今回は戦国の動乱の中2度も徳川の大軍を退けた真田のお城。上田城をご紹介いたします。
この上田城ですが幸村のお父さん昌幸によって築城されました。
また、タイトルにもあるように2度も徳川の大軍を退けたことでも有名なお城です。
1度目は真田軍2,000人VS徳川軍7,000人だったようで数の上では真田軍が不利に思えていたこの戦いで挟み撃ち作戦を使用して徳川軍を撤退に追い詰めたようです。
また2度目の徳川軍の侵攻は関ヶ原の合戦中徳川秀忠率いる徳川軍38,000人という大軍勢に対して真田軍2,000~3,000人で迎え撃ち徳川軍の大群を食い止め実際に秀忠の関ヶ原への到着を遅参させるという大戦果をあげています。
そしてこの真田家ですが関ヶ原の合戦で悲しい選択をとっています。
なんと一族全員で片方に味方するのではなく、父の昌幸とその息子幸村が石田三成率いる西軍に味方し幸村の兄である信之が徳川家康率いる東軍に味方し参戦するという家族バラバラな道を選んでいます。
理由は諸説あるようですがどちらが合戦に勝利しても真田家の血筋を残すためというのが有力なようです。
頭いいなと思いますがちょっと悲しいですよね。。。
ちょっとした余談ですが真田幸村実は日の本一の強者と呼ばれていたそうですよ。
合戦中単身で家康本陣に乗り込み家康を追い込んだとされているそうです。。。
今回は上田城の歴史について書いてみました。
季節によっては紅葉を楽しむこともできます。
皆さんの感想またお待ちしております。
続編みたいっていう方は良ければコメントまたはいいねをお願いしますね😀
また、この難攻不落のお城上田城ですが難攻不落の不落の部分から受験に落ちない合格祈願としても知られているようです。
そちらについてご紹介したものも別でありますので気になる方はこちらからどうぞ
いつもたくさんの方に見てもらえてとっても嬉しいです。
では、次の投稿でお会いしましょう🙂
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