嘉ちゃんの思い出   戦後70年の重たい日

2015-06-11 16:37:39 | 日記

嘉ちゃんが 戦艦 大和で壮烈な戦死を遂げてから 早70年にもなるんだ.

家が隣近所だったし 家族同然のお付き合いであったから 嘉ちゃんには

半端じゃない 親しみを持っていた.わたしの兄弟は12任だったから

兄たちも多かったが 兄弟よりも 何でも相談できる .おとなしい

方だった. 4年先輩であったから 嘉ちゃんの中学在籍中に 同じ

中学に入学することが出来たる.

嘉ちゃんは成績も優秀であったから海軍兵学校に入学,卒業後

戦艦大和に乗船し 山と出撃のときは 確か砲術長として敵戦闘機と

格闘しながら自ら被弾して戦艦大和のほう等からまっさかさまに落ちていったと吉村さんの

作品にあった

夏休みに規制したとき 真っ白な兵学校の正副に探検をつるして白い手袋はめて

わたしの家に帰省の挨拶に来た日のことが忘れられない.

沖縄戦ではわたしの義兄も戦死した.一人息子で跡継ぎがいないということで

わたしが用紙に入っている.猶いちばん上の伯父も沖縄の病院に勤務して

無効でなくなった.多分沖縄の人と結婚して家族の方も織られたと思うのだが

消息がない.戦後70年 戦後生まれの総理の言葉になんと聞けばいいのだろう.


ほんとに法治国家?

2015-06-11 13:45:40 | 日記

総理や官房長官が 最近 『わが国は法治国家だから・・・』世界中で宣伝しているが

ほんとに法治国家名の.

「疑わしきは原告人のために』というんですか.

どうも 判決など見ていると 司法もいまや商売人になってしまったのだろうか.

総理の言うところを良く効いていると どうも 司法和完全に問題なしてないな

あれほど自信もっていえるということは 司法取引があるのではないかとも

疑われる   とにかく冤罪の多さでは有名だから.無罪で20年以上も刑に服した

 

やっとの思いで再審が決まり無罪.時の裁判官「両親の呵責 全然無かった.

有名な志布志事件,陸山川事件まったくのでっち上げ.

それでも 最高裁判長の 侘びの一言もない.そうか 司法も検察も わびては

いけないんだ.

世間には『やっぱりね』と思わせて置けばいいんだ.


わだかまりや先入観を捨てて再発見. 恒久平和への道

2015-06-11 13:08:11 | 日記

私たちが 手に入れた 民主主義というものは 時代とか 権力とかに抵抗して

血を流して あれよあれよというまに 生活の中に根付いてきたものである.

だから 受け止め方も 各人各様で 経済デモクラシーであったり 道義デモクラシー

であったり その都度に 使い分け自由な だらしない一面も備えた 名前だけの

デモクラシーであると表いる.

戦後のこと,兄は満州から引き上げてきた.一家だけではなく友人の家族まで

引き連れて帰ってきたから 家の中たいへんだ.35人の家族をどうするのか.

働いている妹たちは 職場の宿直室や親戚間うちに 寝泊りし 稼いだ給料は

一端母親に上納させられた.

わたしは復員し 闇市を放浪し叔父の家を根城にしていた.叔父は警察官であり

進駐軍を引き受ける渉外係の警部補していたが 厄介者だから 野宿みたいな暮らしして

時々叔父の家に帰っていた.ある日自分の机の上に 兄の手書きが乗せていた.

内容は「己を統制できないものに 真の自由はない」という内容だ.

そのとき 兄貴に対して 無性に腹が立った.゜あんたに自由を語る資格があるんか

当時 権威というものが失墜していた.権力が通じなくなっていた.個人の生き方が問われる時代である.

肩書きなど全然通用しない.そういった具連帯的なわたしたちの世代でも尊敬される人達がいた.

彼らにはアメリカもなく 占領軍も鳴く 個人のせいかつしゃとして勤勉に 何の衒いも鳴く生きていた庶民たちであった.

民主主義を こねくってはいけない. 自由はほんとに自由でなくてはいけない.

博愛は心底のはく相手背無ければいけない,正義を自己保全に使ってはいけない.

しかし いまの日本には 民主主義が消えて生きつつある.

兄の言葉のようにおのれを振り返れという 日本人的 我田引水民主主義が横行している.

中国けしからん.韓国けしからん,北朝鮮けしからん では日本には瑕疵は1つも無かったのか

アメリカ民主主義は健全になのか 欧米民主主義は機能しているのか     

世界中がテロに震える時代.健全な世界ではないよ.