孔子の門弟の子貢(しこう)の言葉です。今では〈一を聞いて十を知る〉と言いますね。
孔子が子貢に向かっておっしゃいました、〈子貢よ、お前と顔回(がんかい)とはどちらがまさっているかね。〉と。すると子貢は、〈私はとても顔回とは比べものになりません。顔回は一を聞いて十を知る人物です。私は一を聞いてやっと二を知るに過ぎません。〉とお答えしました。すると、孔子は、〈そうだなあ、お前は顔回には及ばない。しかし、それはお前だけではない、私もお前同様、顔回には及ばないのだよ。〉とおっしゃいました。
子貢と顔回はほぼ同年齢です。子貢が一歳年少だったとされています。子貢は、たいそう優秀な人でしたが、人を比べたり、自分の評価を気にしたりするところのある人だったので、孔子が何かの拍子に顔回との比較を持ち出したのかもしれません。
顔回は、孔子の講義について質問したりすることもなく、ただひたすらよく聞いていたということです。孔門随一の好学の士でした。顔回は、惜しいことに孔子よりも先に亡くなってしまいます。そのとき、孔子は、〈天が自分を滅ぼした!〉と嘆いたと『論語』に書かれています。
顔回は、好学であり、かつ、その理解力、聡明さはすばらしいものがあったのですが、また、人格的にも非常に優れていたので、孔子から高く評価されたのでした。孔子が、子貢に〈私もお前同様、顔回には及ばないのだよ。〉と言ったとき、子貢の言う理解力や聡明さのみではなく、人格的な面でもすばらしいと言ったのではないかと推察します。
以下、原文の訓み下し(よみくだし)です。
☆子(し)、子貢に謂(い)ひて曰(いわ)く、「女(なんじ)と回(かい)と孰(いず)れか愈(まさ)れる。」 対(こた)へて曰く、「賜(し)や何ぞ敢(あ)へて回を望まん。回や一(いつ)を聞きて以(もっ)て十を知(し)る。賜や一(いつ)を聞きて以て二を知る。」と。 子曰く、「如(し)かざるなり。吾(われ)と女と如(し)かざるなり。」 *注;賜・・・・子貢の名。子貢は、姓は端木(たんぼく)、名は賜。字は(あざな)子貢。
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