はなこのアンテナ@無知の知

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漢字検定を受けてみた。

2012年11月01日 | はなこ的考察―良いこと探し
去る日曜日に漢字検定を受けて来た。

私が今回挑戦したのは2級。2級は高校卒業程度の漢字運用能力を想定し、「常用漢字2,136字中、1,940字を理解し、文章の中で適切に使える」レベルが求められる。

領域・内容としては、以下の通りとなっている。これに則って出題される。

《漢字の読み書き》音読みと訓読みを正しく理解していること。
         送り仮名や仮名遣いに注意して正しく書けること。
         熟語の構成を正しく理解していること。
         熟字訓、当て字を理解していること(硫黄/いおう、相撲/すもう…)。
         対義語・類義語、同音・同訓異字を正しく理解していること。

《四字熟語》   典拠のある四字熟語を理解している(驚天動地、孤立無援 など)。

《部首》     部首を識別し、漢字の構成と意味を理解している。


(以上、緑部分『改訂三版漢字学習ステップ2級』((財)日本漢字能力検定協会)より)

例えば、こんな出題だ。

(1)次の棒線の読みをひらがなで記せ。

我が畏友、山田氏を紹介します。

(2)次の漢字の部首を記せ。

隷 亭 妥 丹 充 面 虜 褒 我 戻

(3)熟語の構成のしかたには次のようなものがある。

ア 同じような意味の漢字を重ねたもの(岩石)
イ 反対または対応の意味を表す字を重ねたもの(高低)
ウ 上の字が下の字を修飾しているもの(洋画)
エ 下の字が上の字の目的語・補語になっているもの(着席)
オ 上の字が下の字の意味を打ち消しているもの(非情) 

次の熟語はア~オのどれに当たるか?

還元 分析 未来 経緯 搭乗 折衷 巧拙 

(4)四字熟語に入る適切な語を以下から選び、漢字二字で記せ。

うい きょうさ ごうけつ ばんりょく れんこう

率先( ) 英俊( ) 合従( ) ( )扇動 ( )転変 ()一紅 
(他にそれぞれの四字熟語の意味を問う問題など) 

(5)対義語・類義語を以下の中から選び、漢字で記せ。

あんぐ いかん かもく さいはい ちじょく ちょうかい 

《対義語》多弁 名誉 賢明
《類義語》指揮 処罰 残念

(6)次の棒線のカタカナを漢字に直せ。

センパクが頻繁に出入りする港だ。
センパクな知識を振り回す。

(7)次の各文にまちがって使われている同じ読みの漢字がひとつある。
上に誤字を下に正しい字を記せ。

レースの序番から他の選手を寄せ付けない力泳で日本記録を更新し四回目の栄えある五輪代表に選出された。( )( )

(8)次の棒線のカタカナを漢字一字と送りがな(ひらがな)に直せ。

植木の枝をタメル

あくまでも初志をツラヌク

綿をツムイデ糸にする。

(9)次の棒線のカタカナを漢字に直せ。

五百年のセイソウを経た寺院だ。



以上のような出題形式の問題、総計120問を一時間で解く。合格ボーダーラインは正答率80%以上(160点/200点満点)となっている。

合格率は20%前後で推移しているが、普段から読書に親しんでいる成人には、市販の問題集を解いて出題傾向を把握する等の対策を練れば、8割の正答率はそれほど難しくないと思われる。実のところ合格率を押し下げているのは、受験者の多数を占める勢力ながら、(学校から受験を促されたものの試験対策に身が入らず)準備不足なまま試験に臨んだ高校生などの学生らしく、その合格率は14%以下と言われている。

高校生ら学生の受験率が高いのは、漢検2級以上の取得が、大学の推薦入試などで優位に働くかららしい。また、就職活動でも2級以上が履歴書に記しても恥ずかしくないレベルだと言われているようだ(確かに漢検2級レベルであれば、履歴書に誤字脱字はなくなるだろう。一般常識としての漢字運用能力は十分身についていると思う)

近年、この漢字検定を主催する漢字能力検定協会は、創設者親子による協会の私物化が問題となり、ついには刑事事件にまで発展して、件の親子は追放となったようだが、漢検そのものはすっかり日本の社会に定着したようだ。漢字が大陸から伝来して以来、漢字を巧みに自国の文化に取り込んで、さらに漢字からひらがなやカタカナを発明し、豊かな言語文化を築いて来た日本人が、漢字の優れた特性を再評価し、改めて学ぶことは、けっして悪いことではないと思う。

とりわけ、近年は漢字変換機能のある携帯・パソコンの普及により文字を手書きする機会が減ったことで、「漢字を正確に書けなくなったと感じる人が六割強にのぼる」(2011年、文化庁「国語に関する世論調査)と言われる。他にも「手紙や葉書をあまり利用しなくなった」「手で字を書くのを面倒と感じるようになった」「口頭で言えば済むことをメールを使うようになった」など、漢字の書き取りが苦手となる要因は枚挙に暇がない。

一方で、数ヶ月前だったか、NHKーBSの「ワールドウェーブ・モーニング」で、有名国立大学教授が「日本語からの漢字の排除」を声高に主張していたのを目にして驚いた記憶がある。教授は日頃留学生に対して論文指導を行っている自身の経験から (非漢字圏からの)留学生の日本語習得の大きな阻害要因となっている漢字を目の敵にしているようだった。教授の主張は「漢字の使用は止めて、すべてローマ字表記にしてしまえ」というものであった。

実はこれは、この教授独自の突拍子もない考えというわけではなく、「日本語をローマ字表記に」と言う考え方は、古くは明治時代からあるもののようだ。なんと公益社団法人日本ローマ字会」なる文科省管轄の団体まで存在する。そこを直撃取材したブログがあり、その記事の内容には興味深いものがある。

chain「日本ローマ字会を訪ねてみた(やってみよう研究所)

要は、同音異義語が多過ぎて文字(=書き言葉)でなければ違いが分かりづらい、話し言葉としては不便極まりない日本語を、ローマ字表記化によって、話し言葉主体の言語に再構築しようとの考えのようだ。

しかし、それによって、これまでに築かれた日本の言語文化、ひいては日本人の言語感覚や思考にまで多大な変化がもたらされるのではないか?話し言葉を主体とした新しい言語システムが果たして、これまで日本人が築き上げた全てを捨て去ってまで得る価値があるものなのかどうか?それとも新旧システムの併存も可能なのだろうか?現時点で、私自身は、日本語の完全ローマ字化を想像することは難しい。

また、別の目的で、終戦直後米国が「日本語ローマ字化」を試みた歴史もあるようだ。佐藤優氏の語り下ろしの著書『人間の叡智』(文春新書、2012、pp.128-131)によれば、米国占領軍の旗振りの下、日本語のローマ字化の中心となったのは、音韻論を主とする東京大学、服部四郎教授の言語学教室で、紀要もすべてローマ字表記だったと言う。

当時、日本語のローマ字化を前提に、漢字も常用漢字表から当用漢字表へと改められ、字数が厳しく制限されたらしい。戦後の日本の言語学会で米国の言語学である音韻論が幅をきかせたのも、日本語をローマ字化した時に、どこで音を切るのかが重要になる為、音韻論で決めようとの目論みが米国占領軍にはあったようだ。

それでは、なぜ米国占領軍は日本語のローマ字化を進めようとしたのか?それは日本語が表意文字である漢字と仮名交じり表記であるが為に、「文字による情報取得」という点において、極めて効率性に優れた言語だかららしい。日本語の漢字仮名交じり表記は、「視覚的に把握力に優れた」システムなのだ(この漢字仮名交じり表記の優れた視認性が、洋画上映時の字幕でも生かされている言えるだろう。ところが、最近、その字幕の切り替えスピードについて行けない若者が増えているらしい。これは漢字運用能力の低下が一因なのではないか?また、以前、他の記事のコメント欄でも言及したが、地理的には漢字文化圏に位置する韓国が漢字を学校教育から排除したのは、韓国にとって果たして正しい選択だったのか?最近の報道によれば、この件に関して、韓国国内からも疑問の声が出ているようだ)

つまり、米国占領軍は、日本語のローマ字表記化によって、日本の「国語イデオロギーを解体」し、独特の言語システムにより情報把握力に優れた日本人が、再び欧米諸国に戦いを挑んで来ることのないよう、その文化的弱体化(=文化から敵を切り崩して行く帝国主義的手法)を狙ったのだ。

しかも、日本語に不慣れな米国占領軍にとっては、日本語で書かれた情報の把握は面倒で、占領統治に支障を来たす恐れさえ感じていたらしい。米国占領軍から見れば、日本の漢字仮名交じり表記は、「まっとうな文明国が読めない悪魔の文字システム」で、「世界に反逆する思想」の根源以外のなにものでもなかったようだ。

個人的には、今回の「漢検」挑戦により、改めて「漢字文化」の奥深さに魅了されたので、日本語から漢字が排除されることなど想像もできない。ユーラシア大陸の東の端に寄りそうように存在する小さな島国日本に住む日本人が、大陸から様々な文物や人々と共に漢字を受け入れ、自分達の言語の中に巧みに取り入れ、ひとつの文化として昇華させたことは、日本人の融通無碍な気質の真骨頂とも言うべきものだと思う。それだけに、漢字を否定することは、日本人そのものを否定することになりはしないか?


さて、今回受験してみて、と言うより、受験に向けて1カ月あまり問題集に取り組んでみて、ある種衝撃だったのは、自分の漢字に関する知識がかなり曖昧であったことだ。「読み」はともかく、「書き取り」では漢字の細かな部分で覚え間違いが多かったことに今回改めて気がつき、自身の記憶のいい加減さに驚いた。

もう長いこと、そう子どもの頃から、自身の語彙の獲得は、学校の教科書で学ぶことから始まって(←私の親は教育に無関心で、幼児期も私への言葉かけが圧倒的に少なかった為、私は小学校に上がるまでで語彙が極端に少なく、そのせいで随分と無口な子どもだった。傍から見れば、かなりぼうっとした子どもだったに違いない)、次いで本に書かれた文章や新聞の記事で新たな言葉を知り、文脈でその大まかな意味を捉えて、実際に会話や作文で使ってみるなどの作業を繰り返して来た。その過程で幸か不幸か、あまり他人に誤りを指摘されることもなく、今に至っている。だから、案外に漢字はうろ覚えであり、熟語の意味の理解も曖昧なのだ。

特に今回、《部首》で漢字の成り立ちを改めて学び(→部首で漢字のグループ分け。未知の漢字でも部首から意味を類推することが可能)、《熟語の構成》で、熟語の意味をきちんと知ることができたように思う。まあ、《四字熟語》は、普段の生活で使いそうもないものもあったが、漢文的教養として学んだと思えば納得か。

自己採点では9割方解けたとは思うが、書き取りは厳格にハネやトメをチェックするらしいので、実際のところ9割も得点できたのか心許ない。

実は夫に促され、当初は嫌々漢検の受験を決めた私だったが、今回受験してみて、本当に良かったと思う。やっぱり、幾つになっても何かに挑戦することは心がワクワクするし、勉強して新しいことを知ったり、自分の誤りに気付いて正せることは楽しい。「何をするにも遅すぎることはない」と言うのは、そういう意味も含んでのことなのかもしれない。                   
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