2019年5月1日、お参りしました。
名和神社
説明書より「建武の忠臣名和長年公はじめ、一族42名をまつる神社。元弘3年(1333)、長年公は隠岐島に流されていた後醍醐天皇の脱出を助け、天皇を船上山に迎え鎌倉幕府軍を破った。後醍醐天皇は、この年、鎌倉幕府を倒し、天皇親政を復活(建武の新政)、長年公はこの新政権で重用された。現在の社殿は昭和10年(1935)に完成。建築界の重鎮伊藤忠太の指導のもと、明治神宮を造営した角南隆が手がけた。本殿から日本海を望むと、海を越え一直線上に後醍醐天皇隠岐行在所がある。また、境内は名和公の米倉があった所で、合戦の折これを焼き払ったため、神社の裏から今でも焼き米が出てくる。」
鳥取県西伯郡大山町名和556
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鳥居
参道
拝殿
本殿
住雲寺
『住雲寺の正式名称は、仏通山住雲寺で、今から約600年前、この地にゆかりの後醍醐天皇や名和長年などが活躍した南北朝時代の建武元年(1334年)に建立され、本尊は聖観世音菩薩です。別名「ふじ寺」と呼ばれ、境内には樹齢約50年の藤の大木が全部で4本あり、花の房が六尺(1.8m)まで垂れ下がる「六尺フジ」という品種は日本各地で数カ所しか存在しない貴重なものだと言われています。』
鳥取県西伯郡大山町古御堂513
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名和神社
説明書より「建武の忠臣名和長年公はじめ、一族42名をまつる神社。元弘3年(1333)、長年公は隠岐島に流されていた後醍醐天皇の脱出を助け、天皇を船上山に迎え鎌倉幕府軍を破った。後醍醐天皇は、この年、鎌倉幕府を倒し、天皇親政を復活(建武の新政)、長年公はこの新政権で重用された。現在の社殿は昭和10年(1935)に完成。建築界の重鎮伊藤忠太の指導のもと、明治神宮を造営した角南隆が手がけた。本殿から日本海を望むと、海を越え一直線上に後醍醐天皇隠岐行在所がある。また、境内は名和公の米倉があった所で、合戦の折これを焼き払ったため、神社の裏から今でも焼き米が出てくる。」
鳥取県西伯郡大山町名和556
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鳥居
参道
拝殿
本殿
住雲寺
『住雲寺の正式名称は、仏通山住雲寺で、今から約600年前、この地にゆかりの後醍醐天皇や名和長年などが活躍した南北朝時代の建武元年(1334年)に建立され、本尊は聖観世音菩薩です。別名「ふじ寺」と呼ばれ、境内には樹齢約50年の藤の大木が全部で4本あり、花の房が六尺(1.8m)まで垂れ下がる「六尺フジ」という品種は日本各地で数カ所しか存在しない貴重なものだと言われています。』
鳥取県西伯郡大山町古御堂513
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