権力の行使iにあたって 国家の施政に携わる人は 常に己を捨てて
万民の 公福を願うこと 第一に 思う人でなければ 人民も
そのような人に 権力を与えてはならない・
その結果 国を危難のふちにおいた人達を歴史は刻んでいる.
財界人というのは あくまでも 利を中心に考えるものである.
アル権力者は このことを評して このようにのべた
「世のなかには あたまが良く金儲けの巧みな人がいる
そういう人達に一杯仕事がしやすいように 国が彼らをほごするなら
彼らが 其れに応じて 多くの国富もたらす
そうしてもたらさ;された国富は 万民の隅々まで 浸透して 国全体が
幸福な人生を送ることが出来る.これが政治と鋳物である」
と言った
しかし,ことはそう単純には進まなかった.彼等の欲望は果てることはなかった
滴り落ちるおこぼれもなく もたざるものは ますます在を減らし もてるものは
さらに富を積み立てていった その佐賀ジミ係数を越すと 大衆の不満が蓄積されて
不安定になり 矢糧戦争へと道が続いている
これもまた歴史が教えてくれるものである
権力者は良く法治国という言葉を好んで使用する. しかし彼らが言う法律は
彼等の都脚になる法治国でなければならないのである.
憲法問題でも 1400人の憲法学者が政府の提出案件を「憲法違反」だといってもむ
彼らはいっている 「それは一部テあり賛成の学説もある」と.
それは隠された法治国の1400の憲法が社と 70%の人民の反対が会っても
一人の裁判官が 性字手は判決を下したら「あくせいもまた法である」ことになりかねないる
そのために政府は世論和見方にするためマスメディヤを 金銭飲食で絡めて世論を味方に付ける
対策を採る.これもまた歴史家セ氏メス権力のあくなき抑制である.
民主政治を守るのは 血生徒教養と意志を持つ人民を養成するいがいに
ずる賢い一部の既得権益者にうち勝つ手段がない.現在の自民党は 国民政党
という事を忘れている. 確かに半世紀も自民党が政権担当していた時代は国民の
多様なニーズにこたえるという 度量をもっていた.いいことではないにしてもいまの
自民党よりましである. 現在の自民党は 創価学会というカルト宗教の上に立つ
異質なお仲間集団である.その不誠実さはれきだいに類を見ない権力の
邪道の上に 国世話牛耳っている むかしのお上と下々の生活に似てきた.危惧すべきは
極東亜細亜民族との挑発合戦だ.国民の憎悪は最高に達している.誠に
不幸な上体といわざるを得ない 今後も失われ行く日本は続く.
次にくるのは 人民への抑圧政治である
能力無き政府の悪性は猶続く.財界は乗りのりだ 彼らには愛国精神なんてないのだ.