上田知佳のチカ過ぎる毎日

初めてのKBCシネマ

昨日、初めてのKBCシネマに行き、
見た映画は、

「樺太1945年夏 氷雪の門」kirakira2


36年前に上映自粛となり、
幻の名作…

と言われた作品です。



タイトルにもありますが、
1945年…

終戦前後の樺太のお話です。


樺太の真岡郵便局の電話交換手の
女の子達のお話…。

実話を元に作られた映画です。



この映画を見て、改めて、
事実を知る・・・知ることって、
本当に大切な事だと思いました。



そして今は、
情報が溢れているからこそ、
正しい情報、間違った情報、
色々ある中で、
いかに選択しながら、
知っていくか…


そして、
人それぞれ考え方はさまざま・・・

だから、
事実を知った上で
どう感じ、どう考えるかは、
その人次第…




そーんな事を
感じた映画でしたmeromero2


悲しいストーリーだし、
捉え方もそれぞれだと思うけど、
こういう映画もきちんと見ていくべきだなーと、
思いましたよwink



ちなみに公開は、
今日まででしたase2が、
もし、
皆さんも見る機会があれば、
ぜひ!



以下、
シアターN渋谷サイトというサイトに分かりやすく
書いてあったので、
添付しちゃいますfutaba


長~いですので(笑)、
興味のある方は、読んでみて下さいsun


総指揮:三池信、小倉寿夫
製作:望月利雄、守田康司
原作:金子俊男
監督:村山三男
脚本:国弘威雄
撮影:西山東男


照明:野村隆三
美術:木村威夫
音楽:大森盛太郎
録音:安田哲男
助監督:山野辺勝太郎、新城卓
編集:エディ編集室
出演: 二木てるみ、 鳥居恵子、 岡田可愛、 野村けい子、今出川西紀、八木孝子、相原ふさ子、桐生かほる、木内みどり、北原早苗、岡本茉莉、大石はるみ、藤田去q、真木沙織、藤園貴巳子、千秋実、若林豪、島田正吾、丹波哲郎、三上真一郎、藤岡重慶、黒沢年男、佐原健二、今福正雄、赤木春恵、七尾伶子、伊沢一郎、田村高廣、南田洋子、浜田光夫、岡田由紀子、柳田慶子、栗田ひろみ、見明凡太郎、柳谷寛、織本順吉、鳳八千代、久野四郎、
城山順子、久米明
配給:太秦
提供:「氷雪の門」パートナーズ、アジア映画社、太秦株式会社
協力:「氷雪の門」上映委員会



「樺太 1945 年夏 氷雪の門」の再上映に関して

この度、「樺太 1945 年夏 氷雪の門」を 36 年振りに公開することになりました。本作に関わられました出演者、スタッフ並びに配給関係の皆さまに感謝を申し上げます。153 分と 109 分の二つのヴァージョンがありますが、今回上映する上映素材は、数少ない残されたプリントのなかから、テレシネをして、再編集をした 119 分のものです。多くのプリントが散逸し、保存状況も最良とはいえませんが、この日本の閉塞した状況の中で公開することに大きな意味を感じております。いくつかのお見苦しい点もございますが、ご容赦願えれば幸いです。

「氷雪の門」上映委員会 新城 卓



「みなさん、これが最後です、さようなら、さようなら…」
9人の電話交換手の乙女は、何故死を選んだのか !!
これは時代に圧殺された真実の物語



☆語り継がなければならないこの史実

現在ロシア領サハリンと呼ばれるかつての樺太。1945年 8月15日の終戦の混乱の中、この地で多くの日本人が死んでいった。8月6日、米軍による世界初の原爆が広島に、続いて8月9日には長崎にも投下された。同日、ソ連は「日ソ不可侵条約」を破り、満州、樺太に侵攻した。本作『樺太 1945年夏 氷雪の門』は、ソ連の侵攻作戦のただなかで、最後まで通信連絡をとり、若い生命をなげうった真岡郵便局電話交換手 9人の乙女の悲劇を描いた真実の物語である。戦争は終わったはずなのに、何故、彼女たちは死を選ばねばならなかったのか。この映画はその深層に挑んだ。


☆残された 1本のフィルムが、 36年の時を経て今甦る!

日本映画に、なぜか樺太を扱った映画はない。『樺太 1945年夏 氷雪の門』こそ、樺太の史実と事実を残した唯一の映画である。企画・製作に9年もの歳月をかけ、試写会やアンケート調査を重ね、内容を吟味した末、完成に至り、文部省選定や日本PTA全国協など各種団体の推薦も受けていた。また、本作の期待度の高さは、前売り券の売れ行きが70万枚に達していたことからも伺える。しかしながら、本作の公開が予定されていた 1974年3月29日を目前に、急遽、公開中止となってしまう。当時の新聞資料等は、ソ連大使館から外務、文部両省に「反ソ映画の上映は困る」との抗議により、配給会社が自粛に至ったと報道している。その後、東映洋画配給によって北海道・九州での2週間ほどの劇場公開がされるものの、実質的には日の目を見ることはなかった。6年前の2004年、唯一残された貴重なフィルムが発掘された。新しくデジタル処理を施し、本年ついに劇場公開となる。

1945年夏、太平洋戦争は既に終末を迎えようとしていたが、戦禍を浴びない樺太は、緊張の中にも平和な日々が続いていた。しかし、ソ連が突如として参戦、日本への進撃を開始した。北緯 50度の防御線は瞬く間に突破され、ソ連軍は戦車を先頭に怒濤のごとく南下してきた。戦禍を被った者たちは、長蛇の列をなして西海岸の真岡の町をめざした。真岡郵便局の交換嬢たちは、4班交代で勤務に就いていた。彼女たちに中には、原爆を浴びた広島に肉親を持つ者がいる。最前線の国境に恋人を送りだしたものがいる。戦火に追われて真岡をめざす姉を気づかう者がいる。刻々と迫るソ連軍の進攻と、急を告げる人々の電話における緊迫した会話を、胸の張り裂ける思いで聞き入るほかになすすべがなかった。8月15日。全く突然に終戦の報がもたらせられた。敗戦国の婦女子がたどる暗い運命、生きられるかもしれないという希望、様々な思いが交錯する中で、樺太全土に婦女子の疎開命令が出た。一人、また一人と、交換嬢たちも引き揚げて行く。だが、その中には命令に従わず、“決死隊 " としてその編成に参加し、交換手として職務を遂行しようと互いに励ましあい、責任を果たそうと心に誓う20名の乙女たちがいた。ソ連の進攻は依然として止むことなく、むしろ、激しさを増した。戦争は終わったのではないか?人々は驚愕し、混乱した。それは 8月20日、霧の深い早朝。突如、真岡の町の沿岸にソ連艦隊が現われ、艦砲射撃を開始した。町は紅蓮の炎につつまれ、戦場と化した。この時、第一班の交換嬢たち9人は局にいた。緊急を告げる電話の回線、町の人々へ避難経路を告げ、多くの人々の生命を守るため、彼女らは職場を離れなかった。じりじりと迫るソ連兵の群。取り残された 9人の乙女たち。胸には青酸カリが潜められていた。局の窓から迫るソ連兵の姿が見えた。路上の親子が銃火を浴びた。もはや、これまでだった。班長はたった一本残った回線に「みなさん、これが最後です。さようなら、さようなら」と告げると静かにプラグを引き抜いた…

名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最新の画像もっと見る

最近の「映画☆お芝居☆美術館☆博物館」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事