虹色オリハルコン

命にエネルギーを与えるパワーの力

命からエネルギーを奪うフォースの力

どちらを選ぶかは自分次第

曽野綾子さんの「自己責任」

2015年02月19日 | 社会のニュースを考える
私がハタチそこそこの、ん十年前、ある方から「三浦綾子」という女流作家の名を教えていただき、それが縁で彼女の小説を読んだりして当時は、少なからず影響を受けた。

しかし、それより少し前、まだ三浦綾子さんの小説を読む前に、本屋さんで曽野綾子という人のエッセイを手にし、「クリスチャンでご主人が三浦朱門」という著者紹介から、曽野綾子=三浦綾子?ペンネーム?と勝手に脳内変換して、試しに買って読んでみた。
つまり、おすすめされた三浦綾子さんを読む前に、勘違いして曽野綾子さんのエッセイを読んじゃったの。

今は曽野綾子さんが保守派の論客?と言うのは万人知るところだけれど、当時は今ほど情報もなく時代も今のように右傾化していなかったので、読んでみて、好きになるほどではなかったけれど、そんなに激しい違和感はなかった。こういう考え方もあるのだな、というくらい。でも、クリスチャンであるならもう少し愛があってもいいのではなかろうか、というような素っ気無さを感じたのは事実。以来、曽野さんの本は、後にも先にもそれ1冊しか読んでない。

しかし、唯一、心に残ったのは、一人息子の太郎さんへの教育に、「無人島で一人で暮らせるようなサバイバル術と、高級ホテルのレストランで物怖じしないで食事ができるテーブルマナー、両方を身につけさせたい」というようなことが書かれていて、私も常々、教育とは偏差値じゃなくて「生きる力」を身につけることだよね、と感じるところがあったので、そこは同意し、いつか子どもを持ったら実践してみたいと思ったりした。(現実は、高級ホテルに行くような機会も余裕もなく、サバイバルも苦手で、どっちも実践できなかったが・・・)
思えば、当時から曽野綾子さんはすべからく「自己責任」の人だったんだなあと思う。

だけど、ここ10年位の彼女の言説は、徐々に度を越しているような気がして、すっかり大御所になったせいか、誰もアドバイスする人がいないのか、聞く耳を持たないのか、よくわかりませんが、物議をかもした今回の産経新聞のエッセイに関しては、ついに、「やっちゃった」って感じ。
 曽野氏コラムは「人種隔離容認」 南ア大使が産経に抗議(朝日新聞) - goo ニュース
 「曽野氏コラムの撤回と謝罪を」日本アフリカ学会有志(朝日新聞) - goo ニュース
 

「自己責任」は、自分自身に対してそういって気持ちを鼓舞したりするのはわかる。でも「自己責任」っていうのはそれこそ、自分自分で気づくことであって、他人の生き方にまで口出して、「自己責任」を押し付けて、とやかくいうことじゃないって思います。
傷ついている他者に向かってそれを発すれば、その傷口に塩を塗るような言葉ではないか・・・「自己責任」

今、曽野綾子さん自身にその言葉が戻ってきているのかもしれないですね。


  


曽野綾子さんと勘違いして、ごめんなさい。三浦綾子さんが影響を受けた作家の一人です。

生き方をもって遺言とする

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 核のごみ対策を再稼働条件に... | トップ | 緑の中の「新国立」by日本学... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

社会のニュースを考える」カテゴリの最新記事