教会で教えていただいた
「聖フランシスコの祈り」
主よ、あなたの平和を人びとにもたらす道具として、
わたしをお使いください。
憎しみのあるところに愛を、
不当な扱いのあるところにはゆるしを、
分裂のあるところには一致を、
疑惑のあるところには信仰を、
絶望のあるところには希望を、
くらやみには光を、
悲しみのあるところには
喜びをもっていくことができますように。
慰められることを求めるよりは慰めることを、
理解されることよりは理解することを、
愛されることよりは愛することを求める心をお与えください。
わたしたちは自分に死ぬことによって自分を見いだし、
自分自身に死ぬことによって
永遠のいのちをいただくのですから。
この祈りのいちばん難しいのは最後の部分です。
「わたしたちは自分に死ぬことによって自分を見いだし、
自分自身に死ぬことによって永遠のいのちをいただくのですから。」
ここは、英語ではとても短い表現なのに
And it in dying that we are born to eternal life
日本語では、こんなふうに訳している場合もあります。
「人のために死ぬことによって、永遠に生きることができるからです」
でも、「死ぬことの意味」って、とっても難しい気がします。
ただ、私は
「人のために死ぬ」というよりは
「自分に死ぬ」のだと思います。
そして自分を見いだすことの難しさだと思います。