旅行 写真で紹介 

旅のあれこれ、見たこと、感じたこと 写真で現地を紹介します。

大乗寺

2020-11-04 16:39:32 | 但馬
2020年11月3日、お参りしました。
「高野山真言宗の寺院で、山号は亀居山、西国薬師四十九霊場第二十八番札所。寺伝によれば745年(天平17年)に行基が自刻の聖観音を本尊として創建したと伝えられています。客殿の各間に、円山応挙、呉春、長沢芦雪ら応挙一門による障壁画が描かれています。」
兵庫県美方郡香美町香住区森860
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門前茶店芭蕉庵

山門(兵庫県指定文化財)
「江戸時代の1855年(安政2年)建立、桁行三間、梁間二間、八脚門、入母屋造、桟瓦葺。」













境内より

客殿・庫裏(兵庫県指定文化財)
「江戸時代の1794年(寛政6年)建立、棟札により判明。桁行33.0m、梁間18.9m、入母屋造、銅板葺」







観音堂(香美町指定有形文化財)
「正面三間 側面五間 方形造 背面下屋取込み 銅板葺。」





瑠璃光殿



水子地蔵尊





鎮守社





クスノキ(香美町指定天然記念物)
「樹高約28メートル、幹周り約5.8メートル」





鐘楼

梵鐘
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八幡神社・法庭神社

2020-11-04 15:50:41 | 但馬
2020年11月3日、お参りしました。
帝釈寺に隣接して鎮座しています。鳥居には八幡神社と法庭神社の扁額が架けられています。
兵庫県美方郡香美町香住区下浜591-1 
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八幡神社
「創建は702年(大宝2年)と言われています。1873年(明治六年)、村社に列せられた古社。」
鳥居

参道



手水舎

二の鳥居

石碑



狛犬







拝殿



神門

法庭(のりば)神社
「八幡神社に合祀された。」
三番叟(香美町指定無形民俗文化財)
「十月5日の秋祭りの神事として『天下泰平・国土安穏・長久円満・息災延命』等を祈願し『踏子』と呼ばれる千歳・翁・黒子尉と謡手・鼓・笛・柏子木で構成され氏神に奉納される。三番叟の千歳・翁・黒子尉の三つに組まれた舞の中心は翁と思われ、それは悪霊を鎮め、人々祝言を述べ幸福をもたらす神であり、五穀豊穣を祈願する内容を表現している。三番叟は、三番猿楽という言葉で、方固めという四方へ向かって大地を踏み固める悪魔払いの呪術であったようで、室町時代より始まったとされている。三番叟は『舞う』ではなく『踏む』といっているのはそうした踏み鎮めの祈祷のなごりと考えられている。」
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帝釈寺(たいしゃくじ)

2020-11-04 15:50:25 | 但馬
2020年11月3日、お参りしました。山号を喜見山(きみいさん)と号す。真言宗高野派に属す。
説明書より「この寺の、本尊帝釈天は聖徳太子が自らお刻みになった尊像ですが、仏教排拆派により難波の海(大阪湾)に投げ込まれたものが676年(白鳳4年)に下浜枕ノ崎に漂着しました。地元の漁夫が救いあげ一堂を建立して安置して信仰をしました。午歳(うまのとし)のみに(十二年目)開扉される秘仏として伝えられています。その後、702年(大宝2年)に法相宗の開祖道照上人がこの地に来られ、自らの一刀三礼の厄除聖観世音菩薩像(国指定重要文化財)をお刻みになり帝釈天の脇仏としてお祀りになり一大道場を建立されたのがこの寺の創建とされています。室町時代初期には七堂伽藍を完備し一山寺院三十三坊を有する名刹となり隆盛を極めたといわれています。尚、当寺には町指定文化財の独鈷石や経筒もあります。又、庭園は蓬莱式を取り入れた準築山式枯山水庭園で、作庭は江戸初期と推定されています。」
兵庫県美方郡香美町香住区下浜599
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寺表と枕石

枕石
由来「遠く六世紀末、我国では蘇我氏と物部氏との争いの中で、仏教を排拆する物部守屋によって渡来仏の多くが難波に投棄されたが、その一仏が不思議な漂流を経て当地に漂着し、地元村民によって救い上げられた。人々はその威厳に満ちた尊容に驚覚し、やがて一宇の御堂を建立して海上安全、五穀成就の守護神として敬い、信仰を深めていった。これが帝釈寺開山縁起である。この大長石は676年(白鳳4年)当山本尊が下の浜枕ケ崎、一ノ瀬に漂着された時、波打際で枕にして横たわっておられた縁深き浄石である。本尊と共に大多数の村民によって運び上げられものと伝えられている。」
全景

水掛地蔵

石碑

修行大師

鐘楼

本堂(兵庫県重要有形文化財)
「本堂は建設年代を示す史料がないが、建築技法から見て、再興された天文年間頃の16 世紀中期と考えられる。本堂は、正面五間、側面五間、宝形造、桟瓦葺。大規模な五間堂で、全体では約11m 四方のほぼ正方形の平面である。前側二間通りを外陣として、その後方の間口三間奥行二間を内陣、その両脇を一間幅の脇陣、背面一間通りは後戸とした中世仏堂形式の平面構成を持っている。」

浄聖殿






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和田山町竹田の寺町

2020-01-30 17:04:26 | 但馬
2020年1月29日、城崎温泉に宿泊後、出石に立ち寄り、帰路に朝来市和田山町竹田の寺町を散策しました。JR播但線竹田駅の西側の小路です。
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天空の城、竹田城跡の麓ににある寺町です。竹田城跡は冬季期間は入城禁止となっています。
寺町の通りです。

法樹寺
説明書より「浄土宗知恩院派の寺院で、山号は見星山。1578年(天承6)、現在の東町に開創、竹田城廃城後の1606年(慶長11)、最後の城主赤松広秀公の居住地であるこの場所に、生野代官所の寄進を得て移転した。1667年(寛文7)~1688年(貞享5)の六世住職代に現在の本堂を再建し、門前の石橋は1723年(享保8)に架橋されたといわれている。境内には赤松広秀公の供養塔がある。元は1820年(文政3)竹田城登山道に建立されていた三十三観音も移設されている。」
石橋

山門





本堂

習田雪峰の碑、句碑、







鐘楼

観音石仏





赤松広秀公の供養塔
「広秀は1562年(永禄5)、播磨龍野城主赤松政秀の子として生まれ16才で龍野城主となる。1577年(天正5)、秀吉の大軍の前に降りるが、後に秀吉の家臣となり、四国征伐等の戦功により、1585年(天正13)竹田城主となる。竹田城主として広秀は、九州島津征討、小田原後北条攻めに参戦した外、1592年(文禄元)の朝鮮の役には、他の但馬衆と共に渡鮮している。1600年(慶長5)関ケ原の役にて西軍に組したこと等により家康の忌避にふれ、同年10月28日、鳥取市の真教寺にて自刃した。時に広秀は享年39才であった。」





勝賢寺
説明書より「浄土真宗本願寺派、山号は虎城山、1587年(天正15)向かい金梨山の山麓、迫間近辺にて創建され、竹田城廃城(1600年)後、赤松広秀公家臣・平位善右衛門屋敷跡とされる当地に移る。境内には第9代城主である桑山重晴の長男、一重夫婦の五輪供養塔がある。」
石橋

山門

本堂







鐘楼

境内

庫裏

常光寺
説明書より「真宗大谷派、山号は黒田山、1594年(文禄3)対岸の金梨山のふもと、現在の東町に開創。1610年(慶長15)の大火で焼失し、同年秋にこの場所に移転した。1698年(元禄11)に現在の本堂を再建し、門前の石橋は1707年(宝永4)に再架橋されている。境内は二初代城主太田垣光景公の供養塔があり、但馬最古の記銘石灯籠もある。」
石橋



山門

本堂(兵庫県登録文化財)



鐘楼





太田垣光景公の供養塔

善證寺
説明書より「浄土真宗本願寺派、山号は慈雲山、1334年(建武元)対岸の金梨山のふもとに開創。1625年(寛永2)の火災で焼失し、1652年(慶安5)にこの場所に移転した。1706年(宝永3)に現在の本堂を再建立し、門前の石橋は1732年(享保17)の年号が刻まれている。城主赤松公家臣であった平位善右衛門が、再建時に廃城した城跡の残存建物群ならびに自邸を寄贈したとされている。」
石橋

山門





本堂

境内



鐘楼



寺町通りの小川





殿町地蔵堂

表米神社
説明書より「久世田の加納陵より寄進された。1704年~1710年の間で、この地に移されたと伝えられている。本殿の欄間や神門の大扉の彫刻は京都の名工周斎の作である。祭神である表米宿弥命は初めて但馬国造に任じられた大多牟坂王の九代目となる。表米宿弥命は格技を好んだとされ、境内には全国的にも珍しい『半円形石積段型桟敷』がある。相撲桟敷とも呼ばれて、土俵を囲み半円状に六段の石が積まれている。1865年~1870年の間で造られたとされる桟敷の座席割図も残されている。類似の桟敷が山口県長門市の赤崎神社にもある。」
鳥居

参道の階段

鳥居



神門







狛犬



拝殿



本殿
「三間社流造で、千鳥破風を有しており、干支を周囲に巡らせており、その彫刻の精巧さには目を見張るものがある」











土俵と桟敷「(兵庫県指定有形民俗文化財)







稲荷神社



境内からの景色
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出石の街並みと皿そば

2020-01-30 16:59:37 | 但馬
2020年1月29日、城崎温泉の旅館しののめ層に宿泊、出石の街並み散策し皿そばを食べました。
出石は但馬の小京都といわれる、古い街並みが残っています。出石城跡や武家屋敷などがあります。
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観光センターとおみやげや

出石城跡





















本陣鶴屋で皿さばを堪能しました。





まずは、山葵とネギで頂き、次とろろですすり、生卵で味わいます。追加3皿頼みました。(*'▽')



食後に三段アイスクリームです。






















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城崎温泉街散策

2020-01-30 16:49:05 | 但馬
2020年1月28日、城崎温泉のしののめ荘に宿泊し、城崎温泉街を散策しました。5回目の宿泊です。温泉街は大谿川を挟んで柳が植えられています。土産物屋や旅館が並び、外湯めぐりを楽しめる雰囲気がいいですね。ゲタをはいて、浴衣でカランコロンと風情があります。少し小雨が降っていました。
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城崎温泉 街ぶらマップ

旅館を出て、少し散策です。

駅通りです。













観光客が浴衣に丹前、ゲタで歩いています。





大谿川の柳通りです。







本住寺
「法華宗真門流の寺院、山号は養法山。寺伝では室町時代後期の1538年(天文7)、日壽による開基である。」
山門



本堂(登録有形文化財)
「城崎温泉街山寄りの境内に南面する本堂。背面中央間に須弥壇、右脇間に開祖の壇、左脇間に位牌堂をそれぞれ張出す。堂内は全て格天井で内陣は折上格天井で荘厳し、来迎柱にも獅子鼻・獏鼻を飾る。向拝の蟇股の龍の彫刻は播州飾磨彫の松本一門の作。」









妙見宮





庫裏





地蔵湯
「江戸時代、村人多数の入浴が見られ里人の外湯として親しまれていた。この湯の泉源から地蔵尊が出たのでこの名があり、以来庭内に地蔵尊をまつっている。」

柳通り





























柳湯
「中国の名勝西湖から移植した柳の木の下から湧き出たというのでこの名がある。」

温泉成分表

一の湯
「江戸中期、温泉医学の創始者後藤艮山の高弟香川修徳が、天下一と推奨したことから名づけられた。洞窟風呂がある。」







湯の里通り







稲荷神社







木屋町小路





木屋町通り

御所の湯



四所神社



延命地蔵・鬼子母善神・桃源水



「延命地蔵、地蔵菩薩は、衆生を救済し、極楽へ行けるよう力を貸していると信仰され、又、賽の河原で子どもを庇護してくださる地蔵尊。子どもの病を癒し、命をながらえるようにとの親の願いを祈念した『延命地蔵」として近在の信仰を集めています。」

「鬼子母善神、鬼子母は五百人の子を持ち乍ら他人の子を取ってしまう恐ろしい夜叉でした。お釈迦様は、彼女の子を一人お隠しになって、誠の想い悲しみをお教えになりました。以来、賢い良い子を育て、安産、学業成就、子授け、交通安全、無病息災の訴えを叶えるため、影の身に添う如くお守りくださり、『鬼子母善神』『延命地蔵』は、共に子授けの湯『柳湯」の守護神である。」

「桃源水のいわれ、当湯島の地は、昔より良水に恵まれず、生活用水を得るため桃源(桃島)峠を越えて、水を運んでおりました。ある時、里人の夢見せにより此の地に井戸を掘ると、こんこんと清水が湧きいでた。今から約370年前、1650年(慶安3)の事でした。以来、不老長寿の霊水として今も大切にされています。」
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豊岡市出石町散策

2019-04-26 00:11:10 | 但馬
2019年4月24日、城下町の出石散策をしました。何度か訪れました。出石そばを食べるのも目的で寄り道でした。
『但馬国の祖神「天日槍」がこの地を拓いたとされ、古くは「古事記」「日本書紀」にも登場する出石。室町時代には、山名氏が此隅山城を構え但馬の中心として繁栄しました。その後、有子山城、出石城と城が変わり、領主も変わっていく中で、沢庵和尚や桂小五郎、加藤弘之、斎藤隆夫など、歴史的に有名な人物とも深く関わりを持つ城下町となっていきます。』
案内図

福成寺、浄土真宗本願寺派の寺院
「創建は不詳ですが元々は矢次山の中腹にありましたが、出石城が築かれた際、日野辺街道から現在地に移されました。山門は豊岡陣屋の表門を移築したものと伝えられています。」















勝林寺、浄土真宗本願寺派の寺院



















諸杉神社
「創立年月は不祥であるが、延喜式内の古社で、始め出石川側の出石町水上に鎮座していたが、当国の守護山名氏が居城を出石町宮内の比隅山より出石有子山に移すに及び、当社を城下の現在地に移転されたという。累代の出石城主の尊崇厚く、江戸時代小出大和寺は長刀を奉献し、松平忠徳は社殿を改造し、宝賀を具え華表を建て、治下瑞泉寺主釈大梅に諸形大明神記を撰ばしめた。」































経王寺、日蓮宗の寺院
「創建は永禄年間(1558~70)、法音院日道律師が開いたのが始まりと伝えられています。現在の堂宇は天保年間(1830~43)の火災後に再建されたもので、特に境内が京街道の丹波口にあたる為、鐘楼が城郭の櫓風の仕様になっています。」





















岩鼻稲荷神社
「この神社は出石城主小出大和守吉英公が慶長18年(1613)に高城(有子山山頂)より山麓(現在の出石城隅櫓)に移し、城下町づくりに際し伏見稲荷より分霊を受け出石稲荷を城内に建立したが、城内建立故に一般町民は年に一度(現在初年祭)しか参拝できなかった。そこで武家屋敷が多く建ち並んでいた当岩鼻地域(現在の材木区)を中心に守護神として一般町民が何時でも詣でることができるよう建立されたと伝えられている。天保12年(1841)疱瘡(天然痘)が大流行し当年2月12日当社で祈祷したことが出石藩御用日記に記録されている。現在の社は明治32年5月広く町民より浄財を得て改築し厄除開運の社として材木地域を中心に広く町民の信仰を集めている。」













光明院、高野山真言宗の寺院















出石明治館
「郡役所として明治20年に建造された木造擬洋風建物。日本の天気予報の開始者である桜井勉をはじめ、出石の偉人展を常設しています。」



願成寺
「臨済禅宗大徳寺派の寺院、山門は一間一戸、入母屋、桟瓦葺、上部は吹き放しの鐘楼門形式の建物です。本堂庭園は豊岡市指定名勝。」















川崎尚之助の供養碑

宗鏡寺
「山名氏の菩提寺として創建された寺で、永らく荒廃していたが元和2年(1616)、沢庵和尚により再興されました。通称、沢庵寺とも呼ばれ、沢庵和尚が造った名園は兵庫県指定文化財になっています。」





本高寺、日蓮宗の寺院
「創建は康正元年(1455)、日曾上人が開いたのが始まりと伝えられています。宝永3年(1706)には上田城(長野県上田市)から移封し出石藩主となった仙石政明が帰依し仙石家の菩提寺としました。」















本覚寺











祇園社























鶴屋で皿そばを食す。














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出石神社・総持寺

2019-04-26 00:08:54 | 但馬
2019年4月24日、お参りしました。
出石神社
説明書より「出石神社は、但馬国の一宮で、天日槍命が新羅の国よりお持ちになりました八種の神宝を出石八前大神として、また天日槍命の大御霊を御祭神として斎祀しています。天日槍命は、古事記、日本書紀ともに新羅国王の王子であり、日本に渡来されたとし、その事蹟は記紀のほか古語拾遣、播磨国風土記等にうかがうことができます。八種の神宝とは、古事記には珠二貫・振浪比礼・切浪比礼・振風比礼・切風比礼・奥津鏡・辺津鏡と記しています。天日槍命のご子孫には、田道間守命や神功皇后があります。
 神社の創立年代はあきらかではありませんが、社伝の一宮縁起には、谿羽道主命と多遅麻比那良岐と相謀り、天日槍命を祀ったと伝え、諸書によりますと、およそ1300年前にはこの地で祭祀がおこなわれていたことがうかがわれます。
 但馬の国一宮として当地では別名を一宮(いっきゅう)さんと呼び親しまれています。天日槍命は泥海であった但馬を円山川河口の瀬戸・津居山の間の岩山を開いて濁流を日本海に流し、現在の豊沃な但馬平野を現出され、円山川の治水に、また殖産興業に功績を遣された神として尊崇を集めています。
 現在の社殿は大正3年(1914年)の再建され、透塀で囲まれ三間社流造の本殿、その前面には切妻造りの幣殿と祝詩殿があり、拝殿は舞殿形式で入母屋造り平入りで蔀戸をつり、正面に拝殿の屋根を独立した平唐破風出桁の向拝は他に類のない珍しい建築です。神門は丹塗の八脚門で、数多くの蟇股を飾り、左右に連なる塀も丹塗りです。境内東北隅に約600坪の禁足地があり、老樹が生い茂り、入れば祟りがあるといわれています。」
兵庫県豊岡市出石町宮内99
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境内

狛犬





神門









手水舎

社務所

絵馬殿





拝殿(豊岡市指定文化財)



本殿









夢見稲荷社

比売社





市杵島比売神社



菅原神社(天神社)





総持寺
「当寺は但馬の古都入佐の里を菩提の居地と定めてより、千二百幾十年の歳月を遂げる行基菩薩の開創であります。平安末のころ、現在の地に移り七院十坊の塔堂を構え一山を調え、霊光六方に輝く但馬国の大寺でありました。正平年間、山名時義が但馬を領し此隅山を本拠とし、貞治3年(1364)総本城此隅山城を築き以来歴代城主は、この寺を祈祷寺として保護・安堵されました。時義より九代の国主祐豊は天文4年(1535)に金堂の本尊十一面千手観世音菩薩を造仏寄進し霊地の尊厳を昴め以て国内の安穏を記念されました。応仁の乱、六分一殿で知られる山名氏より代々黄金秘仏性観音の加護を念じ、共に戦難の万霊と草木国土悉皆の成仏を祈念されました。」
兵庫県豊岡市出石町宮内17
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鐘楼



梵鐘

本堂





徳利・杯塚





観音堂



観音様















猿田彦大神・天照大神・豊受大神






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豊岡、日吉神社

2019-04-25 20:48:45 | 但馬
2019年4月24日、お参りしました。
「創建年代は不詳であるが、旧本殿は室町~江戸初期の建築であったと推定される。江戸時代(1603~1867)山王権現と称し初め正法寺跡に鎮座しました。寛文8年(1668)京極氏豊岡藩主として来封して以来代々藩主の崇敬厚く参拝代参あるいは奉納寄進された。明治2年(1869)社名を日吉神社と改め同6年(1873)2月郷社に列し大正7年(1918)幣殿拝殿を改築し同13年(1924)5月県社に昇格しました。」
兵庫県豊岡市山王町10-23
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社務所

手水舎

狛犬



拝殿





本殿



秋葉神社








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城崎温泉街散策

2019-04-25 20:48:26 | 但馬
2019年4月23日、城崎温泉に宿泊し、温泉街を散策しました。24日まで温泉祭で屋台がたくさん出ていました。
城崎温泉ぶらりマップ













三柱神社













四所神社



































王橋(登録有形文化財)
「城崎温泉街を流れる大谿川に架かり、自動車交通に対応して斜橋形式とする鉄筋コンクリート造の道路橋。橋長一二メートル、幅員一二メートルの中央に橋脚の立つ桁橋で、高さ三メートル超の灯籠付親柱や高欄に社寺建築の意匠を引用し、景観上のアクセントとなる。」



愛宕橋(登録有形文化財)

鯉さん



柳湯橋(登録有形文化財)









桃島橋(登録有形文化財)









辨天橋(登録有形文化財)





地蔵八

地蔵湯




















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