伯母のお話。
伯母とは。
尼であり霊能師として活動していた祖母との間には、3人子供がいた。
代々男子が一人しか育たない因縁を持つ家系を断ち切るために、祖母はかなり頑張ってくれた。
そのおかげで、長男の伯父、長女の伯母、次女の私の母は今も元気だ。
しかし、伯母は幼少期に高熱で脳炎になり、今でも知能的には小1くらいで止まっている。
母も幼少期に歩けなくなったのだが、今では元気に歩いている。
というわけで、伯母のお世話を私もしていた。
祖母の亡き後は、皆でお世話をしていた。
普段は大人しい伯母だが、父が入院して3日後くらいに急に暴れだした。
私は姪なので気にならないことも、伯父や母は気になり叱ることもあったので、それが一気に爆発した。
そりゃもう大爆発。
同居している伯父から助けてほしいと電話があり、出たときには電話線を引っこ抜かれて話せなくなってしまった。
窓からテレビを投げたので、もうダメだと判断して向かう途中で救急車を呼んだ。
一人で暴れて転んで怪我もして、あらゆる箇所が血だらけ。
ここで。
ここで、最初の分かれ道があったんだと、今ならわかる。
救急車で搬送する際に、伯母は抵抗していた。
こんなものに乗りたくないと暴れまくった。
さて、どこへ搬送する??
希望は?
と聞かれて
私の家の近くの精神科を伝えた。
きっと、そうした方が私が楽だから。
この後、私は父も伯母も様々な手続きや施設探しをしなければならない、と冷静に考えた。
その結果、私の自宅に近い病院へ入院した。
父が入院中の病院とも、それほど距離はない。
このときに、薄っすらと
違う病院が頭によぎったのだが
なんせ慌てて決めなきゃならない
私が行きやすいところはどこだ
というので頭がいっぱいだったので
祖母の声も天からの声も直感も聞こえやしないわね😅
無事に入院した伯母は、3ヶ月入院できるとわかったのでホッとした記憶がある。
さてさて、私は次は父親の行く施設を探さなきゃ!
で、頭がいっぱいだった。
というか。
私が同居している母親というのは、私の実母です。
霊能師だった祖母の次女。
伯母の妹であり、父親の元嫁。
この頃から私の怒りが母に向いた。
二人のお世話をしているから、
仕事もできない
子どもたちのお世話もできない
手続きはかりで大変だ
あぁ大変だ
と、自分を大変な位置に置いて
勝手に「大変な人」にしてた😅
私かわいそう、な位置にいたかったのかなぁ。
貴方たちが何もしないから私がやってるのよー!
って言いながら、やってるのよね😅
文句言うなら私もやらなきゃいいのよね。
で、この時にはっきりと
伯母の今後について話をしていた時に入ってきたのが
祖母のお世話になった総合病院の老健が空いているかも、と。
伯母はもう自宅に戻るというのは無理そうなので、退院後は施設に入れようと話になったときのこと。
最後は特別養護老人ホームが希望しているが、すぐには空かないので
ひとまずどこかへ
という話のとき。
その総合病院の施設は老人保健施設だった。
長くは居られない。
しかし、祖母のお世話になった総合病院のお偉い方が部屋を空けてくれるとのことだった。
その時私は
特別養護老人ホームがどこか空いたら、また移動しなきゃならないし
それに、コネというのは「私が」嫌だなぁ。
と!
また私!😱
このときに祖母の声通りに、この総合病院の老人保健施設へ行っていたら
その5ヶ月後の私はきっと身体が楽だった。
そう、いま!
この老人保健施設に入ることで
煩わしいのは私だけ。
この通りで話を進めていたら、きっと今は私はもう何もすることはない。
だからかぁーーーー
だから、おばあちゃんはここへ入れろって言ってたのか!!!
って、今ならわかる。
そしてこれも、
おばあちゃんは私のために言っていると思わず、無視した。
伯母のためか?くらいに。
反抗期真っ盛りの人みたいに。
ここで一度切ろう。