義理の父から無理に
電話での風俗(当時のテレクラ)の
仕事をやらされていた時、
気づいたことがある。
人は、大事じゃない場面では
大事な言葉を軽く口に出せる
ということ。
11才の私は、そういう場に
電話して来て
性欲を解消している大人の男性を
冷静な目で見ていた。
最初は、戸惑いがあり
次に苛立ちがあり、
憎しみも持ち、
それを超えると
実験的な試みを色々と
やるようになり、
最終的には慈しみの心境になった。
出会いまでは求めず、
電話で完結する人たち。
人の体温は怖いけど、
人の声は聴きたい人たち。
ある一時期、私は大人の男性たちに
「愛してると言って」
という要求をしていた。
自分が不安定だった時期なのかも。
彼らは、普通に考えたら
父のような年代。
私は実の父が早く亡くなっているので、
重度のファザコンでもあった。
が、義理の父による
性的な虐待もあり
その年代の男性が気持ち悪い
と思うことも同時にあった。
そして、不思議なことに
「愛してる」の言葉は
100人以上に要求したのだけど
全員が軽く、あるいは
ちょっと照れつつ
ちゃんと「愛してる」と
言ってくれた。
が、言われた端から
サラサラと流れていくような
流砂より重さのない、
意味を持たない言葉だった。
なんて虚しい言葉だろうと
11才の子供が、誰もいない家で
電話を切りながら思った。
あれは冬の夕方で、
家にお金がないから
灯油もなくて寒くて。
それよりも、
どうにもならない孤独の寒さが
骨まで沁みて来るような。
なんだか、生きていくことへの
恐怖まで迫って来て、
息苦しいくらい。
でも、生き延びて
愛が溢れた場所に
行き着いたから、
生きていて良かった。
パートナーが「愛してる」って
言ってくれない!
意識してない、思ってないことだから
言えないんだ!!と思う女性も
いるだろうけど、
本当に大事な言葉は
重すぎて、口に出せないだけ。
それより、「おはよう」とか
「おやすみ」とか「いただきます」
とか「ごちそうさま」とか
「ありがとう」の中に
「愛してる」は、含まれている。
名前を呼んでくれたら、
同時に「愛してる」と
言ってくれている。
妻に対する愛着の強い多嘉良ですら、
「愛してる」は言わない。
英語やフランス語でなら言うけど。
愛を籠めた「愛してる」は、
とても難しい言葉。