最近映画は殆ど観ないのですが、おとといに引き続き、井筒和幸監督の「パッチギ!」を観てきました。ついこの間かと思ったら2004年封切りの映画でした。結構話題になった映画です。僕はなぜか見損なっていました。
と言うか、このあたりから僕は韓国の写真を撮らなくなったし、韓国関連の映画もあまり観ていません。何故だろうかと考えてみると、どうも「冬ソナ」がヒットして、韓国文化がメジャーになって、猫も杓子も「ハンリュウ(韓流)」。
天邪鬼な僕は、そう言うのが面白くなくって別のところに興味が行ってしまったようです。
その前に上映された「ガキ帝国」は81年の映画で、両方とも暴力がいっぱいの映画です。描かれた時代は1967年、68年と言った、まさに僕の青春時代と重なっています。
僕は暴力とは縁の無い世界に居ましたが、チョン校(朝鮮学校)と言う言葉は友達の会話の中にも良く出てきました。
フォーククルセーダースの「イムジン河」がバックに流れる中、在日朝鮮人と日本人の対立の中に、差別や友情を描いて行くのですが、上映後井筒監督との対談がありました。
在日の映画を撮るきっかけは、75・6年ごろ「ガキ帝国」の元になるシナリオを京都の東映に持ち込んだ時、「こう言う、金君とか朴君とか言う名前が出てくる映画は作れないんだ!」と言われた事だそうです。
日朝の歴史の端々が「パッチギ!」の台詞の中にも出てくるのですが、「こう言う事を知っている人には観て貰わなくとも良い、知らない人に観て貰いたいんだ」と言っていました。
だから僕はもう観なくとも良いんだ・・・、と思いつつも、いまだ中途半端に関わっている自分への反省を胸に、田町への帰り道(25分!)を歩いていると左手にライトアップされた東京タワーと少し離れた右側に月が見えました。(「そう言えばこんな映画あったな・・・?」)
学生時代、博多の中州で最終回の映画を観て、天神の駅まで歩いて帰った頃を思い出しました・・・、と言うよりは、「思い出したくて歩いているのかな?」とふと思いました。
追記)パッチギとは頭突きのことです。僕も知らなかったのですが、観ていて分かりました。
それにしても在日と言うと、暴力、貧困と言った紋切り型の表現が多いのが気になりますが、紋切り型の方が説得力があるのでしょうか?
僕の写真もテーマを絞って、紋切り型に持って行かねば・・・!
と言うか、このあたりから僕は韓国の写真を撮らなくなったし、韓国関連の映画もあまり観ていません。何故だろうかと考えてみると、どうも「冬ソナ」がヒットして、韓国文化がメジャーになって、猫も杓子も「ハンリュウ(韓流)」。
天邪鬼な僕は、そう言うのが面白くなくって別のところに興味が行ってしまったようです。
その前に上映された「ガキ帝国」は81年の映画で、両方とも暴力がいっぱいの映画です。描かれた時代は1967年、68年と言った、まさに僕の青春時代と重なっています。
僕は暴力とは縁の無い世界に居ましたが、チョン校(朝鮮学校)と言う言葉は友達の会話の中にも良く出てきました。
フォーククルセーダースの「イムジン河」がバックに流れる中、在日朝鮮人と日本人の対立の中に、差別や友情を描いて行くのですが、上映後井筒監督との対談がありました。
在日の映画を撮るきっかけは、75・6年ごろ「ガキ帝国」の元になるシナリオを京都の東映に持ち込んだ時、「こう言う、金君とか朴君とか言う名前が出てくる映画は作れないんだ!」と言われた事だそうです。
日朝の歴史の端々が「パッチギ!」の台詞の中にも出てくるのですが、「こう言う事を知っている人には観て貰わなくとも良い、知らない人に観て貰いたいんだ」と言っていました。
だから僕はもう観なくとも良いんだ・・・、と思いつつも、いまだ中途半端に関わっている自分への反省を胸に、田町への帰り道(25分!)を歩いていると左手にライトアップされた東京タワーと少し離れた右側に月が見えました。(「そう言えばこんな映画あったな・・・?」)
学生時代、博多の中州で最終回の映画を観て、天神の駅まで歩いて帰った頃を思い出しました・・・、と言うよりは、「思い出したくて歩いているのかな?」とふと思いました。
追記)パッチギとは頭突きのことです。僕も知らなかったのですが、観ていて分かりました。
それにしても在日と言うと、暴力、貧困と言った紋切り型の表現が多いのが気になりますが、紋切り型の方が説得力があるのでしょうか?
僕の写真もテーマを絞って、紋切り型に持って行かねば・・・!
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