こんばんは、ハッピーダックスです
昨日ご紹介した金に輝く龍雲は、千葉県館山市で撮影しました。
館山では前にも海岸で夕陽に輝く金龍さんに遭遇していたので
なんだかご縁を感じて調べてみたら
この地域には「金竜」に関する古い伝説がありました
なかなかスゴいお話しでしたので、
今日はちょっと長くなりますが、その伝説をご紹介したいと思います
地元に伝わる古文書によると、、、
館山の海に隣接する南房総市富浦の海岸線に
「大房岬(たいぶさみさき)」という
現在は一帯が自然公園になっている場所があります。
そこは、1800年ほど前、修験道の開祖と言われる
役行者(えんのぎょうじゃ)こと役小角(えんのおづぬ)が
岬の山肌に岩窟を掘って不動明王の石像を安置し、
地元民の深い信仰を得た所だそうです。
役小角は、奈良の葛城の出身で、31年もの間、
葛城山中の岩穴に住み、仙人を目指して難行苦行を積んだ末、
仏道と武芸の奥義を極め、多くの呪術をも習得して、
鬼神さえ自在に操るほどの力をもっていました。
そんな強すぎる力に、時の朝廷が恐れを抱き、
彼はあらぬ罪を着せられ遠く伊豆大島へ流されたといいます。
けれども、すでに仙人の力をもつ行者は夜になると島を抜け出して
安房の国まで飛んで渡り、大房岬で民のために力を使って
舟を難破から護ったり、周辺を荒らす海賊を懲らしめたりしたそうです。
土地の人々はその徳を讃え、不動明王を篤く信仰しました。
それから150年ほど過ぎた後、、、
比叡山延暦寺から、慈覚大師(じかくだいし)が
仏教を広めるために東国へやってきて、安房の国にも立ち寄りました。
その際、峠の山道から遠くに見えた大房岬の山の上に、
不思議な紫の霞(かすみ)がたなびいているのに気づいて心を打たれ、
その足で岬を訪れ、岩室に入って深夜まで熱心にお経をあげました。
そして、読経が終わったそのとき、
一人の童女が慈覚大師の前に平伏して現れ、
わたしはかつてこの地を荒らした海賊で、
役小角さまに捕らえられ縛られたまま150年、
岩屋の中に閉じ込められておりました。
大師さまがおいでになるのを知り、お助けいただきたく
紫の霞を吐いてここにお導きしました。
大師さまの読経で縛が解けましたので、
天界に昇り仏法を護ります。
と言い終わると、金の竜に姿を変えて天へ昇っていったそうです。
伝説とはいえ、豪華な登場人物に彩られたすごいお話ですね。
慈覚大師は目黒不動で知られる東京目黒の瀧泉寺や、
山形市の立石寺、松島の瑞巌寺も開いたと伝えられています。
今も館山と富浦の境界線近くに存在する「瀧淵神社」は、
その前身が、慈覚大師が岬に不動明王像を刻んで建立した「瀧淵山龍善院」で、
それ故なのか、
この神社のご祭神は天之御中主神(あめのみなかぬし)さまでありながら、
地元では「お不動さま」として親しまれ、夏に神社としての例祭があるとともに、
毎年1月28日は初不動が開催されるという、神仏習合と神仏分離の歴史を経た、
ちょっと不思議な二刀流パワースポットになっています。
というわけで、、、
わたしは、個人的に、写真の金龍さんはきっと伝説の金竜さんで
安房の国を空から見守り続けているのかもと思って
伝説のロマンにワクワクしつつ、この出会いに感謝しています。
ちなみに慈覚大師の前で童女が金竜になり天に向かって脱した後の穴が
現在まで「弁財天の洞窟」として自然公園の中に残っています。
大昔はもっと奥まで広がっていて、
お不動さまと弁財天さまを祀る壮麗な堂舎があったようですが、
岩が崩れるなどしてすっかり埋まってしまい、
写真で見る限り今はまったく趣が違っています。
(この画像はグーグルマップ内画像より拝借しています)
また、岬が日本海軍に使われた時期があったので
兵士の霊が出るとかなんとか心霊スポットのように言うむきもあるようですが、
そもそも役小角によるお不動さま安置以来、江戸時代に至るまで
ずっと修験道の修行場だったそうなので、そのことを思えば、
人知を超えたエネルギーが集まる場所と考えて不思議はないと思います。
面白半分に見に行くような所ではないのだなと、今回色々調べて感じました。
とはいうものの、大房岬は南房総でも有数の景勝地で、キャンプ場もあり、
時期によっては夕方、海越しのダイヤモンド富士を見られるそうです。
残念ながらわたしはアウトドアは苦手なので、
その手前のリゾートホテルに滞在しながらでも一度訪れてみたいなと思います。
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