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磐城炭礦内郷礦住吉坑 水中貯炭場(万石)

2016-10-10 10:05:17 | 廃鉱(抗)
江戸末期の黒船来航を契機に燃料としての石炭が各地で注目され、いわき地方では185
6年に片寄平蔵が内郷の弥勒沢で石炭層(露頭)を発見、加納作平らと当地域石炭産業興
隆の礎を作りました。
茨城県ではこれより前の1851年に神永喜八が開坑したのが始まりです。
福島県双葉郡富岡町から茨城県日立市北部までの石炭分布地域は、常陸国(茨城)と磐城
国(福島)の「常」と「磐」を合わせて「常磐(じょうばん)炭田」と総称され、産出され
た石炭は九州や北海道と共に日本産業の近代化に大きく貢献しました。





常磐炭礦が石炭の品質向上で商品価値の高い石炭を確保しようと、国内初の画期的な水中
貯炭施設として、昭和29年に建造したものである。
この施設の上方の選炭施設から送炭された石炭をここに一旦貯蔵し、その前面に広範囲に
広がる専用鉄道の蒸気機関車等に積み込み、常磐線綴駅に石炭貨車を集結させ、そこから
関東圏に販売するため隅田川駅に集約された。
もともと石炭塊は地表面に放置しておくと簡単に剥落・風化してしまい燃料等の商品とし
ての価値が著しく減少する。それを防ぐための方法として機械化された選炭作業での選別
から直ちに水中での保管へと連結して商品価値の確保を図ろうとした施設である。
1952年築造、コンクリート造りで当時としては最先端を行く施設であった。
この貯炭施設の下部は石炭を近くの常磐線綴駅(現・内郷駅)に搬送する専用鉄道が敷設
され、蒸気機関車に牽引された炭車(石炭専用の運搬用貨車)が列をなして控え、上部か
らの石炭を貨車に詰め込んで駅へと搬送した。


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