「ありがとう。後は、この部屋に誰も近付けないで下さる?用があれば、こちらから呼びますから」
「かしこまりました。では、失礼致します」
二人分のお茶とお茶請け、そして追加のお茶請けを運んできた係員にそう指示した夢子は、彼が部屋から立ち去り、その気配が完全に消え去るのを待ってから話を切りだした。
「元気そうで何よりね、つくしちゃん」
「あ、はい!」
「今日は無理言って、時間作らせちゃってごめんなさいね。しゅ・・・子供は大丈夫?」
「はい。友達にお願いしました」
「そう。色々と話を聞きたいところだけど、時間に限りがあるから早速本題に入──」
「あ、あの!その前にいいですか?」
本題に入る前に先に話をさせて欲しいと要求するつくしに、話の腰を折られた夢子は嫌な顔一つせず頷いてみせた。
「さっきはお見苦しいところをお見せして、本当にすみません」
「見苦しいって何だよ」
「西門さんは黙ってて!」
「へーへー」
「それで・・・」
一旦言葉を区切り軽く息を吐いたつくしは、総二郎と思わぬ再会を果たした際、思わず口走った言葉を再び口にした。
「今でもずっと西門さんが好き。大好き。西門さんがいてくれたら、それだけでいい。いてくれるだけで幸せだから」
「牧野?」
「つくしちゃん?」
「私が言ったこの言葉に嘘はありません。本心です。そして、西門さんが言ってくれた『三人で幸せになろうな』という言葉も、本心だと思います。でも・・・」
冷静に考えてみれば、そんな事できる訳がない。
西門総二郎がいてくれるだけでいいと言ったが、西門流の次期家元が自分みたいな女と寄り添えるはずがないし、三人で幸せになるなんてもっと不可能な話だ。
西門流の未来は、次期家元である総二郎の肩にかかっているのだから。
自分と一緒になる為に、総二郎が家を飛び出す事などあってはならないのだ。
そんな事をすれば御家騒動となり、沢山の門弟を路頭に迷わす羽目になる。
自分の為に、総二郎の今ある地位を揺るがす事など出来ないし、したくはない。
総二郎が大好きだからこそ、巻き込みたくはない。
そして、大事な息子も渦中に巻き込みたくはない。
だから、総二郎との未来絵図は描けないと力なく告げるつくしに、夢子は微笑を浮かべながら首を軽く横に振った。
「その心配はご無用よ、つくしちゃん」
「えっ?」
「総二郎君は若宗匠を名乗ってないの。つまり、次期家元ではないという事よ。だから、西門流の跡を継ぐ事はないわ」
「・・・えっ?」
「この先は、総二郎君が直接話すわ」
そう言うと、夢子は話の続きを総二郎に促した。
そんな夢子に頷いてみせた総二郎は、不安げにこちらを見つめるつくしを安心させるべく、柔らかな笑みを浮かべてみせた。
「夢子さんの言った通り、俺は若宗匠を名乗ってないから次期家元でも何でもない」
「そんな!な、なんで───」
「まずは御家事情を話すから、黙って聞いてくれ」
悲痛な面持ちでこちらを見やるつくしに、片手を挙げ言葉を制した総二郎は、手元にあるお茶を一口飲んで喉を潤してから、西門家について語り始めた。
「牧野も知っての通り、俺には兄貴と弟がいる。本来なら兄貴が跡を継ぐはずだったが、生憎と茶道には興味ないみたいでな。結局、医者になった」
西門流家元である父親は長男を溺愛しており、当然の如く、自分の跡目を継がせるつもりでいた。
しかし、長男は次期家元どころか茶道すら拒み、小さい頃からの夢であった医者の道へ進むと告げた。
そんな長男に対し、家元は相当なショックを受けたようだ。
さもありなん。
茶道には全く興味がないと言われた挙句、茶道とは何ら関係のない医者を目指すと宣言されたのだから。
「青天の霹靂ってヤツか」
手塩にかけ、大切に育ててきた長男から反旗を翻(ひるがえ)されたのだから、ショックを受けるのも当然と言えば当然の事であった。
「坊主憎けりゃ袈裟までもって言うけど、正にその通りだったな」
西門の敷居をまたぐ事は絶対に許さん。
二度と来るな。
顔も見たくない。
そう言って、家元は長男を西門の家から叩き出した。
「寝込んだくらいだから、かなりショックだったんじゃねーの?」」
長男に次期家元を放棄すると告げられ、しばらく寝込んでいた家元であったが、そういつまでも休んでばかりはいられない。
何とか気を持ち直し、徐々に仕事をこなしていった。
そして、そんな日々を過ごす中、家元に新たな感情が芽生えていった。
そう。それは、
「怒り・・・だな」
一番跡を継いで欲しかっただけに、裏切られた感は否めない。
正に、可愛さあまって憎さ百倍というやつだ。
だから家元は、長男を勘当した。
しかし、
「鬼になりきれなかったんだよな。勘当したくせに、兄貴が通う医大の授業料を払ってたんだから」
勘当した手前、表立っての援助は出来ない。
だから家元は、信頼の置ける内弟子に長男をサポートするよう指示をした。
「周りの人間はその事を知ってたけどな」
コソコソしていれば、いずれバレる。
だから西門宗家は、言わざる見ざる聞かざるの三猿を、弟子たちに徹底した。
だが、それにも限界がある。
所詮、人の口に戸は立てられぬのだ。
「次期家元となるべき兄貴が、西門の家を出て医大に通ってるって噂が広まった」
本来、西門流の決まり事として、茶道の道に進まぬ西門直系の人間は西門姓を名乗ってはいけないし、茶道には一切関わってはいけないというものがある。
これは、御家騒動を回避する為に作られた、代々続く決まり事だ。
「それなのに、兄貴は今でも西門を名乗ってる」
家元はもちろん、一門衆もそれを知ってはいるが、誰も何も言わない。
いわゆる『暗黙の了解』というやつだ。
では何故、茶道の道を棄てた長男に今でも西門を名乗らせているのか。
それは───
「兄貴の息子、つまり家元にとって孫にあたる子に跡を継いでもらいたいから、西門姓を許してるんだ」
「・・・はっ?」
「じゃなけりゃ、説明つかねぇよ。掟を破ってまで兄貴に西門を名乗らせてる理由がさ」
違う姓を名乗る孫を西門の家に引き入れ、養子縁組をする。
そして、次期家元を名乗らせるという手もあるが、西門姓を棄てた長男の子に何故、跡目を継がせるのかという反発も当然生まれる。
それが延(ひ)いては御家騒動へと繋がっていく。
そうなるのを危惧したからこそ、家元は長男に西門を名乗らせているのだと、総二郎ははっきり言いきった。
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