嘉ちゃんが 戦艦 大和で壮烈な戦死を遂げてから 早70年にもなるんだ.
家が隣近所だったし 家族同然のお付き合いであったから 嘉ちゃんには
半端じゃない 親しみを持っていた.わたしの兄弟は12任だったから
兄たちも多かったが 兄弟よりも 何でも相談できる .おとなしい
方だった. 4年先輩であったから 嘉ちゃんの中学在籍中に 同じ
中学に入学することが出来たる.
嘉ちゃんは成績も優秀であったから海軍兵学校に入学,卒業後
戦艦大和に乗船し 山と出撃のときは 確か砲術長として敵戦闘機と
格闘しながら自ら被弾して戦艦大和のほう等からまっさかさまに落ちていったと吉村さんの
作品にあった
夏休みに規制したとき 真っ白な兵学校の正副に探検をつるして白い手袋はめて
わたしの家に帰省の挨拶に来た日のことが忘れられない.
沖縄戦ではわたしの義兄も戦死した.一人息子で跡継ぎがいないということで
わたしが用紙に入っている.猶いちばん上の伯父も沖縄の病院に勤務して
無効でなくなった.多分沖縄の人と結婚して家族の方も織られたと思うのだが
消息がない.戦後70年 戦後生まれの総理の言葉になんと聞けばいいのだろう.