2022年11月9日、お参りしました。
由緒書より「祭神は、鴨部の大神(越智益躬)、息長足姫命、玉依姫命、応神天皇である。推古天皇の御代に人皇第七代孝霊天皇第三の御子伊予の皇子より十七代の嫡葉の小千の益躬が鉄人を和坂にて撃ち、益躬 伊予三嶋大明神を大蔵谷に祀る(稲爪神社)其の後益躬の子武男、稲爪神社の辰巳の方角に一社を建て益躬を祭る(越智神社)。さきに、鉄人、九州を通過せし時、これを防ぐことも得さりし者の末裔此社前を通るとき、馬、籠より下り益躬に敬意を表せり又、これをさけ、殊更、船にて上る諸候あり。明石城主これを気の毒に思い越智神社を穂蓼(ほたて)八幡と改む。尚、同時に神社を建て替をした。この年号は宝永2(1705)年にて、城主は松平右兵衛門督直常。その後諸大名、馬又籠のまま通行した。又、八幡神社社領に権現山あり、東西共宮山で、西山の小神祠は熊野三社権現を祀る。西の登り口に水を湧出る所を大蝮(おおひる)谷と言う。」
兵庫県明石市大蔵八幡町2571-1
map
鳥居
手水舎
狛犬
庫
拝殿
本殿
石碑
地蔵さん
西国街道の街並み
由緒書より「祭神は、鴨部の大神(越智益躬)、息長足姫命、玉依姫命、応神天皇である。推古天皇の御代に人皇第七代孝霊天皇第三の御子伊予の皇子より十七代の嫡葉の小千の益躬が鉄人を和坂にて撃ち、益躬 伊予三嶋大明神を大蔵谷に祀る(稲爪神社)其の後益躬の子武男、稲爪神社の辰巳の方角に一社を建て益躬を祭る(越智神社)。さきに、鉄人、九州を通過せし時、これを防ぐことも得さりし者の末裔此社前を通るとき、馬、籠より下り益躬に敬意を表せり又、これをさけ、殊更、船にて上る諸候あり。明石城主これを気の毒に思い越智神社を穂蓼(ほたて)八幡と改む。尚、同時に神社を建て替をした。この年号は宝永2(1705)年にて、城主は松平右兵衛門督直常。その後諸大名、馬又籠のまま通行した。又、八幡神社社領に権現山あり、東西共宮山で、西山の小神祠は熊野三社権現を祀る。西の登り口に水を湧出る所を大蝮(おおひる)谷と言う。」
兵庫県明石市大蔵八幡町2571-1
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