2022年5月14日、お参りしました。
由緒書より「当神社の発祥は、安徳帝の寿永年間(1182~)に伊勢神官の御神札の大麻(おおぬさ)が発行され諸国に頒布されたとき、この大麻を収めた櫃が一時この平井の地に安置されたので村人が相集い仮殿を設けたことが創めとされている。神社の名前は江戸末期まで神明社、文久の頃に天照皇太神官、1873(明治6)年村社に列せられ中尾神社となる。史実によると天正年間(1573~1592)に羽柴秀吉中国備中征伐途次の切畑城攻めの際、その兵火で荒廃し、久しく石の祠にすぎなかった社を文久年間(1861~1864)に五社が西尾村から分村したのを機会に前北勘兵衛、森甚七、森清太らが中心となり伊勢神官に模してほゞ現在の姿を造営し、その後も幾度かの普請を経て現在に至っている。尚、初代神馬は戒屋利作、現在の神馬は前北三二の奉納されたものである。」
神戸市北区有野町有野462
map
鳥居
白馬
拝殿
本殿
由緒書より「当神社の発祥は、安徳帝の寿永年間(1182~)に伊勢神官の御神札の大麻(おおぬさ)が発行され諸国に頒布されたとき、この大麻を収めた櫃が一時この平井の地に安置されたので村人が相集い仮殿を設けたことが創めとされている。神社の名前は江戸末期まで神明社、文久の頃に天照皇太神官、1873(明治6)年村社に列せられ中尾神社となる。史実によると天正年間(1573~1592)に羽柴秀吉中国備中征伐途次の切畑城攻めの際、その兵火で荒廃し、久しく石の祠にすぎなかった社を文久年間(1861~1864)に五社が西尾村から分村したのを機会に前北勘兵衛、森甚七、森清太らが中心となり伊勢神官に模してほゞ現在の姿を造営し、その後も幾度かの普請を経て現在に至っている。尚、初代神馬は戒屋利作、現在の神馬は前北三二の奉納されたものである。」
神戸市北区有野町有野462
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