「時たまだが 親しい人から 『どうしたら 長生きできるんでしょうね。』ときかれる。」
こんなことに 自信をもって 人に告げる言葉 をもたない。何と情けない生き方しかしていない。
私は 生来が 超のんきものである。
兄とは 6歳ほど年の差があるが とてもしっかり者の孝行息子 いい子のお手本であった。
勉強を強いられると逃げ回る わたしの手を引きづって 中学受験に励む 兄の姿を陰から
そっと のぞかせて 「兄ちゃんは あんなに努力してるんだよ。見習いなさい。」
でも、そんな兄より 私は陰で勉強しているという自負心をもっていた。
私にも中学受験の時が来た。難関の中学である。兄も敬遠した学校である。
私が願書をもっていったとき 母は全く信用していなかった。
「中学浪人は許さないよ。落ちたときはここに行くのよ。」と言って満蒙少年開拓義勇団の
願書と同時に提出させられた。
予想通り 中学に合格したのは 私一人だった。もしあの時中学におちて 満蒙義勇隊
に入っていたら シベリヤ抑留のまた違った運命をたどったことだろう。思うに人生とは
凡て路線の選択に乗っかっているようである。本当に学問が身についているのは
一流主義ではない。生き方のすべてを網羅したうえでの 路線の選択能力のできているものを
刺しているようだ。兄は80歳で他界した。ビルマ戦線から命ながら得て帰還した兄だったが
身の不遇をかこっていた。「ビルマで死ねばよかった。」無性に腹が立った。
「兄さん そらビルマも 大変だったでしょう。でもな 内地もソリャ大変よ。240のB29の
爆撃受けた経験ないでしょう。逃げ場失った人たちが 川に飛びこんで 一夜にして
10万人のひとがなくなったというはなしは 日本中にあった。」命拾えたことに感謝しなくちゃ。」兄に説教したこともあった。
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