はなこのアンテナ@無知の知

たびたび映画、ときどき美術館、たまに旅行の私的記録

世界史にリンクした一族の歴史にドキドキ

2006年10月14日 | 文化・芸術(展覧会&講演会)

17世紀オランダの古い地球儀をモチーフにしたクリスマス・オーナメント♪
直径は約10㎝くらいです。ゆらゆら揺れているのでボケボケ写真に。


先日、知人に誘われて訪ねたお宅(麻布にある駐在員向け高級低層マンションのメゾネットタイプ)のオランダ人女性は、やはり世界に名だたる石油会社ロイヤル・ダッチ・シェル石油のオーナー一族の一人でした。

正確にはご主人がその直系に当たる方のようですが、その夫人自身、オランダの名家の出のようで、父親はオランダの商工会議所の会頭で王族とも親交があり、その一族の歴史はオランダが海運国として世界に名を馳せた17世紀の東インド会社誕生にまで連なるそうです。

元々東インドの交易を行っていた貿易会社14社が、1602年に統合してできたのが東インド会社。元の14社がそれぞれ株主となったこの会社は、世界初の株式会社でした。

東インド会社は、広大な海域の貿易独占権と共に条約の締結、海外領土の総督の指名、貨幣の鋳造などを行う権利を有し、ひとつの国家にも匹敵するような存在であったのです。

最盛期には数千人規模の軍隊を組織し参謀を置き、数十隻から成る艦隊をも擁していたと言われています。

彼女の先祖はその東インド会社の経営に関わっていたとのこと。さらに驚いたのは、デルフトを拠点に富を欲しいままにしていた先祖は、ナポレオン率いるフランス軍の侵攻により、そのすべての資産を奪われ、やむを得ずハーグへと移住するも、持ち前の商才を発揮して見事復活を遂げたと言うのですから、オランダを代表する実業家一族であることは間違いない。

彼女は一族の歴史をデルフト時代にまで遡って一冊の本にまとめ上げ、先頃上梓したようです。自費出版という形で100部限定らしいですが、将来的にはこの本を下敷きに小説を書きたいのだとか。

東インド会社、ナポレオン…学生時代に世界史で学んだ名前が一族の歴史に直接リンクしている。その凄さに思わず絶句。

ご主人の仕事の関係で世界各地を転々として来た彼女は、それぞれの地で現地の言葉を学び、現地ならではの物を買い求め、人脈を広げて来たようです。

ちなみに何カ国語を話すのですか?と尋ねたところ、事も無げに「9カ国語」と答えました。大学時代にラテン語とギリシャ語、それから英語、仏語、スペイン語、インドネシア語…と指折り数える彼女。日本語もマンツーマンの指導で学んだようですが、私達が訪ねた日の会話は殆ど英語でした。

日本人の悪い癖かもしれませんが、在留外国人に対して、ついつい英語で話しかけてしまうんですよね。本当は相手は日本語を学びたがっているかもしれないのに。

彼女は4年間の日本での生活をどん欲に楽しんだようです。テラスには先生について学んだという盆栽の鉢がいくつも陳列されていました。しかし植物検疫の関係で、帰国時には一切本国に持ち帰れないとのこと。とても残念そうな表情で、大事にしてくれる人に譲りたいと話していました。

リビングにはさりげなく17世紀の中国の陶器や磁器が飾られ(特に直径10㎝ほどの小皿の来歴にはロマンを感じました。沈没船から引き揚げられた品で、茶箱の中の茶葉に中に埋もれていたおかげで奇跡的に割れていなかった物を、クリスティーズのオークションで入手したらしい)、フランスの農家で200年程前に使われていたという大きなダイニングテーブル、ジョージアンやヴィクトリアンの椅子が、現役で活躍しているようです。テーブルなど素朴な作りで、かなり年季の入ったものだけど大好きだから、これは売らずに本国に持ち帰ります、と彼女。

世界各地で転勤を繰り返す中で身に付いた合理性と、古い物を愛おしむヨーロッパの伝統的な価値観とを併せ持った女性でした。

世が世なら、場所が場所なら、私など到底お近づきできないような上流夫人ですが、ホスピタリティ精神溢れる、気さくな人柄の持ち主でした。もちろん自身の立場をきちんと弁え、本国での顔と海外で私達のような異邦人に見せる顔は、全然違うのでしょうけれど。

とにもかくにも、外国人エグゼクティブの日本での暮らしの一端を垣間見れた約3時間は、庶民の私にとっては貴重な経験となりました。
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