あれから何度聴いているんだろう、ベートーベンの第九。
こんなに素晴らしい楽曲だったとは知らずに不覚だった。
暮れになると猫も杓子も第九だと?
別に私は暮れにあんな合唱なぞ聴きたくもない。
これっぽっちも第九に惹かれる事もなく、
興味も全くなかった。
だが、あの合唱だけでは無かったのだ。
それはほんの一部。
壮大な交響曲の一部だったのだ。
そして最後の合唱はこの交響曲のクライマックスを彩るエッセンスだったのだ。
第九は壮大な人生を表現したストーリーなんだと、
本日、聴きながら感じた、交響曲第9番の私の曲感を綴ってみる。
第1楽章 少年時代
人生の中のすくすく育っていく少年時代。
雲ひとつない青空のような時。
かけっこをしながら野原をかけまわり、
親に怒られたり、
夢中に楽しく生きていく時間。
第2楽章 大人へのはざかい期
少年時代には無かった憂いというものが出てくる。
年頃でいえば中学生ぐらいだろうか。
楽しいだけの日々では無く、
悩みや戸惑い、
そんなものが人生に滲みでてくる。
子供から大人へと成長する時のためらいの時期。
第3楽章 バニラとレモンの吐息
そして高校生ぐらいに年は進む。
初恋を経験する。
片思いの切ない心中。
ちょっと胸が痛くなるような切なさと優しい時間が続いていく。
吐き出される吐息は、
憂いを帯びただけの中学生の時の吐息とは異なり、
酸っぱいレモンの香りと共に、甘いバニラの香りも傍にある吐息。
やがて意を決して思いを相手に伝える。
だが、恋愛の成就には至らず、
かといって失恋でもなく、
優しい彼女から笑顔で手を差し出され
初恋は終わる。
第4楽章 苦難と希望
大人になった。
そしていきなり人生の苦難へぶち当たる。
事業の失敗であろうか。
周りからはひそひそと後ろ指を指され、人は離れ苦しむ。
ひたすら逆風に耐えながら道を進んでいく。
そんな時でも希望は失わずに進んでいくと、
やがて苦難をとうとう乗り越えられる時がくる。
離れた人々は戻ってきて、全ては満ち、限りない喜びに包まれる。
人生の最高潮の瞬間。
やがて年を重ね、満ち足りた日々は
雲ひとつ無い青空から、流れる雲が美しく存在する青空の世界となる。
様々な事を経て、ようやく辿りついたピーカン晴れでは無い、
色んなものが存在する空の美しさを謳歌する。
その後も近親者の死や哀しい事も起きるが
人生は続いてゆき穏やかな人生は続いていく。
そして人生の終盤に差し掛かった時、我が人生を振り返り、叫ぶ。
天でも地でも無い、全てを知ったこの人生の素晴らしさよ、
拳を突き上げながら、天に向かって高らかに。
これが私の感じた交響曲第9番だ。
人生の最高の瞬間、これがあの合唱の部分だ。
この水戸室内管弦楽団の今回の演奏では指揮者の小澤征爾さんが、
やわら椅子から立ち上がってタクトを振り上げて大合唱が始まる。
この瞬間は何度見ても鳥肌が立つ。
感極まるとはこの瞬間だ。
第九、今年、絶対聴きにいくわ。
出来ればこの楽団、小澤征爾さんで聴きたいけど、
きっと無理だわよね。。
この演奏は少人数編成で演奏する、イレギュラー的な演奏らしいので、
通常の大編成での演奏も聴いてみたい気もするんで、
今から楽しみ。
コロナ収束してますように。
こんなに素晴らしい楽曲だったとは知らずに不覚だった。
暮れになると猫も杓子も第九だと?
別に私は暮れにあんな合唱なぞ聴きたくもない。
これっぽっちも第九に惹かれる事もなく、
興味も全くなかった。
だが、あの合唱だけでは無かったのだ。
それはほんの一部。
壮大な交響曲の一部だったのだ。
そして最後の合唱はこの交響曲のクライマックスを彩るエッセンスだったのだ。
第九は壮大な人生を表現したストーリーなんだと、
本日、聴きながら感じた、交響曲第9番の私の曲感を綴ってみる。
第1楽章 少年時代
人生の中のすくすく育っていく少年時代。
雲ひとつない青空のような時。
かけっこをしながら野原をかけまわり、
親に怒られたり、
夢中に楽しく生きていく時間。
第2楽章 大人へのはざかい期
少年時代には無かった憂いというものが出てくる。
年頃でいえば中学生ぐらいだろうか。
楽しいだけの日々では無く、
悩みや戸惑い、
そんなものが人生に滲みでてくる。
子供から大人へと成長する時のためらいの時期。
第3楽章 バニラとレモンの吐息
そして高校生ぐらいに年は進む。
初恋を経験する。
片思いの切ない心中。
ちょっと胸が痛くなるような切なさと優しい時間が続いていく。
吐き出される吐息は、
憂いを帯びただけの中学生の時の吐息とは異なり、
酸っぱいレモンの香りと共に、甘いバニラの香りも傍にある吐息。
やがて意を決して思いを相手に伝える。
だが、恋愛の成就には至らず、
かといって失恋でもなく、
優しい彼女から笑顔で手を差し出され
初恋は終わる。
第4楽章 苦難と希望
大人になった。
そしていきなり人生の苦難へぶち当たる。
事業の失敗であろうか。
周りからはひそひそと後ろ指を指され、人は離れ苦しむ。
ひたすら逆風に耐えながら道を進んでいく。
そんな時でも希望は失わずに進んでいくと、
やがて苦難をとうとう乗り越えられる時がくる。
離れた人々は戻ってきて、全ては満ち、限りない喜びに包まれる。
人生の最高潮の瞬間。
やがて年を重ね、満ち足りた日々は
雲ひとつ無い青空から、流れる雲が美しく存在する青空の世界となる。
様々な事を経て、ようやく辿りついたピーカン晴れでは無い、
色んなものが存在する空の美しさを謳歌する。
その後も近親者の死や哀しい事も起きるが
人生は続いてゆき穏やかな人生は続いていく。
そして人生の終盤に差し掛かった時、我が人生を振り返り、叫ぶ。
天でも地でも無い、全てを知ったこの人生の素晴らしさよ、
拳を突き上げながら、天に向かって高らかに。
これが私の感じた交響曲第9番だ。
人生の最高の瞬間、これがあの合唱の部分だ。
この水戸室内管弦楽団の今回の演奏では指揮者の小澤征爾さんが、
やわら椅子から立ち上がってタクトを振り上げて大合唱が始まる。
この瞬間は何度見ても鳥肌が立つ。
感極まるとはこの瞬間だ。
第九、今年、絶対聴きにいくわ。
出来ればこの楽団、小澤征爾さんで聴きたいけど、
きっと無理だわよね。。
この演奏は少人数編成で演奏する、イレギュラー的な演奏らしいので、
通常の大編成での演奏も聴いてみたい気もするんで、
今から楽しみ。
コロナ収束してますように。