立野のスイッチバックを上り 阿蘇のカルデラを走り抜けた9600貨物は 宮地駅に到着し今度は波野越えと呼ばれる 外
輪山の東側の踏破に挑みます かっては補機運用のための機関区(宮地機関区)もありましたが 私が訪れた時は 補機
運用も無く転車台の跡が残っているだけでした。
宮地を出た列車は 大きくループを描きながら高度を稼ぎ 連続した長いトンネルを抜け波野駅到着で長く苦しい阿蘇山
越えを終ります。
宮地駅を降りると線路に沿って波野方面に向かい ゴツゴツとした山肌を見せる阿蘇山を背に写しました。
1971年5月00日撮影 豊肥本線 宮地~波野 9600形 795レ
荒々しい阿蘇の山肌に 無骨な大正生まれの9600形が良く似合います。
同じ年の暮れに再び訪れると 中岳から噴煙が立ち上っているのが見えたので 阿蘇の噴煙にキュウロクの煙を絡めて
写しました。
1971年12月00日撮影 豊肥本線 宮地~波野 9600形 795レ
波のへと続く急勾配を 阿蘇の噴煙にも負けじと高く白煙を吹上て キュウロク牽引の貨物が上って行きました。
1971年12月00日撮影 9600形 795レ
近年台風や地震などの災害で 長く不通が続いていましたが 大畑越えと並ぶ雄大な車窓を楽しめる肥薩本線 営業的
には大変かもしれませんが 地域の足としてまた観光路線として走り続けてほしいですね。