀有な女性なのだが、ピンクもよく似会って、女性らしい
内面の持ち主であることがうかがい知れる。

会社の食堂での話である。以前は皆と同じ会社の割りばしで食べていたのである。
「マイ・箸?」と後で聞くと、にっこり笑って「そ、マイ・箸」と答えたのだった。

以前も同じ部署のベテラン女性が、マイ・箸を取り出すのを目撃して聞いたことがあったので、
二人目なのだ。すでに、何人かマイ・カップでコーヒーを飲んでいるのは知っていた。

実はそれに触発されて、わたしもマイ・カップを持参していたのである。共有のカップ置き場に
置くので、なるべく目立たないような無地のカップにしたのだが、その初日に、ちらと
一瞥されただけで、「マイ・カップ?」と言われてしまったのだった。最初にマイ・箸を
持参した女性だったのだ。スルドイなあ…と感心したものである。

そんな、静かなるマイ・ブームの中で、コーヒーを飲み終えてマイ・カップを洗い場に
置いて行こうとした時、「今度から自分のカップ自分で洗ってもらえる?」と食堂のおぼさんが
言うのである。わたしはちょっと驚いたが「ああいいですよ」と言って洗剤できれいに
洗って,茶碗置き場に置いて立ち去った。

立ち去りつつ、「きっとわたしは、かおばさんに何か失礼なことをやらかしたに違いない…」と
思い巡らせていた。おばさんとはよく話もするし、持参したお菓子などよくもらって食べたり
していたのだ。飲み終わったカップを洗い場に持っていくと「そこに置いといていいよ」と
必ず声を掛けて洗ってくれていたのである。

わたしは、そこつ者なので、良かれと思ってしたことや、何気なくした行為が、気づかないうちに
相手を傷付けてしまっていることがあるのだ。わたしのやらかすチョンボのほとんどがそれなのである。

「また何かやらかしたに違いない…」その日一日その思いが引っ掛かって、どんよりと暗い気分
だった。翌日、このままではすっきりしないので、食堂の洗い場でマイ・カップを洗いつつ
思いきって、「オレ、何かOさんに失礼なことしちゃったかなあ」と聞いてみた。すると、
「いやあ、この前ねえ、Kさんのマイ・カップを割ってしまったのよう」と我が上司の名前が
出てきたではないか。

どうやら、それがちょっとしたトラウマになったようなのだ。「なあ~ンだ、オレOさんの
気に障ることをやらかしたのかと思って、ガックリしてたんだよ」と言うと「ごめんネ」と
言って苦笑いした。

何はともあれ、理由がハッキリしたので、わたしはホッとして、いそいそとマイ・カップを
洗って食堂を後にした。そして、軽やかな足取りで、部署へと向かったのだった…。

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哀しき男たちよ

2011-08-08 04:33:29 | つらつら思うこと
「男の人はオトコというだけで“うざい”ところがあるのよ」と、身内のくノ一の一人がこう
言ってのけたのである。

「にゃにい~」とわたしは、驚いたが、秘かに男というのは女性にとってうっとうしい存在では
ないかという懸念を抱いていたので、どこかに、やはり…という思いが過ぎったのである。

いかしながら、ただ男というだけでうざがられても、ちと困るのも事実なので、オトコ代表として
何故なのかその論拠を問うてみた。すると、「男同士で手をつないで歩ける?」と聞くのである。
わたしは眉をしかめ、かぶりを振った。

すると「女同士はそんなに抵抗なくできるのよ」とのたもうのである。何だかわかったような
わからないような論拠だが、妙に「ほ~っ…」と聞き入れてしまった。(苦笑)

考えてみると、男というのは、というより、オスと言ったほうが解りやすいかもかもしれない。
オスとしての種まき本能に追い立てられていて、それがいわゆる煩悩の塊となって身にまとって
いるのである。こいつが酔っぱらった時、ヤケになった時とかに露骨に顔を出したりして
女性たちのヒンシュクをかっているのである。

この煩悩自体が、オスの本能なので、いかに隠していても、鋭い女性に感知され、
うとましがられ、うざがられるのでありましょう。

それというのも、どうもメスの本能は違っているらしく、のべつ受け入れ態勢を整えて
いるわけではないので、よりうとましさに拍車をかけることになる。

この前あるTV番組でセクハラの実験をしていた。妙齢の男女それぞれがグループに分かれ、
一人だけ会話のあいだに、それとなく体や髪をタッチするというものだった。
女性は、第一印象で好感度NO1の男性でも、タッチ後は最下位に転落したのに対し、
男性陣はタッチした女性に対して好感度が逆にUPしたのである。これによっても、
男女の違いが如実に出ているのだ。

男は女性にタッチされるのは嬉しいので、女性もそうだと思い込んでいるが、女性はどこか
男の接近に警戒心を抱いているのか不快感が増すようだ。これが、“うざい”感に
つながっているのかもしれない。「男はアホですねえ」苦笑しつつ放ったメーンキャスターの
男性の一言である。

しかし、これは神様のなせる業なので、この宿命は逃れそうもない。そこのところを
わたしも男の一人として、女性たちにわかっていただきたいものである。

哀れなる男たちは、うざがられつつも、めげずに粛々と、けな気に生きて行く他はなさそうである。

このようなことを、つらつら考えてしまった…。
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