生涯いちエンジニアを目指して、ついに半老人になってしまいました。

その場考学研究所:ボーイング777のエンジンの国際開発のチーフエンジニアの眼をとおして技術のあり方の疑問を解きます

メタエンジニアの眼シリーズ(49) 「土偶」

2017年10月03日 09時07分50秒 | メタエンジニアの眼
その場考学研究所 メタエンジニアの眼シリーズ(49)                                

このシリーズはメタエンジニアリングで「文化の文明化」を考える際に参考にした著作の紹介です。『 』内は引用部分です。

書籍名;「土偶」[1979] 
著者;水野正好 発行所;講談社   
発行日;1979.3.25
初回作成年月日;H29.9.1 最終改定日;H29.9.20 
引用先;文化の文明化のプロセス  

 当時 (1980年前後)流行していた全集物の一つとして、講談社から「日本の原始美術」シリーズが発行された。本書はその第5巻である。ちなみに第1巻は「縄文土器」で、同年の5月20日に発行されている。



 まえがきには、従来の考古学からの発言に対する著者の明白な思いが記述されている。
 『土偶の時間的な移り変わりー変遷の過程や、特色のある形の変化、型の分類がとかれている。しかし、なぜそうした形に変化したのか、どうしてこの型が広がってゆくのか、なぜ消えてゆくのかといった問いになると、その問いが縄文人の思惟、心性に触れるだけに、考古学の語り口は慎重に、できるかぎり寡黙の態度を装い始めるのである。』
 
 『本書は、私の「土偶」の語りである。考古学でもなく、民俗学でもなく、宗教学そのものでもない。そうした多くの世界に彷徨した私の、私なりに得た一つの解釈であり語りである。土偶自体を凝視する目、その在り方を熟視する目、その発見状況を透視する目は考古学に学び、その目でもって諸学の熱いまなざしを一つ一つたしかめ、融即し合うところに私の語りの基盤を置いた。
 土偶は、縄文人の理念の象徴であっただけではない。永遠の輪廻の体系がそこに息づいていたことを私たちに教える。』

 「その発見状況を透視する目は考古学に学び、その目でもって諸学の熱いまなざしを一つ一つたしかめ、融即し合う」は、まさにメタエンジニアリングの世界になっている。

・象徴の造形―初めに神ありき
『人間が人を形づくる。しかし、そのつくられた「人」は果たして人間なのだろうか。女性原理―女の世界に属するすべてのものの表徴なのではないだろうか。男性世界の造形を示す土偶はない。人を生み文物を生み出す女性の創造を見ると、初めに整った体系を与えた神の叡智を感じることができよう。』(pp.6)

このような女系世界の考え方は、西欧とは全く異なる。

・土偶の系譜とその変遷
土偶の誕生は、なんでもない小石に刻まれた「線刻画」であるとして、『女性を描いた小石、私は名付けて「礫偶」とよびたい。髪と乳房と女性のシンボルを隠す腰蓑、まさに成熟した女の表現である。(中略)小石になぜ、人間の全身を描かなかったのだろうか。描かないことが当時の「礫偶」の約束事なのであろうか。』(pp.46)

・飾られた土偶の展開と衰頽―中期
 『一見稚拙とみえるこの時期の土偶は、一つの約束事を終始守りぬいているのである。その約束事とは、顔をつくらず足をつくらず、土器とは違い全身を文様で飾らないという規範である。人間から極度に離れた形、人間の本姓―飾る心から極度に遠ざかる表現の中で、土偶は「人間」を主張しているのである。この主張こそ「人間」でありながら人間を隔絶する存在、つまり神の表現であったのかもしれない。』(pp.47)

 甲信・中部山岳地方では、突然全身像の土偶が出現する。『奇怪な表情は当時の土器の把手―顔面把手の表現とも一致しており、当時の「神」-蛇・女・神―の表情かと推測されるのである。身体は人間、顔は蛇、まさに蛇と人間の交感であり、神は蛇の姿をもち人のごとくに歩き、神として人の醸した酒などを蛇の形をとって飲む、蛇と人間の神話の主としてこの種の土偶は存在したのである。』(pp.48)

・極限美から終焉へー晩期
 遮光土器がその姿をひそめた後に、同様に太い足を大きく開いた形の土偶が、東北地方のみならず、千葉県、静岡県、奈良県で発見された。『土偶を作る者のみが知る文様や表現によってくる所や、土偶をめぐる祭式、その所作なり役割などといった土偶体系の論理が、広く各地に広がり、理解されたことの表れであろう。』(pp.52)

・毀たれた土偶
 土偶が、壊されるために作られたことは有名だが、『溝をつけた板チョコを割りとるように、正しく割れるように作られた土偶は、たしかに掌の中で割られるのがふさわしいだろう。そこには石器などで傷つけたり、切りとったりしてはならないといったきまり、粉々に打ち砕いてはならないといったきまりがあり、一方、五体をもぎ取るなり、その一部をそれなりの形でもぎとることが必要だとするきまりがあったと考えられるのである。』(pp.59)

そして話は・再生の謳歌へとつづく。土偶も、縄文土器同様に様々な形状が無数に存在している。しかし、多くの作例を系統的に調べてゆくと、そこにはきちんとしたルールが存在しており、決して自由気ままに作ったものではないことが、次第に明らかとなってゆく。

 縄文土器と土偶とは密接に関連しているはずなのだが、残念ながらそのことに触れた部分は少ない。