生涯いちエンジニアを目指して、ついに半老人になってしまいました。

その場考学研究所:ボーイング777のエンジンの国際開発のチーフエンジニアの眼をとおして技術のあり方の疑問を解きます

第1話 俯瞰的視点からの潜在的社会課題の発掘

2013年08月23日 20時20分14秒 | メタエンジニアリングとLiberal Arts
第1話 俯瞰的視点からの潜在的社会課題の発掘

・メタエンジニアリングで考えるとは


 メタエンジニアリングは、社団法人日本工学アカデミーの政策委員会から、2009年1月26日に「我が国が重視すべき科学技術のあり方に関する提言~ 根本的エンジニアリングの提唱 ~」という「提言」(註1)で述べられたものから始まる。その要旨は、「今後重視すべき科学技術のあり方においては「俯瞰的視点からの潜在的社会課題の発掘と科学技術の結合あるいは収束」との命題に答える広義のエンジニアリングこそが重視されるべきである、との考えに基づくものである。この「社会課題と科学技術の上位概念から社会と技術の根本的な関係を根源的に捉え直す広義のエンジニアリング」を『根本的エンジニアリング(英語では、上位概念であることを強調して Meta Engineering と表現)』と名付ける。」であった。

・俯瞰的視点からの潜在的社会課題の発掘

 ここで問題とすべきは、「「俯瞰的視点からの潜在的社会課題の発掘と科学技術の結合あるいは収束」との命題に答える広義のエンジニアリングこそが重視されるべきである」の部分であろう。そこで、今このエンジニアリングの語を「設計」(広義の設計で、計画・企画等も含む)という語に置き換えてみよう。
「俯瞰的視点からの潜在的社会課題の発掘と科学技術の結合あるいは収束、との命題に答える広義の設計こそが重視されるべきである」となる。まさにこれこそがせ技術者の進むべき道であると思う。
 「はじめに」で、設計のスタート時点における戦略設定の必要性を述べた。従来の設計の結果は、さしあたっての使い始めは大変に具合が良いのだが、しばらくするととんでもない欠陥が暴露されることがしばしばある。しかし、そのような問題が起きたときに、多くの場合は「設計に問題があった」と結論づけることはない。たいていの場合には、製造工程や使い方や、その後のメインテナンスに原因ありと結論づけられる傾向にある。このことは、一般にはさほど疑問視をされないが、ベテランの設計技術者の眼から見ると、明らかにおかしいことなのだ。その理由は単純である。設計が原因であるとすると、今更直しようもない。設計が原因であるということは、それまでに生産された全ての製品が駄目であるということと、同義なのである。製造工程の問題ならば、ある時期のある製造機械などに限定することができる。メインテナンスの問題ならば、対策は更に限定され、かつ易しい。しかし、製造の問題も、メインテナンスの問題も、実は設計に真の問題があることが非常に多い。例えば、笹子トンネルの天井板の崩落問題である。この部分の設計は、当時のルールで認められており、数々の検査をパスしたものであり、長期間問題なく使用されていた。しかし、あの外れたボルト部分を見れば、メインテナンスに適さないことは一目瞭然であろう。つまり、メインテイナビリティー設計が余りにも稚拙だったことを示している。

(余談)
 私が品質管理部門を担当していた時のこと、不適合の原因として所謂ヒューマンエラーが年々増加しているとのデータが示され、全体の約70%を占めるまでになっていた。しかし、それは品質管理の専門家の見方であり、設計技術者の眼で詳細に原因検討を行うと、その70%は、設計が稚拙であるために起こったエラーであるとの答えが出た。つまり、全体の約半数は、設計が原因であったと云えるのである。

「俯瞰的視点からの潜在的社会課題」と云う表現をもう少し掘り下げてみよう。通常の設計は、ある機能を果たすために行われる。その為に色々な設計条件があり、それらを満足する一つの回答が、所謂Design by Constraints であろう。之は必要条件を満たした設計と云えるのではないだろうか。しからば、必要十分条件を満たした設計と云う場合の十分条件とは何であろうか。之が、「俯瞰的視点からの潜在的社会課題」であると考える。つまり、必要条件を満たした設計に対して、潜在的社会課題が無いかどうかを俯瞰的視点から調べ直すことである。その視点は、文化人類学、生物学、文明論、哲学など通常の設計技師の頭の中にはあまり見かけないものであろう。このような視点で行われる必要十分な設計を、Design on Liberal Arts Engineeringと呼ぼうと考えている。現代社会が望むものが、本当に人類の持続的文明の発展に寄与することができるのだろうか、潜在的な問題が潜んでいないのだろうか、と云った問いは、現代社会の中に既に無数に存在するように思われる。
 最も端的な例が原子力発電所である。各地の発電所は所定の設計条件を満たし、建設された。つまり、必要条件は満たしている。しかし、使用済核燃料の廃棄サイクルが決まっていない。これは、十分条件を満たしていないことになる。このような設計例は現在世界中に充満している。グローバル社会時代の設計は、大規模かつ瞬く間に世界中に広がってしまう。このような環境下での設計は、必要十分条件を満たす設計でなければならないであろう。

(註1)http://www.eaj.or.jp/proposal/teigen20091126_konponteki_engineering.pdf


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