Happy Charming Life 徒然ブログ 2005~

yaplog 終了により、goo blogお引越し。2005年からの備忘録として大切にしていきたいです。

ヨガで頑張るは禁物

2011-01-12 22:48:06 | インポート
私のブログは自分のために書いているので、自分の言いたいことを正直に書いている。時々、ブログを訪れてくれる友達から、正直過ぎるよ~と、ビビられている位 誰かに読んでもらいたくて書いているというより、自分の記録として書いているので、ある時に読み返すことがあったら、「あの時はそう考えていたんだ、あの時はそう思ってたんだ。」って、自分の心境や意識の変化も確認できるようにしている。

私は、ダンヨガという韓国系のヨガスタジオに通っているが・・・私のブログをそのダンヨガの検索で、訪れてくれる人が居る事に最近、気づいた。というか、知り合いの方々ではないと思う。最初、ダンヨガというスタジオに入ったのは、友達が別の神奈川のスタジオに通い始めて、とてもいいって言ってたので、私も体験してみないと・・・と思って、体験して即入会したのだ。友達は、とっくに辞めているのだが・・・。その時は1年会員で、入会してまず1年やってみようと思ったのだが・・・先生の説得と一瞬の気の緩み?で、一生会員に変更した。。。。これが、少し後になって、一生会員になるべきではなかったと後悔。3年位でよかったな~って。

最初は、興味と好奇心があってやる気満々だったのだが、最初に入会したキッカケの先生が2ヶ月足らずで、転勤してしまったので、ええっつ???指導者が変わってしまったら、私が入った意味がないじゃない?と、少しがっかりした。その先生を見て、あ~この人は人のエネルギーラインが読めているな~って、思ったから。。。そう感じる先生とはその後、会ってないし、そのような先生とも巡り会ってない。私は、知らなかったけど・・・つまりヨガスタジオというより会社だったわけです。組織という中の先生だから、転勤が頻繁にあります。

ヨガ自体は身体にとても良く、元々瞑想は不得意でない私としては、このヨガの運動、瞑想、呼吸法、丹舞という瞑想状態の舞というコンビネーションがとても素晴らしいと思った。元々、私はサイキック体質(霊媒体質)なので、他人が見えてないというエネルギーの色やラインが見えることもあり、感じていることもあり、人が嘘をついていることを感じる、人が考えていることを感じることが多々あるので、誰もが同じように感じているのだと、思って生きてきたのだが・・・。

ヨガは今でも、70分内の充実度は高く、週1回のスタジオ通いで、充分に自分の体調維持が出来ている。毎晩寝る前に、15分~20分は身体をほぐすヨガもどきをやっているお陰もあると思われる。

スタジオでは丹田を常に意識した運動と呼吸法が中心なんだけど、そのために首をフリフリ一心不乱に丹田を音楽に合わせて、叩き続ける手法も必ず含まれる。精充呼吸と呼ばれる、ダンヨガならではの呼吸のポーズは、長い間ワンポーズを取り続けるものであり、他のヨガではあり得ない無理な感じである。自分の友達にヨガインストラクターの経験がある人でさえ、これ・・・無理って言ってたっけ。

このヨガ自体は、独特であるがそれなりにいいアイディアである。私はアメリカにもあるなら・・・と思って、いつかアメリカに住むこともあるかもしれないから、一生会員でもいいかも~って思ったのだが、アメリカの事情と日本の事情はたぶん違うと思われる。韓国の人が作った韓国式のヨガなので、日本のダンヨガの組織やその世界のあり方は、韓国にとても近いように感じる。

入会前にはまったく知らされてないことだが、「真我発見」という初心者向けのプログラムがある。これは、お金を別途払って受講するものだが、そんな事は入会時には知らない。そして、熱心に執拗にそこの先生に迫られて、私は1年半後にやっと嫌々、受講したのだが・・・それを受けたから、何か?変わったとは思わない。自己啓発セミナー的な内容で、「感動」「感激」「変化」をしている人々は沢山いるようだったが・・・私は、「あ~コーチングセミナーの内容と同じなんだな~」って、冷静に捉えていた。

~を受けないといけない、これを学ばないといけない、って先生に迫られることになるのだが・・・それは違うと思う。先生も組織の一員としての役割上、辛い立場なんだろうな・・・みたいに可哀想な感じさえしている。その組織がどうゆうものなのか?私は知らないが、色々と感じることがある。色々なプログラムは皆が受けなくてはいけない(受けたほうがいいもの)は無料で提供するべきものであると思うし、~をしなくてはあなたは完全ではないっていう上から目線(ま~韓国では儒教の教えが常識なので、先生は高齢の生徒の前でも上という姿勢)は、まったくナンセンス

私は、「真我発見」を受けるにあたり、自分の大切な予定を突然、変更せざるを得なかったので、先生に、どうして計画的にプログラムの予定を発表しないのか?突然、参加するように迫れるのか?今後一切、押し付けられるような形のプログラムには参加しないと。

人それぞれヨガの目的は違います。それは、それでいいと思います。なので、私は体調維持のために体の柔軟性をキープし向上させるために週1回通っています。それ以上のことは、そこには望んでいません。私は、インドのヨガティーチャーとも時々連絡をとることがありますが(なぜか???ヨガティーチャーが熱心に連絡をくれるので)、ヨガとは組織とは全く違う次元のものです。自己への探求が要素に多いのは、周知の事実ですが、何ができたらいいとか、頑張りましょうという言葉掛けは、ヨガでは特に無用だと思うのです。

なので、同じスタジオの初心者の方々に「どうしたら?出来るようになるでしょうか?」と練習後のお掃除の時間に尋ねられたり、「私は丹田が弱いから、駄目なんですね~。」と話しかけられたりすることがありますが、私は一言「無理しなくていいですよ。人それぞれですから、誰かと競争してるんじゃないんですよ。ヨガは競争じゃないですから。気軽に。自分が気持ちよくなれれば、それでいいと思います。」と応えてます。私だって、まだまだだし、辛い状態や、もっと柔軟性が高かったらと思うこともあることだし・・・でも、私は常に成長してるんだから、今出来なくたって、私は私でいいんだって、思うのです。ヨガで、自己卑下や自己批判するなんて、ナンセンスです。そうゆう風に思わせてしまう、言葉掛けもナンセンス。自己肯定するものであって、自己否定するものではないからです。そのように思わせてしまうような、言葉掛けや頑張りましょう発言は意味がないと思います。

柔軟性のない人が、無理して柔軟性の高いポーズが出来るはずがないのですが、脳に制限をはずせば出来るのだ!という理論からすると・・・変に考え込んだり、焦ったりする人がいるのです。いつか?出来るんだから、それでいいんじゃない?って楽観的に思って、何も考えずにヨガをするだけでいいと思うんだけど・・・先生達の応援?に「これが出来ない私って、駄目な人間???」ってかえって、悲観的になるのが日本人体質なんだな。と思うのです。熱い韓国式は日本ではかえって、冷めちゃうんだけど・・・という感じ。私は、ハワイやインドでもヨガを習ったり、日本の中でも出張中は他のホットヨガのスタジオに行きますが、「頑張りましょう」という先生は皆無です。

意識の自由を拡大する、平和を感じ、愛を感じ、自分の本質を探し、見つける、喜びを感じることが出来るのも、ヨガの中での瞑想中で感じやすい事柄です。なので、人は皆対等であり、自由であるので、自分の気づき次第、やる気次第で、それぞれが自由にヨガを楽しむのがいいんじゃないでしょうか。私は、一生会員になってるので、ま~細く長くマイペースに。いつか、韓国以外の外国のスタジオまたは、アメリカのスタジオを訪問してみたいですね。ま~ゆるゆる~って感じなら、ナチュラルでいいかな~?と。














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