先日、米国債が格下げになって、オバマ大統領も、相変わらず気が休まる時がない。
また、この格下げは、大統領に批判的で攻撃的な保守系草の根運動「ティーパーティ」の怪気炎のせいだという見かたもある。
危機にあっても、政治的な思惑(=政局)を優先させる人たちを見ていると、なんだかこんな時でも批判ばかりで協力できない日本の政治家と同じだなあと・・・涙。
日米問わず、保守系の人たちの頑迷さは、まっこと、困ったものだけれど、自分の立場、自分の都合でしか物を見てないんだなあって、岡目八目、はたから見ればよくわかっちゃうのにね。
まあ、そんなことは、さておき。
昨年はじめて、アメリカのルース駐日大使が、長崎の原爆の日の式典に参加した。
大統領の広島・長崎訪問はかなわなかったけれど、オバマ大統領が、核のない世界を目指すと言ったあの提言を受けた形で、うれしい変化だった。
そしてまた、今年の長崎の式典では、正式にアメリカからズムワルト首席公使が出席されたこと。
現実はアメリカの議会もねじれており、核廃絶に向けて3歩進んで2歩下がっているような状況もあるけれど、亀の歩みのようでも、核廃絶へと進もうとする大統領の努力にエールを送ろう。
■脱原発に転換を=市長、福島事故に危機感-米代表が式典出席-66回目長崎原爆の日
8日、NHKで、「二度と原爆を使ってはいけない」という非常に良質のドキュメンタリーが放送された。
終戦後、長崎に赴任した、アメリカの陸軍中佐が送った手紙の中に書かれていた一節が、この番組のタイトル名になった。
私たちは、大人になり、社会人になると、いろんなしがらみができてくる。そして、つい自分のおかれた社会的な立場から、ものを言わなければならないという状況ができてしまう。
アメリカ軍人なら、「原爆を使ったことを肯定しなければならない立場」にあるから、「二度と原爆を使ってはいけない」などと決して言ってはいけないのだ。
しかし、番組で紹介された、ビクター・デルノア陸軍中佐は、軍人としてではなく、一人の人間として長崎を見て、自分の信念でこう手紙に書いた。
「二度と原爆を使ってはいけない」
彼は、長崎に来る前、ドイツで見たユダヤ人収容所の残虐で悲惨な実態を目の当たりにして、打ちのめされるような衝撃を受けた。
そして、それと同じことを、アメリカが原爆によって引き起こしたのだと実感し、心の底からこう書いたのだろう。
「二度と原爆を使ってはいけない」
中佐の意思は、彼が大切にしていた「長崎の教会が描かれた絵」に託されて、長崎滞在中に生まれた彼の娘さんに受け継がれてゆく。
変化のさざ波がまた一つアメリカで起きそうな予感がして、番組は終わった。
「二度と原爆を使ってはいけない」
軍人としてではなく、人間として発言すること。
こういう風に言える軍人さんを私は、心から尊敬する。
今、日本でも脱原発かそうでないか、で、立場によって意見が分かれている。
でも、電力関係者の立場とか、会社の立場とか、所属する組織の立場とか、イデオロギーの立場とか、それぞれ事情はあるのだろうけれど、「脱原発」を受け入れられない人たちの理由は、
お金(=欲望)のため
自己保身(=プライド)のため
敵と思っている相手への敵対心(=怒り)のため
でしょう。
お金やプライドだって大事だという人の気持ちもわかるけど、そんなものは、命には比べようがない。
他のどんなものより、命がかけがえのないものだということは自明の理であるのに。
「共和党の魂のために戦っている」などと言うアメリカの「ティーパーティ」のプライド(本音は欲望)が、世界を混乱に陥れても、彼女・彼らは、後始末はとらず誰かのせいにして、おそらくは逃げてしまうのだろう。いつだって、フォースは、(パワーに甘えて)勝手なことを言うくせに、結局、責任はとらないのだ。
原発についても、お金のためにプライドのために、未来を人質にしてほしくない。私たちはもう十分に学んでいる。
また、この格下げは、大統領に批判的で攻撃的な保守系草の根運動「ティーパーティ」の怪気炎のせいだという見かたもある。
危機にあっても、政治的な思惑(=政局)を優先させる人たちを見ていると、なんだかこんな時でも批判ばかりで協力できない日本の政治家と同じだなあと・・・涙。
日米問わず、保守系の人たちの頑迷さは、まっこと、困ったものだけれど、自分の立場、自分の都合でしか物を見てないんだなあって、岡目八目、はたから見ればよくわかっちゃうのにね。
まあ、そんなことは、さておき。
昨年はじめて、アメリカのルース駐日大使が、長崎の原爆の日の式典に参加した。
大統領の広島・長崎訪問はかなわなかったけれど、オバマ大統領が、核のない世界を目指すと言ったあの提言を受けた形で、うれしい変化だった。
そしてまた、今年の長崎の式典では、正式にアメリカからズムワルト首席公使が出席されたこと。
現実はアメリカの議会もねじれており、核廃絶に向けて3歩進んで2歩下がっているような状況もあるけれど、亀の歩みのようでも、核廃絶へと進もうとする大統領の努力にエールを送ろう。
■脱原発に転換を=市長、福島事故に危機感-米代表が式典出席-66回目長崎原爆の日
8日、NHKで、「二度と原爆を使ってはいけない」という非常に良質のドキュメンタリーが放送された。
終戦後、長崎に赴任した、アメリカの陸軍中佐が送った手紙の中に書かれていた一節が、この番組のタイトル名になった。
私たちは、大人になり、社会人になると、いろんなしがらみができてくる。そして、つい自分のおかれた社会的な立場から、ものを言わなければならないという状況ができてしまう。
アメリカ軍人なら、「原爆を使ったことを肯定しなければならない立場」にあるから、「二度と原爆を使ってはいけない」などと決して言ってはいけないのだ。
しかし、番組で紹介された、ビクター・デルノア陸軍中佐は、軍人としてではなく、一人の人間として長崎を見て、自分の信念でこう手紙に書いた。
「二度と原爆を使ってはいけない」
彼は、長崎に来る前、ドイツで見たユダヤ人収容所の残虐で悲惨な実態を目の当たりにして、打ちのめされるような衝撃を受けた。
そして、それと同じことを、アメリカが原爆によって引き起こしたのだと実感し、心の底からこう書いたのだろう。
「二度と原爆を使ってはいけない」
中佐の意思は、彼が大切にしていた「長崎の教会が描かれた絵」に託されて、長崎滞在中に生まれた彼の娘さんに受け継がれてゆく。
変化のさざ波がまた一つアメリカで起きそうな予感がして、番組は終わった。
「二度と原爆を使ってはいけない」
軍人としてではなく、人間として発言すること。
こういう風に言える軍人さんを私は、心から尊敬する。
今、日本でも脱原発かそうでないか、で、立場によって意見が分かれている。
でも、電力関係者の立場とか、会社の立場とか、所属する組織の立場とか、イデオロギーの立場とか、それぞれ事情はあるのだろうけれど、「脱原発」を受け入れられない人たちの理由は、
お金(=欲望)のため
自己保身(=プライド)のため
敵と思っている相手への敵対心(=怒り)のため
でしょう。
お金やプライドだって大事だという人の気持ちもわかるけど、そんなものは、命には比べようがない。
他のどんなものより、命がかけがえのないものだということは自明の理であるのに。
「共和党の魂のために戦っている」などと言うアメリカの「ティーパーティ」のプライド(本音は欲望)が、世界を混乱に陥れても、彼女・彼らは、後始末はとらず誰かのせいにして、おそらくは逃げてしまうのだろう。いつだって、フォースは、(パワーに甘えて)勝手なことを言うくせに、結局、責任はとらないのだ。
原発についても、お金のためにプライドのために、未来を人質にしてほしくない。私たちはもう十分に学んでいる。
★おまけです
↓
2010年のルース駐日大使の原爆式典参加 米市民の反応は(10/08/06)
↓
2010年のルース駐日大使の原爆式典参加 米市民の反応は(10/08/06)