しょぼい毎日

いつも理想はでっかいが、結果はしょぼい・・・。そんな日常を綴ってみました

フェルメールの3枚の絵と夭折の日本人画家

2011-07-17 22:07:38 | 展覧会

2011年7月3日(日)

014京都にフェルメールの絵が来ています。テレビや新聞等で話題になっているので、見に行く人の数も増えていくことでしょう。京都に来たフェルメールには苦い思い出があります。2009年の夏に京都市美術館で開かれた 「ルーブル美術館展 -17世紀ヨーロッパ絵画-」では目玉としてフェルメールの『レースを編む女』が展示されていました。閉幕直前の休日午後に会場を訪れた時目に入ってきたのは、猛暑をもろともせずに会場を一周以上のスケールで取り囲む、入場待ちの観客の群れでした。その時は1時間半待ちとのプラカードに恐れをなし、すごすごと会場をあとにしま007 した。今から思うと、無理をしても観ておくべきだったとの思いがします。本来ならフランスまで行かねばならないものが、日本で見えるのですから。<パリに行けば見えるさ>と嘯いたところで、現地に行って美術館が改装中ということも考えられます。もっと悲惨なのは余所に貸し出し中ということも起こりうります。そして最悪の事態が絵画自体が強奪され、我々の手が届かない世界に行ってしまうことです。フェルメールの作品はただでさえ作品数が少ないのに、やたらと盗まれます。1990年にボストンの美術館から強奪された『合奏』は未だに見つかっていません。これから見る『手紙を書く婦人と召使』と2度の盗難にあっています(よく戻ってきたものです・・・)。とにか絵画鑑賞は、チャンスを最大限に生かす、来たときには観に行くというスタンスが大事なのだと思います。

朝一番の高速バスで神戸へ。三宮から阪急電車で河原町。そしていつも込んでいる京都市バス5系統でやってきたのは京都市美術館。早めに出て来た甲斐があり、すぐに入館できました。

009 フェルメールの3作品だけでは、展覧会は成り立ちませんから同時代のオランダの画家の作品多数を見てから最後にフェルメールの作品に会えるという構成になっています。他の作家の作品もレベルは高く楽しめましたが、『手紙を書く女』が目に入った瞬間、他の作家とのレベルの差に驚愕しました。特別な照明設備が施されているのかと思いました。自然な光。明るい色。作品のサイズは小さなものですが、絵から受けるインパクトは強烈でした。

『手紙を書く女』

008 『青衣の女』

フェルメールの絵は手紙を書いたり読んだりというのがいくつかありますが、いずれも画を見る人の想像を掻き立てます。誰からの手紙をどんな気持ちで読んでいるのか、想像力を掻き立てられます。この絵は修復されたとのことで青が鮮やかでした。

010 『手紙を書く婦人と召使』

この絵が2度盗まれたという曰くつきの絵です。この絵もいろいろと解釈出来る作品で観ていて飽きません。召使いと夫人との微妙な関係、背景に描かれた聖書の一場面から作者が込めた寓意など、観る者を謎解きの世界に誘う絵です。私も迷探偵になって謎を解こうとしますが、後から後から人々が押し寄せてきてゆっくりと鑑賞するわけにはいきません。謎をその場で解くことを諦め、会場を出ます。

フェルメールの3作品が観れただけでも大満足の展覧会でした。

016 向かいの京都国立近代美術に目をやると、良く知っている画の看板が、フェルメールに負けじと立てかけてあります。これは、中学時代の美術の教科書の表紙にあった画です。タイトルは未だに忘れていません。『海の幸』。裸の男性たちが今日の獲物の大きな魚をかついで家路についているといった画です。若い漁師がひとりこちらに視線を投げかけています。この無垢な視線が自分には忘れられませんでした。その画が期せずして目の前に来ている。この幸運を逃すわけにはいきません。<青木繁展>に入ります。福岡県久留米市出身の青019木繁(久留米ってチェッカーズと松田聖子だけでなかったんだ!)は現在でこそ日本美術史に 残る大家として知られていますが、評価されるようになったのは28歳で夭折した後です。青木の代表作で日本の神話を題材にした『わだつみのいろこの宮』なんかは、博覧会で三等賞の最末席という不本意な結果となり作家の自尊心はへし折られてしまいました。審査員はいったいどこを見てるんだろうと思います。(私がタイムスクープハンターなら規則違反を承知で審査員を吊るしあげたいところです。)青木の主要な作品を見ることができると同時に、中学時代の思い出も蘇りました。それにしても天才は、生きているうちは不遇です・・・。天才で無くて良かった!と思いたいですが、凡才にもやはり過酷な運命が待ちい受けていたりするんですよね・・・・。