「政権の忠犬」を検事総長に据えたい官邸
《政界スキャン》
「選択」2019年11月号より
安倍晋三首相の通算在任日数が十一月十九日、史上最長を記録する。第一次政権を投げ出した時には想像もできなかった成り行きである。再登板以降、政権が長持ちした理由の一つは、不祥事による致命傷を回避してきた「強運」も大きい。失言や不品行で辞めた大臣・譲員は数多いが、もう八年以上、逮捕・起訴された国会議員が出ていないのだ。めでたいようでもあるが、怪しからん政治家は絶えることがないので、むしろ由々しき事態と言うべきだ。
東京地検特捜部が小沢一郎元民主党代表を政治資金規正法違反事件で強制捜査しながら起訴できず、郵便不正事件で大阪地検特捜部が押収証拠を改ざんする不祥事を起こし、検察が萎縮する「冬の時代J に入ったためと解説される。
だが、それだけでは「強運」を説明できない。第二次安倍政権になってから、刑事告発されても立件されなかった有力政治家や官僚の事件はいくつもあった。
▽小渕優子元経済産業相の後援会不正経理が発覚した政治資金規正法違反疑惑(元秘書二人が不逮捕のまま在宅起訴)
▽甘利明元経済再生担当相が大臣室で建設業者から現金を受け取っていたあっせん利得処罰法違反疑惑(不起訴で時効成立)
▽下村博文元文部科学相が加計学園から政治黄金パーティー費用二百万円を受け取っていた政治資金規正法違反疑惑(不起訴)
▽森友学園への国有地不当簾売を巡る財務省の背任・虚偽公文書作成疑惑(不起訴)
どれも立件されていたら、政権の命運を揺るがしかねなかったはずだが、いずれも事なきを得た。
どうも妙だ、見えない力が働いているのではないかというので、ささやかれてきたのが黒川弘務東京高検検事長の存在だ。
安倍首相の再登板当時は法務省官房長。法務・検察中枢と政界の折衝役である。黒川氏は菅義偉官房長官の信頼を勝ち得、官邸とのパイプ役を独占。検察は黒川氏を通じて「官邸の意向.感触」を知るしかなくなった。裏返せば、菅氏が「政治的に話の分かる」黒川氏を使って、検察を間接的かつ巧妙に牽制し、コントロールする仕組みを作ったとも言える。
黒川氏が検察の捜査方針に介入した証拠はない。だが、特に甘利氏の疑惑であからさまに政権の顔色をうかがうような事件処理が行われて、黒川氏の卓抜な調整能力が、検察捜査を「政権の意向」に沿う方向へ結果的に誘導したのではないかという疑念が広がった。二〇ー四年五月から官邸が内閣人事局を通じて全省庁の幹部人事を牛耳るようになり、法務省も支配下に組み込まれたことが、法務・検察内での黒川氏の発言力をさらに大きくした。気がつけば黒川氏は、民主党政権から数えて異例の通算五年も官房長に居座ることになり、さすがにもう異動となった時、変事は起きた。
* *
検察首脳人事は、政治的中立の不文律から、政権の影響を排した独自の序列で人選される慣行だ。
二〇ー六年夏、当時の稲田伸夫法務事務次官は、後任に黒川氏と同期の林真琴刑事局長を昇格させ、黒川氏を地方高検検事長に出す人事案を官邸に上げた。稲田、林両氏は法務・検察人事トップの検事総長候補に内定していたからだ。
ところが、菅氏の意向で「事務次官は黒川にしてくれ」とひっくり返された。翌年、世論の反発が強い共謀罪法案提出を予定していた事情もあった。あわてて黒川事務次官・林刑事局長留任の案に差し替えたが、一年限りの避難措置で、翌年には林事務次官に交代させるつもりだった。
二〇ー七年夏の人事異動でも、官邸は再び地方異動が提案された黒川次官に続投を指示し、「林次官」は反故にされ、こちらも留任した。黒川氏を重宝する菅氏の執着が際立ち、政官界で黒川氏を
「官邸の用心棒・代理人」
と呼ぶ陰口が広まった。検察内にも勅揺と反発が広がり、
「本当は腹グロ川じゃないか」
との悪口まで飛びだした。これが悪口とも言いきれないのは、黒川氏がもはや一事務次官の枠を超え、菅氏の霞が関支配における法律顧問と呼ぶべき存在に納まっているフシすらあるからだ。政権が大ピンチだった森友・加計学園問題で、「黒川氏は官邸の危機管理に法律的な見通しや見解を内密で助言していた」(内閣官房幹部)という証言がある。
半年後の同年暮れ、「林次官」 案は三度却下された。官邸は了承したのに、当時の上川陽子法相が反対したとされるが、その解説を信じる者は少ない。上川氏は西日本表雨災害(二〇ー八年七月)の最中に安倍首相を囲む飲み会に興じていた「赤坂自民亭」の女将役である。オウム頁理教幹部の大量死刑を断行し、今年九月には首相肝いりの党憲法改正推進本部長に抜擢する案もあった。安倍・菅両氏の信頼厚い忠臣であり、官邸の横やりを偽装する役目だったと見るのが自然だ。
* *
林氏は昨年一月、ついに次官を経ずに名古屋高検検事長へ転出。ただし、検察人事序列四位へ「三段飛び」で特進した。法務・検察首脳陣はなお稲田検事総長の後任を林氏にしたい方針だが、ライバルの黒川氏も今年一月、序列二位の東京高検検事長に栄進。総長争いは大詰めを迎えている。
林氏は刑事局長として共謀罪法案の国会答弁を一手に引き受けた功績もあり、政権から疎まれるような落ち度はない。官邸がここまで黒川氏を手厚く遇するのは、格別な事由があるからだろう。林氏に「欠点」があるとすれば、黒川氏ほど政権に献身的でないことくらいだ。もし黒川氏が検事総長に抜擢されたら、安倍官邸は検察人事中枢にまで周到かつ戦略的な介入策を弄してきたことになる。
今のところ、さすがの菅氏もそこまで無茶はすまいとの観測が大勢だ。無理を通すには、各人の定年年齢の関係で来年一月までに稲田氏を勇退させなければならず、大義名分がない。黒川氏が用心棒に必要なら、内閣参与にでもすればいい。総長に引き立てるのはいくら何でもやり過ぎだ。
だが、この政権は官界人事秩序を根底から壊すのが目的ではないかとの疑いも拭えない。安倍・菅両氏の威光を背にした官邸警察権力が、検察に対抗心を抱いていないとも限らない。菅氏を囲む無派閥議員の集まり「向日葵会」代表の河井克行氏が法相に起用されたのはなぜだろう。官邸のサプライズ人事には道理も仁義もない。(梟)
《政界スキャン》
「選択」2019年11月号より
安倍晋三首相の通算在任日数が十一月十九日、史上最長を記録する。第一次政権を投げ出した時には想像もできなかった成り行きである。再登板以降、政権が長持ちした理由の一つは、不祥事による致命傷を回避してきた「強運」も大きい。失言や不品行で辞めた大臣・譲員は数多いが、もう八年以上、逮捕・起訴された国会議員が出ていないのだ。めでたいようでもあるが、怪しからん政治家は絶えることがないので、むしろ由々しき事態と言うべきだ。
東京地検特捜部が小沢一郎元民主党代表を政治資金規正法違反事件で強制捜査しながら起訴できず、郵便不正事件で大阪地検特捜部が押収証拠を改ざんする不祥事を起こし、検察が萎縮する「冬の時代J に入ったためと解説される。
だが、それだけでは「強運」を説明できない。第二次安倍政権になってから、刑事告発されても立件されなかった有力政治家や官僚の事件はいくつもあった。
▽小渕優子元経済産業相の後援会不正経理が発覚した政治資金規正法違反疑惑(元秘書二人が不逮捕のまま在宅起訴)
▽甘利明元経済再生担当相が大臣室で建設業者から現金を受け取っていたあっせん利得処罰法違反疑惑(不起訴で時効成立)
▽下村博文元文部科学相が加計学園から政治黄金パーティー費用二百万円を受け取っていた政治資金規正法違反疑惑(不起訴)
▽森友学園への国有地不当簾売を巡る財務省の背任・虚偽公文書作成疑惑(不起訴)
どれも立件されていたら、政権の命運を揺るがしかねなかったはずだが、いずれも事なきを得た。
どうも妙だ、見えない力が働いているのではないかというので、ささやかれてきたのが黒川弘務東京高検検事長の存在だ。
安倍首相の再登板当時は法務省官房長。法務・検察中枢と政界の折衝役である。黒川氏は菅義偉官房長官の信頼を勝ち得、官邸とのパイプ役を独占。検察は黒川氏を通じて「官邸の意向.感触」を知るしかなくなった。裏返せば、菅氏が「政治的に話の分かる」黒川氏を使って、検察を間接的かつ巧妙に牽制し、コントロールする仕組みを作ったとも言える。
黒川氏が検察の捜査方針に介入した証拠はない。だが、特に甘利氏の疑惑であからさまに政権の顔色をうかがうような事件処理が行われて、黒川氏の卓抜な調整能力が、検察捜査を「政権の意向」に沿う方向へ結果的に誘導したのではないかという疑念が広がった。二〇ー四年五月から官邸が内閣人事局を通じて全省庁の幹部人事を牛耳るようになり、法務省も支配下に組み込まれたことが、法務・検察内での黒川氏の発言力をさらに大きくした。気がつけば黒川氏は、民主党政権から数えて異例の通算五年も官房長に居座ることになり、さすがにもう異動となった時、変事は起きた。
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検察首脳人事は、政治的中立の不文律から、政権の影響を排した独自の序列で人選される慣行だ。
二〇ー六年夏、当時の稲田伸夫法務事務次官は、後任に黒川氏と同期の林真琴刑事局長を昇格させ、黒川氏を地方高検検事長に出す人事案を官邸に上げた。稲田、林両氏は法務・検察人事トップの検事総長候補に内定していたからだ。
ところが、菅氏の意向で「事務次官は黒川にしてくれ」とひっくり返された。翌年、世論の反発が強い共謀罪法案提出を予定していた事情もあった。あわてて黒川事務次官・林刑事局長留任の案に差し替えたが、一年限りの避難措置で、翌年には林事務次官に交代させるつもりだった。
二〇ー七年夏の人事異動でも、官邸は再び地方異動が提案された黒川次官に続投を指示し、「林次官」は反故にされ、こちらも留任した。黒川氏を重宝する菅氏の執着が際立ち、政官界で黒川氏を
「官邸の用心棒・代理人」
と呼ぶ陰口が広まった。検察内にも勅揺と反発が広がり、
「本当は腹グロ川じゃないか」
との悪口まで飛びだした。これが悪口とも言いきれないのは、黒川氏がもはや一事務次官の枠を超え、菅氏の霞が関支配における法律顧問と呼ぶべき存在に納まっているフシすらあるからだ。政権が大ピンチだった森友・加計学園問題で、「黒川氏は官邸の危機管理に法律的な見通しや見解を内密で助言していた」(内閣官房幹部)という証言がある。
半年後の同年暮れ、「林次官」 案は三度却下された。官邸は了承したのに、当時の上川陽子法相が反対したとされるが、その解説を信じる者は少ない。上川氏は西日本表雨災害(二〇ー八年七月)の最中に安倍首相を囲む飲み会に興じていた「赤坂自民亭」の女将役である。オウム頁理教幹部の大量死刑を断行し、今年九月には首相肝いりの党憲法改正推進本部長に抜擢する案もあった。安倍・菅両氏の信頼厚い忠臣であり、官邸の横やりを偽装する役目だったと見るのが自然だ。
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林氏は昨年一月、ついに次官を経ずに名古屋高検検事長へ転出。ただし、検察人事序列四位へ「三段飛び」で特進した。法務・検察首脳陣はなお稲田検事総長の後任を林氏にしたい方針だが、ライバルの黒川氏も今年一月、序列二位の東京高検検事長に栄進。総長争いは大詰めを迎えている。
林氏は刑事局長として共謀罪法案の国会答弁を一手に引き受けた功績もあり、政権から疎まれるような落ち度はない。官邸がここまで黒川氏を手厚く遇するのは、格別な事由があるからだろう。林氏に「欠点」があるとすれば、黒川氏ほど政権に献身的でないことくらいだ。もし黒川氏が検事総長に抜擢されたら、安倍官邸は検察人事中枢にまで周到かつ戦略的な介入策を弄してきたことになる。
今のところ、さすがの菅氏もそこまで無茶はすまいとの観測が大勢だ。無理を通すには、各人の定年年齢の関係で来年一月までに稲田氏を勇退させなければならず、大義名分がない。黒川氏が用心棒に必要なら、内閣参与にでもすればいい。総長に引き立てるのはいくら何でもやり過ぎだ。
だが、この政権は官界人事秩序を根底から壊すのが目的ではないかとの疑いも拭えない。安倍・菅両氏の威光を背にした官邸警察権力が、検察に対抗心を抱いていないとも限らない。菅氏を囲む無派閥議員の集まり「向日葵会」代表の河井克行氏が法相に起用されたのはなぜだろう。官邸のサプライズ人事には道理も仁義もない。(梟)
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