今日は夏至だったそうだ。昼と夜が同じ時間の長さだったのか・・・と。昨日のあまりにも眩しかった夕焼けの空を添付してみた。昨日は新月だったので、新月直後は真夜中でボイドタイムだったので、帰宅後夜にお願いごとをした。311以降、いつも毎回、皆の健康と平穏と安全を祈っているのだが・・・。どうも世の中は一向に前に進んでいるように思えない。グルグルと災禍の中を回っているようにも思える。
大地震・津波の復興は1年3カ月たった今、どの位本格的に進んでいるのだろうか?放射線瓦礫の日本拡散問題については、北九州市までわざわざトラックで運ぶという手間暇、費用を考えると、とても理解できないのだが・・・。
除染についても、手つかずの場所がほとんどであるし、除染を1度やったからといってそれで終わりではないということ、皆さんは認識しているのだろうか?1度除染しても、雨や風に乗って、今もどんどん流れてくる放射能汚染。福島第1をどうにかしないと、汚染は治まらないのだ。なのに、友達や同僚も昨年の3月の放射線が今も舞っていたり、流れてくるんだよね。と言う。私はそう思ってないのだが・・・今も、出ているとしか思えないのだ。
東京電力が原発事故について今も津波だけのせいだと公言しているが、まだ終わってはいない事故対応については、元菅総理をはじめ政府の責任のせいだという責任逃れの発言を今もしている。東電発の事故調査委員会の公表を見聞きして、私はあ~やっぱり、と思ったのだが、新聞なども元菅総理に責任転嫁と書いてあった。
当時、菅総理の秘書だった人の福島第1原発についてのインタヴューを見つけた。是非、チェックしてご覧いただきたいインタヴューです。
当時の混乱の中で、私は直接見聞きしたわけではないが、国会の事故調査委員会での菅元総理の答弁を見ても、質問に答えない東電に埒があかないと、東電本社に出向いて、叱責したとしても、当たり前ではないかと思うのだ。国民の命がかかっているのだから、怒鳴る位は当たり前ではないだろうか?菅さんを擁護するつもりは全くないけど、自然の成り行きのように思う。それに対して東電は、邪魔だったとか、迷惑だったと今でも強調して公言している。マスコミも当時、菅総理が東電に直接訪れて、現場が混乱したと騒ぎ立てていたが、その当時も私は報道がおかしいと思っていた。ま~原発族ではない菅さんは邪魔にされるであろうと思っていたのだが。
ちなみに私は就職したての頃は霞が関・虎ノ門・内幸町・新橋が利用できる場所に勤めていたので、今の経済産業省の地下の売店やレストランをよくランチタイムに利用していたし、国会も大通りに出れば見えるし、日比谷の帝国ホテルの方へ歩けば、すぐに東京電力の本社だった。つまり、目と鼻の先に国会も各省庁も東電もあるのだ。首相官邸からも行こうと思えば、車でも東電はすぐ、歩いてでもいける距離だ。
福島第1原発の職員立ちが全員避難してしまったら、今の東京、関東の私たちもいなかったかもしれない。でも米軍に冷却材でも落としてもらって、チェルノブイリのように石棺化してもらった方がよかった気もする。後からでは何とでも言えるし考えられることだが、1日でも早く廃炉にして石棺化して永遠に原発を葬って欲しいと思うのは国民だけか?
それから消費税増税のことは、今振り返ると上級国家公務員になった学生時代の友達が、初めて消費税が導入された当時(いつだったか?忘れたが竹下政権?)、学生の頃の友達の集まりの食事会で、今は3%かもしれないけど(3%でしたっけ?度忘れしてしまった。)必ず、5%、10%に上がって行くよ。と言われたことを覚えている。彼のアドバイスは確か、大きな買い物をするなら早い方がいいんじゃないか?というアドバイスだった気がする。まだ社会人成りたての官僚成り立ての友達の話に、皆が「え~困る~。」と相手にしてなかったのだが・・・これが今になって思い出される。今はその友達とは年賀状の交換くらいしか縁がないが、質問すると1年後の年賀状での返事になってしまうな~。
大地震・津波の復興は1年3カ月たった今、どの位本格的に進んでいるのだろうか?放射線瓦礫の日本拡散問題については、北九州市までわざわざトラックで運ぶという手間暇、費用を考えると、とても理解できないのだが・・・。
除染についても、手つかずの場所がほとんどであるし、除染を1度やったからといってそれで終わりではないということ、皆さんは認識しているのだろうか?1度除染しても、雨や風に乗って、今もどんどん流れてくる放射能汚染。福島第1をどうにかしないと、汚染は治まらないのだ。なのに、友達や同僚も昨年の3月の放射線が今も舞っていたり、流れてくるんだよね。と言う。私はそう思ってないのだが・・・今も、出ているとしか思えないのだ。
東京電力が原発事故について今も津波だけのせいだと公言しているが、まだ終わってはいない事故対応については、元菅総理をはじめ政府の責任のせいだという責任逃れの発言を今もしている。東電発の事故調査委員会の公表を見聞きして、私はあ~やっぱり、と思ったのだが、新聞なども元菅総理に責任転嫁と書いてあった。
当時、菅総理の秘書だった人の福島第1原発についてのインタヴューを見つけた。是非、チェックしてご覧いただきたいインタヴューです。
当時の混乱の中で、私は直接見聞きしたわけではないが、国会の事故調査委員会での菅元総理の答弁を見ても、質問に答えない東電に埒があかないと、東電本社に出向いて、叱責したとしても、当たり前ではないかと思うのだ。国民の命がかかっているのだから、怒鳴る位は当たり前ではないだろうか?菅さんを擁護するつもりは全くないけど、自然の成り行きのように思う。それに対して東電は、邪魔だったとか、迷惑だったと今でも強調して公言している。マスコミも当時、菅総理が東電に直接訪れて、現場が混乱したと騒ぎ立てていたが、その当時も私は報道がおかしいと思っていた。ま~原発族ではない菅さんは邪魔にされるであろうと思っていたのだが。
ちなみに私は就職したての頃は霞が関・虎ノ門・内幸町・新橋が利用できる場所に勤めていたので、今の経済産業省の地下の売店やレストランをよくランチタイムに利用していたし、国会も大通りに出れば見えるし、日比谷の帝国ホテルの方へ歩けば、すぐに東京電力の本社だった。つまり、目と鼻の先に国会も各省庁も東電もあるのだ。首相官邸からも行こうと思えば、車でも東電はすぐ、歩いてでもいける距離だ。
福島第1原発の職員立ちが全員避難してしまったら、今の東京、関東の私たちもいなかったかもしれない。でも米軍に冷却材でも落としてもらって、チェルノブイリのように石棺化してもらった方がよかった気もする。後からでは何とでも言えるし考えられることだが、1日でも早く廃炉にして石棺化して永遠に原発を葬って欲しいと思うのは国民だけか?
それから消費税増税のことは、今振り返ると上級国家公務員になった学生時代の友達が、初めて消費税が導入された当時(いつだったか?忘れたが竹下政権?)、学生の頃の友達の集まりの食事会で、今は3%かもしれないけど(3%でしたっけ?度忘れしてしまった。)必ず、5%、10%に上がって行くよ。と言われたことを覚えている。彼のアドバイスは確か、大きな買い物をするなら早い方がいいんじゃないか?というアドバイスだった気がする。まだ社会人成りたての官僚成り立ての友達の話に、皆が「え~困る~。」と相手にしてなかったのだが・・・これが今になって思い出される。今はその友達とは年賀状の交換くらいしか縁がないが、質問すると1年後の年賀状での返事になってしまうな~。