節子さんは入浴後、夜化粧をしたあと掘炬燵に入り、TVニュ-スを見ている健太郎の脇に腰をおろして、リンゴジュースを飲みながらゆったりした気分でいると、こんな時間にめったに鳴らない電話が鳴り、健太郎が彼女と顔を見合わせて出てみると、賑やかな声に混じり居酒屋のマスターの響くような声で
「今。老先生や息子さん夫婦とお孫さんが揃って珍しく店に来ているわ。例のヤンキー娘も交えて今日の参加者で、店は大繁盛でこんなことは、めったにないので、先生(健太郎の別称)も奥さんを同伴してこられませんか」
と、誘いの案内だった。
健太郎は
「それは結構だなぁ。けれども、彼女も初めてのことなので緊張していたせいか、多少疲れている様なので遠慮させて欲しいが・・」
と丁寧に断ると、老先生に電話を代わり
「いやぁ、今日は大成功だった。皆んなも喜んで、また秋になったらやりましょう」
「会場を青い照明にしたので、初心者も気兼ねなく踊り易いと言ってくれているが、それにしてもプラスバンドの演奏が一寸まずかったな~」
と、感想を話されるので、確かに吹奏楽部はダンス音楽など普段練習していないので。と、弁解がましく答えるや、老先生は
「今度、誰もが馴染みの楽譜を2~3取り寄せるので、なんとか生徒の練習に発破をかけて腕を上げてくれ」
と、課題曲中心の部活には無理な注文だが、後日、部員と相談することにして、軽く返事をしておいた。
健太郎がご機嫌取りに、「先生、今日は本当に楽しそうでしたね」と、水をむけると
「う~ん、老いたりといえども心は花盛りだわ」「これが、ダンスの良いところだよ」
「ただ、ステップが下手だと、孫に散々文句を言われたが、孫の手を握るなんて、こんなときくらいだからな~」
と、笑いながら上機嫌で答えていた。
老医師は、節子さんも、正雄とのダンスや会話の様子から判断して、良かったですね。と、健太郎にあいずちをしていた。
彼女は、炬燵に戻ると
「わたし、健さんとダンスをしている最中に、二つのことが頭をよぎり、つい涙を流してしまい済みませんでした」
と、言った後、目を伏せて恥ずかしそうに、小声で、
「菜の花が咲きかけた頃。枝折峠でお逢いした後、こんなにも早く思いが遂げられるとは夢にも思っていなかったのに、いま、こうして自然な気持ちで貴方と話しあえるなんて、嬉しさで胸が一杯だゎ」
「高校卒業後。 貴方への思いを断ち切るために、故郷を後にして東京に出て行くときは、本当に先が見えず心細ぼそかったゎ」
と、これまでの二人の間の心の流れを振り返って、当時の寂しかった心境をしみじみと話した。
ところが、急に顔を曇らせ、ダンスの途中で秋子さんの病気のことが心配になり、色々と思いあぐねて踊っているうちに、嬉しさと悲しみが入り混じり、涙を流してしまったいきさつを語りはじめた。
彼女が、慎重に言葉を選びながら話したことは
秋子さんが、診療所に入院して以来、毎日付き添いに通っていたころの夕方。 帰り支度をして挨拶する私に対し、秋子さんが急に涙を流して、私の手をとりベットに引き寄せ
「節子さん、わたしの話を聞いてくれます?」「私、散々考えたあげく、貴女だけに是非聞いて欲しいの・・」
と、普段、あの強気な秋子さんが瞳だけは黒く鋭く光らせながらも声は力なく言うので、わたし、直感的に何か大変なことが彼女の身辺に起きているのかしら。と、不安に思いつつも「いいわ、わたしでよければ・・」と、返事をして、再度、彼女の枕元に椅子を近寄せて腰を降ろすと、秋子さんは意を決した様に
「わたし、きっと癌だわ!」
「先生は、一応生体検査をしておりますが・・。念のために薬を出しておきます」
「検査結果次第にもよりますが、或いは大学病院に転院するとなっても、病状と病院の都合で一時帰宅していただきますが・・」
と話したあと、彼女は「出来たら自分のカルテを見てくれませんか」と、懇願する様に頼むので、「他人はカルテは見れないことになっているのょ」と答えて慰めたあと、「何故そんなことを自分で決めてしまうの」と、聞くと、秋子さんは
「前に本で読んだり、店のお客さんから聞いたことがあるので覚えているが、朝の回診のとき、老先生と正雄医師が会話の中で小声で<マーゲン・クレーブスの疑い十分だな~>と話あっているのを聞いてしまったの」
と、病名を答えるので、わたしも驚いてしまい、まさか、そんなことがと思いつつも、秋子さんの涙に誘いこまれて泣いてしまったゎ。と話し、続けて、秋子さんが
「どうも、近く大学病院に移された後手術をするらしいの。わたし、すでにその覚悟はできているゎ」
「若し、そうなったとき、それなりに先行きのことは覚悟はしているつもりだが、自分に万一のことがあったら、理恵子が成人するまで貴女に面倒を見て欲しいの・・貴女しかいないゎ」
「店のことは別に考えているが、あの子は私に似て表面は強気な反面、内心は気が弱く、それに人見知りが激しく、それだけに、あの子のことだけが心配で眠れないの」
と悩みを告白したと、更に、わたしにとっては衝撃的だったことは
「あの子の父親のことは、いま、正直に話しますが、離婚の理由は健さんが全て知っていますし、いずれ時期が来れば、彼があの子に一番良い方法で解決して下さる。と、貴女が彼の前に現れる以前から、健さんとそれとなく話し合いをしたのよ。 また、逆に、若し健さんが具合が悪くなったら私が面倒をみてあげるから。と、冗談交じりに話しもしていたこともあったわ」
「でも、貴女が健さんと御夫婦になられることになり、人の因縁って不思議だわねえ」
と、秋子さんに話されて、わたし、彼女の告白を思いだして、悲喜こもごも複雑な感情を抑えられず涙を流してしまったの。と、ダンス中に涙を零した件をしみじみと説明した。
そして、付け足すように
「この話しを、いつ貴方にすればよいのかと、帰り道歩きながら随分悩んたが、この様な大事なことを何時までも私の胸に秘めているとゆうことは、私達を含め理恵ちゃんにもよくないと考え、いまお話したのです」
とも話した。
健太郎は、自己の体験から、秋子さんが例え本当に癌であっても、一時退院して会場に顔を出しており、病気のステージにもよるが、このことは後で時間をかけて相談しようと、節子さんにあまり深刻にならない様に話しをして、それよりも節子さんが使い易い様に、彼女の個室や台所等の家屋の改造の考えを話して、六月からの二人の生活のあり方を決めることに話しを移してしまったた。
健太郎にしても、まさか、秋子さんが胃潰瘍であっても、癌の疑いがあるとは思いも及ばなかったので、彼女の心境を考えると、これ以上秋子さんのことについて会話を続ける気持ちになれなかった。