飽き性の私が美術館のボランティアを10年以上も続けているのは、ひとえに子供達に会えるからである。特に小学生が可愛くて堪らない。
元々は社会人入学した大学で美術史を専攻して、卒業後も何らかの形で美術と関わり続けたいと言う思いから美術館でのボランティアを始めたのだが、今では美術作品以上に子供達の魅力の虜となって、美術をダシに子供達に会うのがボランティア活動の最大の楽しみになっているようなフシがある(美術館の皆さん、ごめんなさい)。
特にひとり息子が成人して、子育てにひと区切りついた辺りから、小さな子供達を見かける度に、幼い頃の息子の記憶と重ねて、懐かしさと愛おしさがこみ上げて来るようになった。子育てのただ中にいた時には自分に余裕がなかったせいか、今になって、あの頃が自分の人生の中でかけがえのない宝物のような日々だったことに気付いたと言う感じだ。
映画「円卓こっこ、ひと夏のイマジン」は、主人公こっこ、こと渦原琴子ちゃんの日々の"冒険"~そう、日々新たなことに出会う、好奇心旺盛なこっこちゃんの日常はまさしく冒険の日々である~を描いて、小学生にメロメロな私を魅了して止まない。
<教室で、妄想のひとり舞台をノビノビと演じているこっこちゃんの傍らで、鼻をほじっている男の子の姿が、何だかリアルで楽しい…>
こっこちゃんは小学3年生。両親、祖父母、3つ子の姉と共に、大阪千里?の公団住宅に住んでいる。
玄関のドアを開けると目の前にダイニングキッチン、と言う開けっぴろげで気取りのない間取りが、いかにもアパートらしいと言うか、昔懐かしい佇まい(友達の家を訪ねたら、おもてなしに決まって出て来るのがカルピスなんて、いつの時代の話なんだろう?もしかして設定は、原作者の子供時代なのかな?)。
けっして広くないDKの中心にドーンと鎮座する、中華料理店にあるような朱色の円卓が、これまた気取りが無く、おそらく8人と言う大家族が1度に食卓を囲む為の苦肉の策なんだろうけれど、何だか微笑ましくもあり、こっこちゃんの家族の温かさが伝わって来るような道具立てになっている。実際、毎回、この円卓を囲んで繰り広げられる渦原家の食事のシーンは賑やかで、楽しそうだ。
この渦原家を見て思うのは、他人を思いやる優しい心は、子供の頃から温かい愛情を受けて育つものと言うことだ。基本的に、人は自分が与えられたものしか、他人に与えることが出来ないのだと思う。そして自分に足りないものは、想像力で補うしかない(皆が皆、愛情豊かな環境の下で育つわけではないから、この"想像力"と言う能力は、人が生きて行く上で本当に大切で、必要なものだと思う。幸いなことに想像力は、意志さえあれば、自ら育てることができるものである)。
<大皿に盛られた数点の料理。笑顔に囲まれた円卓の上でグルグル回る>
本作は小学3年の1学期から夏休みを経て2学期に至る、こっこちゃんの成長を描いていて、学校生活での、こっこっちゃんを取り巻く友人達や先生との関係も、子供目線でリアルに描かれていて興味深い。
想像力豊かなこっこちゃんは、ややもすると妄想に突っ走ってしまうのだが、学校の雰囲気は総じてそれを許容する大らかさがあり、見ていてホッとする。今よりノンビリした時代の話なのか、あるいは大阪と言う地域性なのか?
そう言えば、3年前の大阪1泊旅行で、天王寺動物園で居合わせた遠足の小学生の会話が、とても楽しかった記憶がある。チンパンジーとオランウータンの食事のサンプルを前に丁々発止のボケとツッコミで、まるで漫才を見ているようだった。元気いっぱいで、ケラケラとよく笑う子供達だった。
吃音に悩む幼なじみのぽっさんや、クラス委員を務める朴くんにまつわるエピソードでは、真っさらな心で世界を見るこっこちゃんの感性が、既に心が偏見で塗り固められたオトナの私には新鮮だった。
結局、子供の真っさらな心に、さまざまな色を着けるのは周りのオトナや、巷に溢れる情報であったりする。その結果、人は成長するにつれ、さまざまな色メガネで世の中を見るようになる。良くも悪くも、それがオトナになると言うことなのかもしれない。
だから、子供の素朴な好奇心から発せられる質問や、何ものにも囚われない自由な発想は、時にオトナの虚を突いて、オトナを驚かせる。さらにオトナには当たり前なことが、子供にはまだ理解できず、いざそれを子供が知り得る限られたボキャブラリで説明しようとすると、これが案外難しい(単に、私が下手クソなだけなのかもしれない。劇中の平幹二朗さん演じる祖父は、こっこちゃんにも分かるよう上手に説明していた)。
息子が小1の頃、こんなことがあった。息子が台所の私の元に来て、何の前触れもなく「お母さん、お母さんがお父さんと結婚して良かったことは何だと思う?」と聞いた。突然の質問に上手く応えられなかった私に、息子はニコニコしながら言った。「あのね、ぼくが生まれたことだよ。お母さん、ぼくが生まれて来て、良かったでしょう?」
予想外の、息子の素直な喜びに溢れた言葉に、私は心底驚き、思わず息子を抱きしめた。もう20年近く前の出来事だが、今でも思い出す度に心が温かくなる。
また、先月、一緒にTDLに行った幼い姪は、常に身近にいないせいもあるが、伯母である私が自分の母親の姉で、祖母の娘であることが今ひとつわかっていないようである。説明を試みたが、彼女が理解したかどうかは、正直、自信がない。残念ながら、未だに"たまに会う親戚のおばちゃん"程度にしか思っていないのかもしれない(笑)。
思えば子供時代は、今はオトナの自分にも確かにあったはずなのに、既に遠い記憶の彼方に追いやられている。そのせいか、しばしば子供の心が理解できず、子供が不思議な生き物に見えてしまう瞬間がある。
映画の中で、こっこちゃんが紡ぐエピソードの数々は、そんなオトナの、どこか懐かしく、時に甘酸っぱい子供時代の記憶を呼び覚ましてくれるようだ。月並みな表現だが、昔子供だったすべてのオトナに、是非見て貰いたい作品だ。そして、子供だった頃の自分を思い出して欲しい(たとえ辛い思い出の方が多かった子供時代でも、身近に自分を見守ってくれるオトナや、助けてくれる友達が、必ずひとりはいたと思うよ。その存在が生きる支えとなって、今があるのだと思う)。
主人公こっこちゃんを、名子役の誉高い芦田愛菜ちゃんは、喜怒哀楽豊かな表情でノビノビと演じて、素晴らしい。実は彼女を映像で見るのは「阪急電車に乗って」以来なのだが、名声が高まるにつれて子供らしさを失ってはいないかとの心配は、少なくともスクリーン上の彼女の溌剌とした姿を見る限り、杞憂だったようだ。子役としても、ひとりの女の子としても、今の輝きを失うことなく成長して行って欲しいと思う。
「円卓 こっこ、ひと夏のイマジン」公式サイト