東京新聞3月3日の一面トップにドナルド・キーン氏の連載記事が載った。読むほどに、納得、共感。おっしゃるとおり。
東京新聞の読者以外の方にも読んでほしい良い記事でしたので、ぜひ、ご紹介したいと思います。編集は私です。
被災者への思い忘れていないか (ドナルド・キーンの東京下町日記より)
東日本大震災から今月で二年になる。死者・行方不明者が二万人近い、かつてない大災害だったにもかかわらず、東京で暮らしていると、人々の被災者への思いが「少しずつ風化しているのでは」と感じることがある。多くの被災者は今、どうしているのだろうか。
被災直後に家を失い、家族を亡くした被災者たちが、泣き叫ぶでもなく、静かに辛抱強く、支えあって生きている姿は、私に第二次世界大戦前後の人気作家、高見順の言葉を思い出させた。
高見は、東京大空襲直後の上野駅で、すべてを失った戦災者が、それでも秩序正しく、健気に疎開列車を待っている様子に「こうした人々と共に生き、共に死にたいと思った」と日記に残した。私も同じ気持ちになっていた。
私は日本人になって一年になる。以前からの日本への愛、日本人への尊敬の念は変わらない。ただ、震災後の日本には、少しがっかりさせられている。
日本は天災が多い国だが、『方丈記』や『源氏物語』などを除けば文学作品に天災は出てこない。悲惨な記憶は残したくないからだろうか。日本では忘年会も盛んで「過去を忘れる」というのは未来志向の知恵ではある。だが、仮設住宅の被災者も原発事故の避難者もそのまま。震災は現在進行形なのだ。
1957年に東京と京都でひらかれた国際ペンクラブ大会で、私は高見と知り合った。以来、著書を送ってくれた高見は、戦災者に感銘を受ける一方で、権力をもった日本人の傍若無人ぶりには失望していた。それにも、私は共感する。
震災地の復興予算が「復興とは無関係の事業に流用されていた」と東京新聞や英BBC放送などが報じた。官庁の役人たちは震災を忘れてしまったのだろうか…。被災者の冷静な行動で大きく上がった日本の国際イメージが、傷ついてしまった。
先日、お会いした英国生まれで日本国籍を取得した作家のC.W.二コルさんは、宮城県東松島市の高台に復興の森を作り、学校を建設する計画を進めている。日本の有力な政財界人に復興に直接、手を貸している人がどれほどいるのだろうか。
原発事故についてもそうだ。「原発は安全」と私たちをだましてきた。ウソがばれたのに、まだ事故の検証も終わらぬまま本格的な再稼働に向けて動き出した。「2030年代に原発稼働ゼロ」も揺らいでいる。東京では夜の明るさが震災前に戻っているが、原発に頼らないための節電はどうなってしまったのか。
高見は日本の敗戦についてこう書いた。「今日のような惨憺たる敗戦にまで至らなくても何とか解決の途はあったはずだ。その点について私らもまた努むべきことがあったはずだ。それをしなかった。そのことを深く恥じねばならぬ」
今、私たちにできることはあるはずだ。
(日本文学研究者)
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あれから、もうすぐ、2年が経ちます。福島の原発事故現場は、恐ろしいくらい2年前と変わらぬ姿のまま。
3月2日東京新聞が報じたところによれば、経産省のエネルギー計画の有識者会議の新たな人事が発表され、飯田哲也さんや枝廣淳子さんなど脱原発派が抜け、推進派を中心に新たなメンバーが選ばれたとのこと。
エネ計画策定の委員入れ替え 「脱原発」鮮明2人だけ
選挙制度に不備があるとはいえ、
(もし、前回の選挙(死票・約3730万票全体の56%)の得票率に議席を正しく反映させたら・・・)
結果として日本人は、原発推進を明言する自民党を勝たせてしまった。なんて馬鹿なことしてしまったのか・・・と今になって、日本人が正気に戻っても遅いけれど、それでも、正気に戻ってくれるなら、まだいいか。
今は、キーンさんの嘆きを共有し、日本が、今やらなければならないことは何か、あるいは、オリンピックより先にやることがあるでしょうと、問い続けたい。