気が付けばもう新年になって20日です。
年末に行ってから、母の面会を休んでます。
理由は、私の足腰が痛くて整形外科で電気治療を受けている事。
そして、世の中、風邪などの感染症が大流行で万が一、ウィルスを持ち込んではと思い自粛してます。
年末におやつを沢山持って行った時に、迎えに来たと思った母。
母さん帰れるんでしょと言った母。
外はね、たくさん雪が降って歩くの大変だからと嘘をついた私。
人生で、初めて母と一緒にお正月を過ごさなかった。
結婚しても、夫の実家に顔を出すだけで、後は私の実家で過ごすのが恒例でした。
全て母に任せっきりのお正月でした。うま煮、紅白なます等手作りしてくれました。元旦から何日もご飯を食べに行き、自宅には寝るだけのお正月でした。
それでも、朝はお雑煮を食べるので、材料を用意してくれ、料理を重箱に詰めて持たしてくれました。
夫婦で朝自宅で、お雑煮と母の料理を食べて、お昼ご飯の時間に実家に行き、夕食も一緒に食べてのお正月でした。
そして、令和4年6月から同居したので、令和5年6年と2回、我が家でお正月を過ごしました。
同居してから直ぐ認知症の診断でしたので、母にお手伝いをして貰いながら、なんとかお正月の用意も出来ました。
しかし忘れもしない、令和5年の年末。
夜中に、うま煮を作っていたら母が起きてきて、おはようと言ったのです。
夜中の1時位でした。驚いた私は動揺しました。
あぁ、こんなにも進行してしまったのかと。
それでもその時は、また布団に戻ってくれたので安心しました。
そして、大晦日、お正月を迎えました。
母が私達にしてくれたように重箱に料理を詰めて、父と母のテーブルに出しました。皆で迎えた元旦。
お雑煮は、お餅が危ないので薄くて小さいのを買い、小さく小さく切って用意しました。普段、小食の母なのですが、重箱の料理をぱくぱく食べていた姿が今でも目に焼き付いてます。
その姿を見て、微笑ましかったのをしっかり覚えてます。
年末から急に進行していたので、不安もありながら過ごしたお正月でしたが、今思えば、母にとって翌年のお正月を施設で迎えるとは思ってもいなかったはずです。
勿論、私達もです。
思い出します、子供の頃からのお正月を。
貧しかった私の家は、お正月準備も大変でした。
今思えば、20歳違いの母、私が学生の頃はまだ20代、30代でした。
苦労しながらも、お餅を用意し、幾つの頃だったか餅つき機を購入し、今は亡き兄と3人でお餅を作りました。
そうです、兄と母と3人で、なかなか上手に出来なくて、笑いながら餅を作ってました。
兄と母と私しか知らない時間です。貧しいながらも楽しかった。
母は、純粋で優しくそして可愛らしい女性です。
どうして、もっと優しく出来なかったのだろう。
どうして、迷惑ばかりかけたんだろうと悔やんでも悔やみきれません。
大好きな大好きな母。
面会に行きたいです。多分、忘れてしまったかなぁと思いますが。
忘れていても、元気でいてくれたらと思っています。
早く、感染症の流行が治まって欲しい。
どうしているのかといつも考えております。
手紙を書いて施設にFAXをしたら、届けてくれるようになってます。
母さん、ご飯沢山食べて、きちんと寝て、いつまでも健康でいるんだよ。
お願いだよ。
どうか、母の入所生活が穏やかで、少しで良いので笑顔になって欲しいと思います。
どうかどうか、健康で長生きしてね、私の大好きな母さん。